そんな新時代の絶対的エースが躍進するとともに、新日本プロレスもまた復興を遂げることとなった。
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プロレス団体のエースといっても、技術力などを計る数値的な基準があるわけでなく、また試合自体もレフェリーや選手同士の裁量にゆだねられる部分が大きいため、その勝敗が純然たる指標とはならない。
こうした点が八百長という批判につながるわけだが、そんな曖昧な部分を運営側の用意したストーリーやファンの想像力によって補っていくのが、プロレスの面白いところである。
必ずしも強さばかりが基準ではないとして、では、エースや王者がどのように決まるのかといえば、これにはいくつかの要素が絡んでくる。
まず大事なのはファンからの支持だろう。いくら技量に優れていようとも、肝心のファンにそっぽを向かれては興行として成り立たない。そのため、シンプルに“強い者がエース”とはいかなくなり、場合によってはルックスやトーク力が優先されることもある。
また、仲間うちの評判も大切なポイントだ。実際の試合や稽古などを通して、「あいつならトップと認められる」というムードがなければ、他の選手たちもエースを盛り上げていこうという気持ちにならない。
これらの要素を考慮した上で、運営側によって興行戦略が決められていくわけだが、このときに戦略ばかりが先走ってしまうケースも少なくない。
分かりやすいところでは、大相撲からプロレス界入りした元横綱の輪島と北尾光司だ。トップ扱いをしようにも、肝心のファンがついてこない。それでも“ゴリ押し”を続ければ批判が高まり、結果的には団体運営にもダメージを与えることになる。
事前のリサーチや売り出しプランを綿密に用意する米国のWWEでも、多くの企画倒れがあるわけで、主催者の都合通りに成功することはなかなか難しい。
しかし、これが功を奏したときには、逆に“スター誕生”として熱烈な支持を得ることにもなる。
初代タイガーマスクがまさにそれで、最初はファンも色眼鏡で見たものだが、そんな先入観をはるかに上回る能力の高さによって、一大ブームを巻き起こすことになった。その後、無理やり後釜に据えられたザ・コブラは、散々なことになるのだが…。
近年、団体によるゴリ押しの成功例が、新日本プロレスのオカダ・カズチカだ。
中学を卒業してすぐに、ウルティモ・ドラゴンの闘龍門に入門。メキシコ修行を経て2007年に新日へ移籍すると、ヤングライオンとして一から出直した後に渡米した。
そうして迎えた’12年の1・4東京ドーム、同じく海外修行から帰国したYOSHI-HASHIとのダブル凱旋試合で、勝利を収めたのだが…。
★IWGP王座に就くこと5回!
「派手に登場したわりに試合自体は盛り上がりを欠き、目立ったのは打点の高いドロップキックぐらい。にもかかわらずメインで棚橋弘至が勝利したところに、IWGP挑戦を宣言したものだから、観客からは一斉にブーイングを浴びせられました」(プロレスライター)
ファンからすれば前座レスラーとしての印象しかなく、凱旋試合の内容もいま一つ。キャッチフレーズとオリジナル技の名称に採用した「レインメーカー」という文言も、アメリカ映画に由来するといわれたところで、その映画自体がヒットしたわけではなかった。
「結局、2月のタイトル戦で棚橋から王座を奪取しましたが、これは同じ頃に新日の親会社がブシロードに代わったことで、リング上も装い新たにしようという意図が働いてのこと。まさにゴリ押しです」(同)
冬の時代を支えてきた棚橋や中邑真輔を捨て置いて、新顔のオカダがトップに立つという事態に、反感を持つファンも少なくなかった。しかし、オカダはイケメンフェイスと高い身体能力、強靭な意思によって見事にこれを乗り越えてみせた。
以降、IWGP王座に就くこと5回。タイトルの保持期間も歴代最長となり、新日の絶対的エースにまでのぼり詰めた。
周囲のサポートがあっての成功には違いないが、それでも実力でファンを納得させたという意味では、初代タイガーと同等。日本のプロレス界の未来は、オカダにかかっているといっても過言ではない。
オカダ・カズチカ
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PROFILE●1987年11月8日生まれ。愛知県安城市出身。身長191㎝、体重107㎏。
得意技/レインメーカー、ドロップキック、ツームストン・パイルドライバー。
文・脇本深八(元スポーツ紙記者)