彼はシャネルズのマネージャーをやる前は、プロレス好きが高じて新日本プロレスに入門しようとしたり、ドリフターズの付き人もやったりしていて、それからシャネルズを経て、後に網浜直子や飯島直子を抱える事務所の社長になるなど成功を収めたのだが、当時、飯島直子の写真集を出版するに当たり乳首が出ている出ていないで揉めて、飯島直子に事務所を辞められてしまったりと波瀾万丈な人生を送っていたのだ。…まあ飯島直子もその後ヌードになってるんだから、乳首くらいでそんなに怒らなくてもよかったんじゃ…と思うけど(笑)。
シャネルズに対しては特別な思いを持っていてくれたのか、彼のお葬式が行われた斎場では静かにシャネルズのナンバーが流れていて、オレにとっても感慨深いものがあった。そして、斎場では3名を除くシャネルズのメンバーが久しぶりに集合。彼の死によってシャネルズが再会したわけだけれど、これは「またみんなで素晴らしい音楽をやってくれよ」という、彼からのメッセージだと思えた。
実は4年前、シャネルズ、ラッツ&スター結成25周年の時に再結成の話が進んでいたのだが、オレが起こしてしまった事件のせいで、なくなってしまった。彼もその時の再結成を楽しみにしてくれていたんじゃないだろうかと思うと悔やんでも悔やみきれない。
来年は結成30周年。再結成があるのか分からないけど、もしそういう話が持ち上がったとしたら、25周年の時にいろいろな人を裏切ってしまった分の思いも込めて、仲間たちと一緒に素晴らしい音楽を作ってファンの皆さんに、そして天国の彼に届けたいと思う。