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遠い記憶 根岸競馬場の歴史(36)

 前回に続き、根岸競馬場と当時の競馬事情を知る関係者の座談会をお届けする。

 −−競馬場へは、みんなどうやって来たのでしょうか?
 K(元騎手) 当時はみんな、桜木町から市電に乗って山元町終点まで来てね。そこからバスも通っていたけど、ほとんどは歩きだった。
 T(元理事) 東京からは、遠い競馬場だったわけだ。

 −−当時の乗り役さんたちのお遊びはどんなものでした?
 N(元騎手) 本牧だよ。本牧(のチャブ屋)へ、みんな遊びに行った。
 K それはN先生にお聞きになれば、もう…。
 N 僕よりK先生の方が大先輩じゃない(笑)。
 W(元理事) 宴会なんかは、どこでやられてたんですかね?
 N 当時は南京町といっていた中華街だな。
 S(元騎手) ところで戦争の影響で、横浜競馬場が正式閉鎖になったのは昭和18年6月10日と聞いています。その後、競馬場は軍の管理下に入ったの?
 T 海軍が管理していたようだよ。
 K 何しろ(高台に建つ)スタンドにいると、(港に)軍艦が出入りするのが分かっちゃうんだから。写真機を持っているだけで注意された。海沿いには警官がいつも巡回していたしね。
 B(元騎手) で、戦後は今度、進駐軍が競馬場にだいぶ入ってきたでしょ。第1回の競馬復帰の時、疎開していた馬を集めてクジ引きで割当があり、僕はアラブの馬が当たった。ただ、進駐軍に馬を持っていかれてね。2、3年して返してもらったんだが、彼らは乗馬に使ってたみたい。
 K 僕がいた馬事公苑にも進駐軍が取りにきた。僕たちの関係者は、いい馬を持っていくな、と反対したが、いい馬ばかり選んで何十頭も持っていかれたな。

 ※参考文献…根岸の森の物語(抜粋)/日本レースクラブ五十年史/日本の競馬

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