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改称から3カ月半 地下潜伏節まで浮上! 絆會「解散騒動」の真相

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提供:週刊実話

 特定抗争指定により、六代目山口組(司忍組長)と神戸山口組(井上邦雄組長)が警戒区域内での動向に厳しい規制を掛けられる一方、織田絆誠会長率いる絆會は“脱反社”という方針を掲げ、独自の路線を歩み続けてきた。今年1月には任侠山口組から改称し、間もなく結成3年を迎える。その節目に合わせ、人事面など新たな改革が打ち出されることが予想されていた。ところが、突如、「解散騒動」が持ち上がったのである。

「3月下旬に大阪で執行部会が開かれて、その席で今後の方針として、話が出たんやないかいう噂が広まったんや」(関西の組織関係者)

 絆會では、任侠山口組の名称だった昨年から定例会を中止。以降は執行部会や各ブロック会で連携を保っており、開催場所も不規則であるため、実態把握が困難となっていた。それも影響してか、解散の噂は真偽不明のまま、瞬く間に業界内外を駆け巡ったのだ。

「マスコミを入れて解散会見を行う」「4月1日、警察に解散届を提出する」「六代目山口組への移籍者が出る」といった未確認情報が飛び交い、警察当局も確認作業に奔走したという。解散の噂について、多くの関係者が注目した背景には、これまでにも幾度となく予期せぬタイミングで改革を打ち出し、組織として形を変え続けてきたからだった。

 そもそも組織の結成自体が予想外であり、平成29年4月30日の会見によって、初めて実態が明らかとなった。結成表明会見の数日前、当時は井上組長がトップを兼任していた四代目山健組本部から、複数の組員が姿を消した。“織田一派”が離脱したという噂は囁かれたが、まだ確証はなかった。4月29日には神戸山口組が急きょ執行部会を開き、山健組でも暗に離脱者を見定めるための緊急招集が掛けられた。兵庫県警も視察に訪れ、出席者を確認。神戸山口組若頭代行を務めていた織田会長、若頭補佐だった池田幸治・四代目真鍋組組長をはじめ、複数の山健組直参の姿がなかったのだ。

 会見当日、兵庫県尼崎市にある古川組事務所にはマスコミが殺到。会合ののち、報道陣は事務所内へ案内され、「任俠団体山口組」の結成表明を目の当たりにする。会見では神戸山口組・井上組長らへの痛烈な批判とともに離脱理由が明かされたのだった。また、トップを置かず盃も交わさないという横並びの組織とした。

 新規参画者などによって直参数を増やし、全国各地で勢力拡大を続ける一方で、その年の8月には「任侠山口組」に改称。神戸山口組が発足した日である8月27日には、第2回となる会見も行い、さらに具体的な内容を“暴露”して井上組長らを批判。この約2週間後、記者会見に対する“報復”が発生したのだ。

 神戸市長田区にある自宅近くで、織田会長の乗った車両を山健組傘下の黒木(本名・菱川)龍己組員が襲撃。織田会長は無傷だったが、「撃ってみんかい!」と立ちはだかった警護組員が被弾し、死亡した。報復戦が懸念されたが、織田会長側は組織の方針を貫いた。

「反社会的勢力の枠から抜け出すことを掲げとって、報復は本意やなかったんやろ。結成当初、横並びの組織としたんも、脱反社の決意の表れやったように思うで」(ベテラン記者)

 しかし、結成翌年の平成30年3月、兵庫県公安委員会は指定団体に指定し、尼崎市にある真鍋組を任侠山口組の本拠と認定。真鍋組本部に対して、近隣住民が使用差し止めの仮処分を申し立て、神戸地裁が決定するなど“暴排”の波が襲い掛かった。

「当初の横並びの組織から、本来のヤクザ組織のように若頭などの役職を設けて序列もついたが、盃だけは交わさなかったんや」(同)

 ところが、昨年4月、長野県上田市の組事務所で、深夜にもかかわらず盃儀式を執り行い、結束を強化。以降、六代目山口組と神戸山口組の抗争が激化の一途をたどる一方で、任侠山口組には表立った動きが確認されていなかった。

★「任俠界から身を引く」

「その沈黙を破ったのが、絆會への改称やった。代紋も変えるいうんは山口組への決別を意味しとって、新たな改革への布石とみられたんや」(同)

 結成3年を間近に控え、新しい代紋と人事の発表が待たれる中で、今回の解散騒動が巻き起こったのだ。

 通達は出されておらず、関係者の間では「各ブロック会議で全直参に伝えられるのではないか」という憶測も飛び交った。事実確認のため、本誌取材班は開催場所として候補に挙がっていた長野県松本市に急行。約7時間、様子をうかがった中で、思わぬ光景を目の当たりにする。

 金澤成樹副本部長の本拠地である四代目竹内組(宮下聡組長)の組事務所には、駐車場が隣接しており、午前9時半ごろ、すでに高級車が複数台止められていた。事務所が面する4車線の道路を、パトカーが定期的に巡回。10時すぎには、長野県警の捜査車両1台が現れ、遠巻きに事務所の出入り口を監視していたのだ。

 さらに捜査車両が増え、警戒態勢が強まっていくと、県外ナンバーである取材班の車両が停車していることに対しても、目を光らせるほどだった。県警が直参集合を警戒しているのは明らかだったが、肝心のブロック会議が行われる気配は一切なく、業を煮やしたのか、捜査員6人が事務所に詰め掛けたのだ。

 対応に出た組員と話し、引き揚げるかに見えたが、なおも捜査員らは歩道に立って監視を続けた。金澤副本部長が表に姿を見せながらも、直参が集まることはなく、午後5時には捜査車両も撤収したのだった。

 確証が掴めぬまま噂だけが飛び交ったが、ある他団体関係者は絆會の内情について、こう話した。

「解散という言葉に語弊があるようだ。実際には、世間が言う反社会的勢力から脱するために、重大な決断を下す必要があると、今後について話があったらしい。地下潜伏するのかともいわれたが、それは警察の見方であって、“絆”を断ち切るわけではないだろう。ようは、代紋があるかないかの話なのだから」

 発足当初から掲げられた方針に向けて、具体的に動き始めたとみられるが、現段階で決定事項は通達されていないという。

「ただ、これだけ噂が広まっているから、『解散』の意味を理解した上で、周囲に『任俠界から身を引く』と伝えた者もいると聞く。それぞれ判断が分かれるのも、事実だと思うが」(同)

 また、織田会長が“脱反社”を目指している理由についても、こう解説する。

「組員であるために、子供の学費が引き落とされる目的でも銀行口座が作れず、車も買えず、部屋も借りられず、暴対法の縛りから逃れることができない。日常生活に支障がありすぎる。そうした現状を打開するために、改革を進めてきたのではないか」(同)

 第三極と目された組織だけに、警察当局の監視は今もって厳しいはずだ。

「噂されたように解散届が警察に提出されたとしても、すぐに指定団体の認定が解除されるわけではない。組織活動の有無を、しばらく確認する必要がある。たとえ指定から外れたとしても、元組員として5年以上経過しなければ、一般人と同じように生活するのは難しい。絆會がどうやって“脱反社”を実現させるのか予想がつかないが、何らかの考えがあるのだろう」(業界ジャーナリスト)

 平成29年に出版された『山口組三国志 織田絆誠という男』(溝口敦著・講談社刊)の中で、改革への意欲を語った織田会長は、本意ではないとした上で、最悪の事態にも触れている。

〈結果的に世論や、お国が『お前たちはどれだけ頑張っても反社だ』とどうしても認めてくれないとき、そのときは地下にもぐるしかないと考えています。当然、偽装解散もするでしょうし、表向きカタギの振りをしながら、今まで以上に表社会に入り込んでいくことになるでしょう〉

 絆會の動向に業界内外が視線を注いでいる――。

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