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競輪人国記 奈良(4)

 奈良の人国記で忘れてならないのは女子選手の田中和子だ。昭和27年の川崎・日本選手権女子、18歳で優勝すると女子の特別競輪タイトルを総なめにした快速選手だった。高松宮妃杯では昭和29年から32年まで4連覇。日本選手権女子も27年の川崎に続いて29年川崎、30年大阪中央と連覇。競輪祭女子も昭和30年に制して、女子の特別競輪タイトルを全て獲っている。

 昭和27年の競輪選手賞金獲得額では男子の1位が高倉登(埼玉)で374万円余、田中は185万円を獲得して当時のライバル渋谷小夜子(神奈川)を抑えている。その年の女子の年間獲得賞金は669人の登録選手がいて平均21万円だったから、田中がいかに強かったか分かる。

 昭和28年には有江美和子(長崎)立川玉子(岡山)に次ぐ3位で翌29年には立川に敗れ2位となったが、30年から34年まで4年連続、賞金女王の座を占めた。男子の賞金アップに比べ女子の賞金はほとんど増額しなかった。当時の世相を反映したものだった。その後は高橋恒(大阪)と結婚して移籍したが、夫の高橋も昭和28年4月の名古屋・全国都道府県選抜6000メートルで優勝。同年9月の花月園・全国都道府県選抜2800メートルでタイトルを獲った。

 とにかく田中の強さは女子選手では練習相手がいないほどで「男子でも練習では負ける選手がたくさんおったよ」(河内正一)というほどだった。全プロ大会でも田中は活躍。昭和31年静岡、32年岸和田、33年小倉、34年名古屋と女子速度競走(競輪と同じようなレース)で4連覇している。

 日本選手が世界選手権出場を認められたのが、昭和32年だから、もしも女子の参加が認められていたら、田中もヨーロッパの女子を相手にメダルを獲得していたかもしれない。

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