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爆笑問題と浅草キッド、不仲のはじまりは正月特番? 田中が“掴み合いのケンカ”

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爆笑問題・田中裕二、太田光

 爆笑問題と浅草キッドといえば、芸能界における不仲コンビとして知られる。

 現在はタメ口の関係となっているが、もともとは1988年デビューの爆笑問題に対し、浅草キッドは1987年デビューのため1年先輩である。さらに、爆笑問題が素人時代に出演した渋谷のライブハウス「ラ・ママ」で行われたコントライブの場に、浅草キッドも出演しており、爆笑問題をデビュー時から知る関係なのだ。

 そんな彼らの不仲のイメージを世間に決定づける事件は、1999年1月1日に放送された『新春ヒットパレード』(フジテレビ系)で起こった。

 そもそも、彼らの不仲がはじまったのは1990年10月に放送された『爆笑問題のオールナイトニッポン』(ニッポン放送系)のオープニングとされる。太田光が「たけしさんが死んじゃいました」とジョークを話し、それに怒った水道橋博士が本番中にバイクで乗り付けたのだ。その場は「本当に来た」と笑いで済まされたものの、放送終了後2時間にわたって博士が爆笑問題に説教をしたようだ。だが、この件は一部のお笑いファンのみが知るにとどまった。なぜなら、爆笑問題は事務所からの一方的な独立騒動により仕事がまったくなくなってしまうためだ。人気回復は『ボキャブラ天国』シリーズ(フジテレビ系)でまで待たなければならない。だが、爆笑問題が再ブレイクを果たした途端、浅草キッドの側は水道橋博士の不正免許取得事件により芸能活動の謹慎を余儀なくされる。不仲をネタにするタイミングが合わなかったのだ。

 時は流れて1999年の1月1日。『新春ヒットパレード』(フジテレビ系)のエンディングで、爆笑問題の田中裕二と浅草キッドの水道橋博士がつかみ合いの喧嘩を繰り広げる。しかし、2人とも背が小さいためイマイチ迫力に欠けるものであった。だが、あまりの行儀の悪さに共演者の西川きよしにたしなめられる場面も見られた。さらに、キャイ〜ンの天野ひろゆきも「この2組は本当に仲が悪いんですよ」とあおったため、余計に不仲の印象を強めてしまった。だが、これはお互いに了承の上で行われたプロレス的なものであったといえる。

 その後はつかず離れずの関係を続けており、実際のところは爆笑問題と浅草キッドは不仲をネタにできるほど、お互いを理解しているコンビともいえるだろう。

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