search
とじる
トップ > レジャー > 遠い記憶 根岸競馬場の歴史(31)

遠い記憶 根岸競馬場の歴史(31)

 先週に続き、根岸競馬場の昔を知る関係者の座談会をお届けする。

 W(元理事) 中山や府中に関西馬がきたんだけど、輸送はどんな方法だったのかな。

 N(元騎手) それは自動車だった。荏原の林運送店の2頭しか乗らなかったやつでね。関西からくるのは貸車で、桜木町にあった貸物駅の東横線駅までね。ここから馬を引いて歩いて、地蔵坂があってね。

 B(元騎手) 自動車がまだ使えなかったころは、目黒から横浜まで引き馬で、行ったこともあるよ。夜10時ごろ、向こうを出て、ちょうちんぶらさげて夜通し歩いて、9時間から10時間かけてね。地蔵坂の途中でバテてしまって、もう動けなくなる。

 N 自動車はあったが、台数が少なくてあんまり使えなかったからかなぁ。

 W Sさんは関西から馬を連れてきたことがあるでしょ。どんなふうだったのかな。

 S(元騎手) 桜木町の今はバス停になっているあたりの引込線で馬をおろしてね。

 W それ、いつごろ?

 S 私が横浜へ馬を持ってきたのは昭和12、13年ごろだね。

 W それは日本中央競馬会になってからだな。昭和12年(1937年)に倶楽部がみんな解散しているからだね。

 S 私はレースには乗らなかったんだけど、騎手免許は阪神でいただいた。横浜はよく知らないが、鳴尾や京都では乗っていた。

 K(元騎手) そうだったのか。Sさんが乗っていたとは、ちっとも知らなかったよ。

 N 昭和12年っていえば日中戦争が起きた年だからね。競馬に乗る時の本免許取得料は10円。それから、攻め馬だけで馬に乗る免許は5円さ。

 K それまでは、千葉県習志野の陸軍騎兵学校へ習いにいっていた。これは昭和12年が最後なんだ。B先生は、2回行っている。昭和3年と5年と2回ね。

関連記事


レジャー→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

レジャー→

もっと見る→

注目タグ