少年はその後、高校の修学旅行で行った北海道を目ざして自転車で移動する。事件から15日後の7月6日に、岡山県から1000キロ以上離れた秋田県内の国道7号を北上しているところを発見、身柄を確保された。少年は9月に特別少年院送致の保護処分が確定した。
少年Aは1998年4月、岡山県立邑久高等学校に入学。進学コースに進み、野球部に入った。学校での印象はおとなしく、まじめだったという。そのためか、日頃から柔道やプロレスの技をかけられたり、練習中にボールをぶつけられるなど、後輩にもからかわれていたという。
バットで殴られ、重傷を負った部員は、夏の甲子園の地方大会が始まるのを前に「3年生は(頭髪を)みんな丸刈りにしているのに、A先輩はしないのか」と詰め寄られていたり、さらに準レギュラー選手だった少年Aと後輩部員とのレギュラーの座をめぐる確執があったとの情報もあり、こうした不満が積み重なり爆発したものとみられる。
少年Aが母親を殴打した理由として、「野球部員の少年を殴って、自分が殺人犯になったと早合点してしまった。そのまま母親が生きていればその後の迷惑がかかると思ったために殺した」と証言している。
事件の舞台となった同校野球部は活動休止。9月末に再開したが、20人を超えていた部員は9人を割ってしまったという。