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レジャー 2016年03月07日 09時00分
【第53回弥生賞】マカヒキ無傷の3連勝
競馬の皐月賞トライアル「第53回弥生賞」(GII・芝2000メートル、6日中山競馬12頭)は、ルメール騎手のマカヒキ(56キロ、2番人気)が、最後の直線で先頭に立った断然人気のリオンディーズをゴール寸前でクビ差交わして優勝。無傷の3連勝で初重賞制覇を達成。本番に向けて大きく弾みを付けた。1分59秒9。3着エアスピネル(56キロ武豊騎手、3番人気)2馬身。以上の3頭が皐月賞優先出走権を獲得した。 マカヒキは父ディープインパクト、母ウィキウィキの牡3歳馬(鹿毛)。馬主は金子真人ホールディングス(株)。戦績=3戦3勝。主な勝ち鞍=重賞初勝利。ルメール騎手、友道康夫調教師とも初勝利。「配当」単勝(11)260円複勝(11)110円(10)110円(4)110円枠連(7)(8)220円ワイド(10)(11)120円(4)(11)160円(4)(10)130円馬連(10)(11)220円馬単(11)(10)440円3連複(4)(10)(11)190円3連単(11)(10)(4)830円*レース結果については、必ずJRA公式発表でご確認ください。
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スポーツ 2016年03月06日 14時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈“熊殺し”ウィリーの献身〉
先の2月15日、国際大山空手道連盟総主である大山茂氏が79歳で亡くなった。劇画『空手バカ一代』の読者ならば、極真会館の前身である大山道場の時代からの、大山倍達の高弟としてなじみ深い名前だろう。 そもそも大山倍達が「大山」姓を名乗るようになったのは、大山茂の実父の下で書生をしていたからであり、2人は血のつながりこそなくとも深い縁で結ばれていた。極真の大会での氷柱割りや真剣白刃取りといった演舞、あるいは審判としての姿を知る人もいるだろう。 またウィリー・ウイリアムスvsアントニオ猪木の異種格闘技戦で、愛弟子ウィリーのセコンドに付く姿を記憶する人も多いだろう。ドクターストップによる引き分けの裁定が下った後、大山が鬼の形相でレフェリーに詰め寄るシーンは、この試合がいかに異様な状況下で行われたかを如実に表していた。 「大山茂氏が怒ったのは、リング内では5秒以内と決められていたはずの寝技が、場外ではそれを超えても反則にならないからでした。場外で極真勢と新日勢が揉み合った際に猪木が脇腹を負傷したのも、拳を握る姿がカメラに映ったことから“大山がやった”とする噂がありましたけど、あれは後に、やはり極真の添野義二が『猪木が落っこちてきたときに踏んづけた』と語っています」(スポーツ紙記者) 猪木戦に向けてのウィリーが特訓した際には、当時40歳をすぎていた大山自らがスパーリング相手を買って出て、猪木を想定したタックルや寝技、グラウンド状態からのアリキックを披露し、その格闘センスの高さを示したこともあった。 「早くから極真のニューヨーク支部に渡って、体格に勝るアメリカ人たちを指導してきた。自分より優れた者の言うことしか聞かない彼らを手なずけたのだから、相当な実力者であったことに違いありません」(格闘技ライター) 日本人の極真門下生の多くも、世界大会の前などはアメリカの大山の下を訪れて修行するのが恒例となり、やはり指導者としての能力の高さがうかがえた。 そんな大山にとっての最高傑作といえるのが、やはり前述のウィリーということになる。2メートル近い長身でいて均整の取れた体躯。手足も長く、接近してのドツキ合いが主流だった当時の極真ルールにおいて、体格に劣る日本人選手は近寄ることすら難しいような状況だった。 世界大会の開催当初から「日本人以外の選手が優勝するようなことがあれば腹を斬る」と公言していた極真総帥・大山倍達にしてみれば、孫弟子ウィリーの成長はうれしい反面、悩みの種でもあった。 「日本発の武道として世界進出する段階で、外国人が優勝するとその価値が減じるというのが大山倍達の考えだったようです」(同) そして、猪木との異種格闘技戦を間近に控えた1980年の『第2回世界空手道選手権大会』で、事件は起こった。 圧倒的実力で一本勝ちを重ねていくウィリーと、準決勝で対峙したのは三瓶啓二。のちに全日本3連覇を果たし、中村誠とともに“三誠時代”と称された猛者で、前年の全日本選手権でも準優勝の実績を残していた。 身長でもウィリーが30センチは上回り、周囲が“三瓶に勝機はない”と思ったとしても無理はない。 だが、試合開始となると突如、ウィリーが暴走を始める。 両手で襟をつかんでの膝蹴り連打から、投げ飛ばし、さらに倒れた三瓶の上から殴りかかっていく。いずれも極真ルール下では明らかな反則行為である。 試合再開後には腰に手を当てたままやる気のない態度を見せつつ、またもや襟づかみに投げ飛ばし。結局、そのまま反則負けを宣せられたのであった。 「これには大人の事情が強くかかわっていたといわれます。ウィリーに負けさせるにも、猪木戦を前に“ケガで棄権”というわけにもいかない。そこで選んだのが暴走反則負けだったというわけです」(同) 熊や猪木とも闘い、さらには反則負けの汚名にも甘んじた、そんなウィリーの献身が、最強をうたう極真発展の礎となったともいえるだろう。
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スポーツ 2016年03月06日 13時00分
新日本の育成プロジェクト『LION'S GATE』を紐解く4つのワード
「他団体選手の招聘を含めて、ファーム(2軍)のようなモノを作りたい。イメージ的には小さな興行をやっていくと考えてもらってもいい。ファームの所属選手や、いろんな他団体を含めたトライアル、負傷欠場していた選手の再チャレンジの場所だったり、いろんなモノを試す場になればいいと思うし、いまの新日本は非常にレベルが高いリングなので、いきなりは上がれない場合もある。国内でこういう場が少なくなっているので、トライアル、チャレンジの場を作っていきたい」 昨年7月に行われた新日本プロレスの戦略発表会で、木谷高明オーナーはこのように「ライオンズゲート計画」をブチ上げた。その第1弾となる「LION'S GATE PROJECT 1」が先月25日に新宿FACEで開催され、467人(超満員札止め)のファンを動員。通常興行に比べて、チケット料金は安く設定され、逆に試合数は9試合と多く組まれたが、どの試合も内容が素晴らしく順調な船出を飾ったと言っていいだろう。次回大会も5月19日に同所で開催されることが会場で発表された。 これまでも新日本は「夢☆勝ちます」「ライオンズロード」「NEVER」などヤングライオン(新日本に所属している若手選手)はもちろんのこと、他団体やフリーの若手選手にも門戸を開放して育成を目的とした興行を開催してきたが、ブシロード体制になってからは初の試みとなる。今回のプロジェクトは“ファーム(2軍)”“所属選手”“他団体”“再チャレンジ”という4つのワードがポイントと言えそうだ。第1回大会では、それらを紐解く要素がたくさん散りばめられていた。 第1試合前には、アマレスの育成チーム「ブシロードクラブ」からプロレスデビューに向けて歩み始めた岡倫之と北村克哉が、レスリングのエキシビションマッチを行った。両選手ともにレスリング元全日本王者の実績を持っており、2人のヘビー級選手にも見劣らない肉体と潜在能力の高さを見たファンからは、即戦力として期待する声が数多く上がっていた。この試合でレフェリーを務めたのは、自身もアマレスの育成チーム(当時新日本が設けていた「闘魂クラブ」)からデビューした永田裕志。永田は「LION'S GATE PROJECT」のプロデューサー的な役割も担っている。 「この2人の潜在能力を、皆さん見ていただけましたでしょうか? 2月から新日本プロレスの道場に入って、目下、猛トレーニングをやっている最中であります。いずれこの『LION'S GATE』の舞台で2人はデビューすることになりますので、皆さん、その時までご声援よろしくお願いします」 試合後にマイクを持ち、岡と北村のデビューの場が通常興行ではなく『LION'S GATE』であることを明らかにした永田。興行終了後に改めて2人のデビュー時期について聞かれるとこう語った。 「僕は入門して4か月だったので、そういうの考えたら、どんどん早くていいんじゃないですかね。中西(学)さんなんて1か月半ですから。なんにもできないのに、急遽抜擢されて。受け身もできないのに、それでも壊れずにシリーズを完走しちゃった。(スコット・)ノートンやトニー・ホームやバンバン・ビガロとやっても(笑)。そういう怪物性が北村や岡にもある気はする。ただ、受け身とか最低限のものは覚えてくれないと、人材を壊すことになるので、習得すべきことは早く習得させたいですね」 “青い目のヤングライオン”ジェイ・ホワイトに胸を貸したプロレスリング・ノアの小川良成は、試合後にこんなコメントを残した。 「俺が新日本に上がるなんて想像もできなかったので、ちょっといい刺激をもらいました」 試合前にはノア期待の新人、清宮海斗と対戦する田口隆祐に小川が「しょっぱいから厳しくやってくれ」と話していたことも、田口のコメントから明らかになっている。 第1回大会は全試合で新日本vsノアというカードが組まれ、リングアナやレフェリーも両団体からそれぞれ務めた。第1試合では本城匠のデビュー戦の相手を“他団体”のマイバッハ谷口が務めたというのも異例である。現在のノアは昨年より新日本から乗り込んで来た鈴木軍と激しい抗争を繰り広げており、前日の後楽園大会で鈴木みのるに勝利し、杉浦貴が持つGHCヘビー級王座への挑戦権を獲得した中嶋勝彦は、鈴木に破壊された右腕の怪我を押しながらもガチガチにテーピングをして強行出場。ジュース・ロビンソンと今大会ベストバウト級の試合を行った。 「いつもの緑のマットとは違う熱が、ここにはあると思う。ぜひ2回目も開催してほしいですね。価値のある刺激が、このマットにあると思います。ノアも負けてられない」 試合後の中嶋はロビンソンとの対戦を振り返った後に『LION'S GATE』の継続開催を提唱した。中嶋に限らず、若手選手に胸を貸した両団体のトップ選手は新人選手との闘いを純粋に楽しんでいるように見えた。カード的には新日本vsノアという図式であるにもかかわらず、対抗戦というムードはなく、出場選手たちが団体の枠を超えてこのプロジェクトの趣旨を理解した上で試合に臨んだことが、大会を成功に導いた大きな要因ではないだろうか。 「試合の前の日、当日の朝までずっと、俺は『LION'S GATE』で何が必要か考えて、答えが出ないまま大会を迎えた。それで第1試合からずっと観てたら、ひたむきさとかがむしゃらとか、俺がとっくの昔に忘れてしまったこと、それを若い選手が見せてくれた。これが今日のテーマなんだって改めて思い知った」 これは天山広吉とのテンコジタッグで、平柳玄藩&キャプテン・ノアと対戦した小島聡のコメント。全9試合の中でこの試合だけチャレンジマッチという形ではなかったため、小島は試合直前まで己のテーマを見出すのに苦労したようだ。永田、中西とともに第3世代のテンコジだが、かつて開催されていた「夢☆勝ちます」には、彼らもヤングライオン時代にチャレンジする立場で出場している。通常興行でなかなかアピールする場がない第3世代にとって、『LION'S GATE』はあの頃とは違う意味で“再チャレンジ”できるチャンスなのだ。 「これから若い人材を、いろんなところから引っ張ってきたいと思います。最後は僕を打ち破って、若い選手が勝つのがいいんじゃないかと。ただ、僕の壁を打ち破るのは相当厳しいので、そこは覚悟しないとダメ」 メインでノアの北宮光洋と対戦した永田は、第1回大会をこのように総括した。永田としては、団体を問わず胸を貸すことに関して「いろんな選手とやるのはやぶさかではない」という。普段交わることがない他団体の若手選手にとって、永田を筆頭とする経験豊富な新日本の第3世代と対戦できることは財産であり、まさに第3世代の存在が『LION'S GATE』の価値を高めていくことになる。 興行面においてはプロ野球のファームのように、いずれは通常興行の日程に関係なく別動隊として『LION'S GATE』を開催していくのがベストだろう。新日本の大会が開催されている会場から離れていれば、同日開催でも問題ないだろうし、年に数回、後楽園ホールで“親子”興行を昼夜で開催しても面白い。『LION'S GATE』には、選手の育成に加えて、プロレス人口を増やすために小規模な地方会場でのシリーズ開催など、フットワークの軽さも期待したい。(増田晋侍)<リアルライブ・コラム連載「新日Times」VOL.8>
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アイドル 2016年03月06日 12時00分
AKB48メンバー 卒業後の進路は十人十色
初代総監督にして不動のリーダー、AKB48・高橋みなみの卒業がいよいよ間近に迫ってきた。2005年10月30日、24名のオーディション合格者を発表して以来、アイドル史上に例のないほどの人数が所属し、数えきれないほどのメンバーが卒業していったAKB48。グループ卒業後も続く、一人ひとりの人生。その道程も、一人ひとりさまざまだ。「元AKB」は今、どのような道を歩んでいるのか。主要メンバーの「その後」を振り返ってみよう。 AKB48初の卒業者は、創設メンバーのひとりでもある宇佐美友紀。秋葉原AKB劇場で初公演を行った2005年12月8日から翌年の3月31日まで、活動期間は4か月弱と短いものだった。アナウンサー専門学校在学中にアナウンサーやキャスター、リポーターなどを経験し、AKBのオーディションも「MC志望」で応募した宇佐美。グループでは最年長で、メンバーから頼られる存在だったが、「やっぱり、喋る仕事がしたい」と卒業を決意。アイドルとしては早過ぎる卒業だったかもしれないが、現在、イベントMCやTVリポーター、ラジオパーソナリティーなどで活躍する彼女を見る限り、早めに方向転換できたことは正解だったように思える。 ただ、すべての元AKBが、宇佐美のように目指していた道で活動していけるわけではない。アイドルが卒業後に、もしくは脱アイドル後に進む進路としては、やはり「女優」が最も一般的だろうか。AKBでも女優に転身する者は多い。しかし、華々しい活躍をしている者は決して多くはない。 AKBに限らず、アイドルが女優に転身する際の障壁となるのが、2つの“目”だ。固定観念と言い換えてもいい。ひとつは、業界や世間の目。アイドルとして名声を得た者ほど、卒業後、常に「元アイドル」という肩書きがついてまわる。その先入観が邪魔をして、演技に対する正当な評価が得られないことは多々ある。 もうひとつの障壁となる“目”は、意外かもしれないが、ファンの目だ。本来、卒業後のアイドルを支えていくべき存在なのだが、新たな道が必ずしもファンのニーズと一致するわけではない。新しい活動スタイルを受け入れられずに興味を失ってしまう者や、なかには、逆に“アンチ”へと回ってしまう者も。そんななかでは、前田敦子や大島優子など、かつてのトップメンバーはドラマに映画にと相応の結果を出している。特に大島は、卒業の年に出演した映画『紙の月』で、第38回日本アカデミー賞優秀助演女優など各賞を受賞。翌年には、『銭の戦争』(フジテレビ系)で連ドラ初ヒロイン、『ヤメゴク 〜ヤクザやめて頂きます〜』(TBS系)で連ドラ初主演。同年の秋には、稲垣吾郎主演『No.9 -不滅の旋律-』で本格的な舞台への初出演。また、現在放送中のNHK連続テレビ小説『あさが来た』にも、のちの「平塚らいてう」役で出演することが発表されたばかりだ。 もともと、演技だけでなくバラエティー的センスにも長けている大島は、番宣などでテレビ出演した際の立ち回りが上手く、一般層の好感度も着実に上げている。その証拠に、卒業後のCM出演数は元AKBでは群を抜いており、マイナビニュースが行った「AKB48卒業メンバーで最も活躍しているのは?」というアンケートでも断トツの1位だ。 大島優子や前田敦子の活躍には、AKB時代に手にした知名度が大きなプラスとなっているのは言うまでもない。在籍時、大島・前田ほどの人気や知名度はなかったものの、卒業後はドラマ、映画、舞台にコンスタントに出演し、「勉強熱心で存在感がある」と業界内での評価を上げているのが秋元才加だ。 最近では、15年8月に卒業した川栄李奈の活躍ぶりが著しい。特に、主演を務めた舞台『AZUMI 幕末編』では、激しいアクションも堂々とこなし、周囲の予想を大きく上回る好評を得ている。4月からスタートするNHKの朝ドラ『とと姉ちゃん』や秋公開の映画『デスノート2016』など、話題作への出演も次々に決まり、卒業によってステップアップを果たしたメンバーと言えそうだ。 アイドルにとって、最も経験値が高いはずの「歌手」の道は、女優以上に険しいのが実情だ。AKBでは、板野友美が在籍中から引き続きソロ歌手として活動しているが、卒業後にリリースしたシングル3枚ではオリコン3位、6位、6位と芳しい成績は残せていない。この結果も女優と同じように、AKB時代のファンが求める「板野友美」とのズレが要因のひとつと言えるだろう。 そういった意味では、今年1月の卒業発表時に「演歌一本でやっていく」と宣言した岩佐美咲のように、あえてアイドル色を払拭するのも長く生き残っていくためには、ひとつの手かもしれない。11年、演歌に強い老舗芸能事務所に移籍したことも、卒業後の進路に大きな影響を与えているだろう。演歌歌手へと転身し成功した元アイドルには、長山洋子、城之内早苗などがいる。 バラエティータレントという方向性も“ありがち”ではあるが、単なるお飾りではなく、大島麻衣のように数本のレギュラーを持つ売れっ子となるのは容易ではない。SDNではキャプテンを務めていた野呂佳代が、今、バラエティーで再ブレイクを果たしているのも、ダチョウ倶楽部・上島竜兵とのキスネタをこなすなど、アイドルとしての過去を捨てるぐらいの気概があればこそだ。 なにも芸能界に縛られる必要はない。「元AKB」というブランドを巧みに活用し、「実業家」として成功している例もある。卒業後、アパレル会社やネイル・エステサロンの経営で大成功。そのプロフィールのおかげで、在籍時よりもタレントとしての活躍が増えている川崎希。第1回じゃんけん大会でセンターポジションを勝ち獲った内田眞由美は、在籍時にオープンさせた焼肉店のオーナー業に力を入れている。 趣味や特技を生かし、転身を成功させたメンバーも。AKBのオープニングメンバーであり、SDNにも所属した戸島花は、人気マンガ『ヒカルの碁』の影響ではじめた趣味の囲碁を生かし、囲碁番組の司会、日本棋院の囲碁大使、囲碁雑誌での連載など、「囲碁タレント」として活躍中。日本国憲法の暗唱を特技とし、憲法の入門書を共著で出版した「憲法アイドル」の内山奈月も、アイドル以外の道を選んだようだ。 12年、インドネシアのジャカルタを拠点とする姉妹グループJKT48に移籍し、今年2月27日に年内卒業を発表した仲川遥香。彼女が選んだ「その後」も異色だ。普通ならば、JKT卒業後はファンの待つ日本へ飛んで帰り、再びAKBとして活動したいと思いそうなものだ。しかし、あえて日本には戻らず、幅広く海外で活動していくという。現地では、出演CM約30本、テレビのレギュラー番組も持つほどの売れっ子だったようだが、それでも日本に戻らないという選択は勇気のいる決断だったろう。 姉妹グループも含めれば、今後卒業を予定しているメンバーは、すでに発表されているだけでも14名。卒業ラッシュはまだまだ続きそうな気配だ。高橋みなみをはじめ、それぞれがどのような道へと進んでいくのか。もちろん、芸能や実業での成功を目指すだけでなく、学業に専念し、社会常識を身につけ、ごく普通の女性として幸せをつかむという道も、おおいに有りだ。【リアルライブ・コラム連載「アイドル超理論」第18回】
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芸能ネタ 2016年03月06日 12時00分
崖っぷちアナ・田中みな実に小林麻耶「お見合い婚活」のススメ
「フリーになってから、田中みな実アナ(29)がMCを務めた番組は1年持ったためしがありません。フリーアナにとってこれは“致命的”ですね」(テレビ局関係者) 田中は'14年10月、TBSの局アナからフリーに転身した直後、『ザワつく!?ウィークエンドTV ニュースな晩餐会』(フジテレビ系)の司会に抜擢されたが、低視聴率で10カ月間しか持たずに終了。そして、お笑いタレントの加藤浩次とMCを務めているバラエティー番組『巷のリアルTV カミングアウト!』(フジテレビ系)も3月いっぱいで終了することになってしまった。 「“打ち切り2連発”に、さすがの彼女も、かなり落ち込んでいます。TBS時代、“みんなのみな実”と呼ばれ、アイドルアナの名を欲しいままにしていた頃の輝きは全くありません」(番組制作関係者) いったい、彼女のどのへんに問題があるのか。 「“華”がないんです。その上、MCとしての仕切りのうまさや対応力もないので、視聴率が取れないんです。オファーは減って行くと思います」(芸能記者) さらに輪をかけて不幸なことがある。そう、この5月には“カトパン”こと加藤綾子アナ(30)がフリーアナとしてのキャリアを華々しく開始する予定なのだ。 「今、どこの局もMCに起用したいアナとして真っ先に名前が挙がるのはカトパンです。先輩で実力者のアヤパン(高島彩)の妊娠が判明したので、よけいにカトパンにオファーが殺到するはずです。田中とカトパン、どっちを起用するといったら、そりゃ、カトパンでしょう」(テレビ局プロデューサー) そこで、田中は局の大先輩でフリーの先輩でもある小林麻耶(36)に相談を持ちかけたようだ。 「小林もTBSからフリーに転身したものの、辛酸をなめていますから、わらをもすがる思いで相談したようです」(芸能記者) 先頃、『ブリカマぶるーす』でパンチラ歌手としてデビューも飾った小林。 「“お見合い婚活”でもしてはどうかと勧めたようです。オリエンタルラジオの藤森慎吾と破局後は浮いた話は聞こえてきませんが、もともと結婚願望は強い人ですからね。また、今年30歳になりますから、過去の女子アナたちがそうであったように、何らかの決断をしなくてはならない時でもあるんです」(同) はたして、“みんなのみな実”は一人の男のモノになれるのか?
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その他 2016年03月06日 11時00分
【幻の兵器】敗戦までに完成は3隻…「潜高型(せんたかがた)」実戦にも参加できなかった原因
第二次世界大戦前から大戦前半まで、潜水艦の水中速力は各国とも7〜9ノット程度で、それ以上の水中速力を発揮する潜水艦は非常に限られた存在だった。また、水中の潜水艦は水上航行中に充電した蓄電池の電力で電動機(モーター)を動かし、さらに電動機がスクリューを動かすのだが、蓄電池の電力は限られているため最大速力で水中航行を持続させることも非常に困難だった。もちろん、たとえ電力が残っていても艦内酸素が欠乏すれば乗員の行動に支障をきたすため、潜水艦といえども作戦行動の大半は通常動力で航行可能な水上で実施しており、特に反撃の可能性が少ない通商破壊戦においてはその傾向が強かった。 だが、潜水艦を通商破壊兵器とみなしていた諸外国と異なり、日本海軍は潜水艦を艦隊決戦時の補助戦力とみなしていた。とはいえ、同時に日本海軍は太平洋戦争開戦前の各種演習における結果から、潜水艦による敵主力艦隊への追尾や攻撃が極めて困難なことも実証的に理解していた。すでに演習では、日本海軍の敵主力艦隊を目標とする潜水艦戦術そのものに対する批判的初見さえ見受けられたのだが、現場の部隊においては「困難であっても各人が工夫して任務を完遂」するという決意で問題を克服することとなっていた。 というのも、有力な敵艦隊に対する水中襲撃を可能とすべく水中高速潜水艦の研究に着手しており、太平洋戦争前には七一号艦と呼ばれる実験艦を計画して様々な試験を行っている。この七一号艦は基地防衛用の小型潜水艦という建前で極秘に建造され、当時としては画期的な21ノットもの水中速力を発揮したが、実用性に問題があったことなどから実験のみに留まったという経緯があり、日本海軍は根本的な解決方法を見いだせなかったのだ。その後、水中高速潜水艦の研究は停滞したうえに、対米開戦が必至となったことから、必然的に通常型潜水艦の整備が優先されていった。 ところが、ソロモン方面において日本海軍の潜水艦はたびたび米空母機動部隊を捕捉しているものの、水中速力の不足等から攻撃に失敗しており、連合艦隊においても問題視されていた(注1)。そのため、軍令部は1943年に水中高速潜水艦の設計を要求し、潜高型(せんたかがた)という名称で建造を決定した。資料によっては、当初は25ノットの水中速力が要求されたが、計画を具体化する過程で計画水中速力は20ノットに減じたとしている。計画速力の低下を招いた原因は、減速ギアが大きな騒音を発したために電動機と推進器を直結したこととされているが、開発の詳細については不明点も多く、さらなる研究が必要だろう。 訓練や実戦において得られた教訓から、潜高型は七一号艦や甲標的(洋上で母艦より発進して敵主力艦隊を襲撃する水中高速潜水艇)の経験を踏まえて開発され、高速航行中の敵艦隊への肉迫攻撃を目的としていた。また、後述するように潜高型は水中充電装置や水中巡航用の補助電動機を備えておらず、艦内容積が小さくて酸素の絶対量が少ないこととあいまって、長時間の水中航行にはあまり向いていない構造だった。 その他、後述するような事情で変更されたものの上甲板を鉄製とするなど、艦橋を始めとする構造物を可能な限り滑らかにした上、潜航中は対空機銃も船体に格納するなどして水中速力の向上に努めた。とはいえ、艤装(ぎそう)員長が回想しているところでは鉄製の上甲板が急速潜航時に残存空気の排出時間が予想を上回ったため、速力の低下をしのんで木製甲板にしたとある。その上、完成後にいわゆるシュノーケルのような水中充電装置(航走中は充電できないが、停止状態なら水中でも充電可能となる装置)を追加装備するなどしたため、最終的な最大水中速力は17ノットにまで低下している。 加えて、潜高型の航続距離は各種伊号潜水艦の2割から3割程度で、中型潜水艦と同程度しかない。このことから、例えば南洋諸島の基地近海で敵艦隊を迎撃するような開発意図を持っていたと推測されており、少なくとも通商破壊作戦には全く不向きであることは明らかだった。 ともあれ、以上のように潜高型は甲標的の拡大型ともいえる構造で、極短期間に設計を完了している。早くも1944年には呉工厰で起工し、戦況が緊迫の度合を高めていく中で建造工事そのものは急ピッチで進み、翌45年には竣工している。同じく戦時下で急増された丙型や乙型潜水艦の建造期間は概ね18か月前後かかっていたが、潜高型は電気溶接とブロック工法を全面的に採用したことから大幅に建造期間を圧縮した。さらに、潜高型に大きな期待を寄せていた軍令部は20隻もの同型艦を追加建造することとしているが、敗戦までに起工したのは8隻に過ぎず、完成したのはわずか3隻で実戦にも参加できなかった。 大きな期待を寄せられていた潜高型ではあったが、実際に運用してみると様々な技術的トラブルが頻発してしまい、実用兵器として実戦に投入するどころではなかった。具体的には主機であるマ式一号ディーゼル機関の不調と水中安定性の不足、充電能力の不足、蓄電池の過熱や整備困難、また電池耐久力の不足など、いずれも潜水艦としては致命的な問題ばかりだった。中でも深刻だったのは蓄電池に関連する様々な問題で、電池の不具合によって潜高型は実用性を大きく損ねてしまったのである。 水中で高速力を発揮するためには大容量蓄電池が不可欠だったのだが、当時は手頃な大きさの大容量電池が存在していなかったのである。蓄電池の研究開発は横須賀工廠電池実験部と民間の湯浅蓄電池製造株式会社、日本電池株式会社が行っていたのだが、新規に大容量蓄電池の開発を行う余裕はないと判断され、甲標的に搭載していた超大容量蓄電池を流用することとなったのである。 しかし、甲標的用電池の搭載にはいささか無理があり、実に2068器もの蓄電池36群にわけて並列装備した上、艦内容積の関係から積み重ねたために温度差が生じて維持管理に莫大な手間がかかった。そればかりか、耐久力が小さいため再充電回数が限られており、実用性には非常に大きな問題があったのである。その他、潜高型は巡航用の電動機を備えておらず、常に主電動機を使用しなければならないという問題も抱えていた。また、前述の様に竣工当初の潜高型は水中充電装置を備えておらず、艦内容積が小さいこととあいまって、実際の水中行動時間は伊号潜水艦よりも短かったと推定される。最終的に、これらの問題点が解決されなかった事が潜高型の実用化を阻んだといえ、もし多数の同型艦が建造、配備されていても、連合軍の対潜能力が向上した第二次世界大戦末期においては、兵器として有効に活躍することはできなかったのではないだろうか。 ただし七一号艦の段階で日本海軍が水中高速艦の有効性に気づき、たとえ少数でも開戦時に実用段階の潜高型を保有、配備していたなら情況はかなり異なっていただろう。確かに蓄電池をはじめとする様々な問題はあるものの、基本的に潜高型は開戦当時の技術水準で実用化可能な兵器であり、ソロモン方面で史実より1隻でも多くのアメリカ空母が失われていたなら、連合軍は間違いなく極めて困難な事態に直面していただろう。(隔週日曜日に掲載) (注1):連合艦隊参謀長宇垣纏中将の日記である戦藻録には、昭和17年8月30日付けで以下のような記述がある(要点のみ)。前略〜物を見る事之にて十回めと云ふに何等実撃を加へざるは惜しき哉。潜水艦は通商破壊と諜報機関以外に価値無きものと識者の言うも宜なりと感ぜらるる。其の鼻をあかすの為にも一撃をこそ望ましけれ。〜後略 ■潜高型(せんたかがた)データ水上排水量:1070トン水中排水量:1450トン全長:70メートル最大幅:5.8メートル機関:マ式一号ディーゼル2基、2軸水上出力:2750馬力水中出力:5000馬力水上速力:15.8ノット水中速力:19ノット航続距離(水上):14ノットで5800海里航続距離(水中):3ノットで135海里安全潜航深度:110メートル兵装:魚雷発射管4門(魚雷10本)25ミリ機銃2門
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アイドル 2016年03月05日 18時00分
“絶対にコケられない” 嵐・マツジュン主演の日曜ドラマ
ジャニーズの人気グループ「嵐」の松本潤が4月からTBSでドラマ「99.9 -刑事専門弁護士-」に主演するが、絶対外せないと、局内でのプレッシャーはハンパではない。 松本が主演するのはTBSの日曜劇場枠だ。近年では「半沢直樹」や「下町ロケット」などの大ヒット作も生まれることのある時間枠だが、現在オンエア中の「家族ノカタチ」はSMAPの香取慎吾が主演するも視聴率は一ケタ続き。 ある出版関係者は「一昨年には錦戸亮が主演した『ごめんね青春!』が平均7.7%と大コケしているように、骨太な作品が求められる時間枠なんです。『99.9』のストーリーの方向性は大コケする感じではないようですが、ジャニーズ続きですからね。視聴者が食いついてくれるかどうかという不安はあるみたいですし、万が一、『家族ノカタチ』を超えられないようならばと、関係者は必死の形相になっている」。 無理もない。これまでのTBSのドラマ班はどちらかといえば、SMAPを育ててきた飯島マネージャー寄りといわれてきたが、先の独立問題でジャニーズを辞めている。 「今後のジャニーズはジュリー副社長が舵取りをするのが決まっていて、嵐はそのジュリー副社長が目に入れても痛くないほどかわいがっているグループ。ここでコケてしまえば先々のタレント起用にも影響してきますからね。必死になるのも無理はないですよ」と同関係者。 先月には放送開始1か月前にも関わらず松本がTBSの番組に出まくりという大掛かりな番宣をした。同関係者は「まだ序の口ですよ。ジャニーズに対して必死さをアピールするためにも、2週間前になったら、『99.9』のオンパレードになりますから。それだけTBSも必死なんです」。 この必死のアピールがどう視聴率に反映されるか。
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アイドル 2016年03月05日 17時45分
【帰ってきたアイドル親衛隊】少し前までアイドルとして歌っていた子が脱ぐなんて…想像すらできなかった加藤香子
今のようにグラビアアイドルが当たり前のようにたくさんいる時代ではなかった1980年代前半に、セクシーで可愛いアイドルがデビューした。83年にミスマガジンに選ばれて、『DELUXEマガジン』の表紙にビキニ姿で初登場し大きな話題となった加藤香子(かとうきょうこ)である。童顔でボイン(当時まだ巨乳という言葉がなかった)であり、今後が楽しみな逸材だった。 そんな注目の加藤だが、84年に『偽名』でレコードデビューすることになった。84年といえば、岡田有希子・菊池桃子・荻野目洋子などが同期であり、その間に割って入ってくることになり、スタイル抜群のグラビアからスタートした子がどのような展開になるのか楽しみだった。84年はレコードレビューの年ということもあり、新人賞獲りレースにも参加したのだが、上位に食い込むこともなく敗退してしまった。しかし人気がなかった訳ではなく、イベントやレコードのキャンペーンなどでは多くのファンを動員して、グラビアもできるアイドル歌手として注目されつつあった。 そんな加藤が気になりだしていた私は、84年10月にセカンドシングル『勝手にさせて』の発売イベントに行くことにした。10月の終わりごろで、少し肌寒い日だったが、後楽園けやきステージで行われるので、いつものように自転車を走らせて向かった。イベント開始の30分前くらいに現地に着くと、ほどよく席は埋まっていたが、前方にポツンとひとつだけ空いている席があったので、そこで観ることにした。写真を撮るのにも絶好のポジションだったので、我ながら席運には恵まれていると思っていた。 イベントは、まず新曲の『勝手にさせて』からスタートした。さらにデビュー曲『偽名』などを歌い、全5曲を披露し、約40分のステージを楽しませてくれた。イベント終了後にはレコード購入者対象の握手会が始まるのだが、この日は金欠でレコードを買うお金を持っていなかったので、握手会の様子をひたすら目の前で見ているだけだったのだ。とりあえず握手会が終わるまで、ずっとその様子を見ていたのだが、人の握手を見ているだけでは、ただただ空しくなるだけだった。30分くらい握手会が続いて、ようやく終わりになった時、ステージから降りる加藤に向かって「頑張って」と声を掛けるのが精一杯だった。そんな私のどうでもいい一言に対しても笑顔で微笑んでくれた。それだけでも満足だった。 85年1月に3枚目のシングル『本牧レイニー・ブルース』の発売が決まったので、今度こそイベントに参加しようと意気込んでみたが、この曲のキャンペーンイベントには行けなかった。また次の機会にと思っていたが、このシングルを最後にレコードの発売はなくなってしまい、アイドル歌手しての活動は終わりに向かっていってしまった。86年には映画『まんだら屋の良太』の出演が決まった。どんな役どころなのか楽しみにしていたら、何と映画でヌードになっているではないか。これはかなり衝撃的で、少し前までアイドル歌手として歌っていた子が脱ぐなんて想像すらできなかった。 確かにアイドル歌手活動の前がボインでグラビア活動をしていたくらいなので、こんなオファーがあっても不思議では無かったが、個人的にショックは大きかった。その後すぐに、写真集『あれから』を発売して、ここでもヌードを披露していた。もうここでは驚きも無かった。 写真集発売後には、引退を宣言したわけではなかったが、芸能活動はしていた様子もなかったので、このまま芸能界からフェイドアウトしてしまった感じだ。約3年の芸能活動という短い期間だったが、私の中に強烈なインパクトを与えてくれたアイドルのひとりである。でも悔やまれるのが、1回しか会っていないことだ。しかもレコードを買うのをケチって握手すらしなかったことを今でも後悔している。今さら後悔してもどうにもならないが、こういう後悔を経験したからこそ次なるステップに進めているような気もする。これからも色々な後悔をすると思うけど、まだまだ私のアイドル道は続いていくことだろう。(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。
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社会 2016年03月05日 17時44分
犬を飼うと若返る? ペットが人にもたらす効果とは
道を歩いていると、ペットを連れて歩いている方をよく見かけます。ペットというと定番はやはり犬や猫ですが、なかには鳥や爬虫類、さらにもっと珍しい動物を飼っている方もいます。 ペットを飼う理由は人によって様々。関わりもとても深く、歴史も長いですが、いったいなぜ人はペットを飼うのでしょうか。 医師の小田切ヨシカズ先生に、ペットを飼うことによってもたらされる効果など、医学や生物学的な面からお話をお聞きしました。■可愛らしさが赤ちゃんと共通する 「人間の赤ちゃんを見たとき、多くの人が可愛いと思います。こうした感情を湧き立たせる要因として見た目の可愛らしさが挙げられますが、同様の特徴をペットに見出すこともあります。人間の赤ちゃんの特徴として、体の割合に対して頭が大きく、目が丸く大きい。手足も短く全体的に丸っこいというのが挙げられます。これをベビーシェマと言います。人がベビーシェマを目にすると、心に『放っておけない』『守ってあげたい』といった感情が芽生えます。ペットを飼う理由として、このベビーシェマも要因のひとつとして挙げられるでしょう」■ペットがリラックス効果をもたらす 「動物にはグルーミングという行動があります。お互いに毛づくろいしたり、ノミ取りをしたりする行為ですが、これにはリラックス効果も含まれていると言います。撫でることで血流が促されるという効果によるところもありますが、緊張がほぐれることで、セロトニンやオキシトシンといったホルモンが分泌し、リラックス効果が促されます。これは、受けている側にも行っている側にも効果があり、人間がペットを撫でることで癒しを与えてもらっているということに繋がってきます」■アンチエイジング効果も! 「ある研究によると、『犬を飼っている人の精神的な幸福度は、飼っていない人よりも高い』という結果が出ています。また別の研究では、『犬を飼っている65歳以上の人は、犬を飼っていない人に比べて運動量が多く、肉体的にも10歳近く若い』という結果も。やはり、犬を飼うと散歩がどうしても必要になり、必然的に運動量も増えます。他のペットでも、世話などの面で体を動かす機会も増えるでしょう。そこにリラックス効果なども加わって、アンチエイジング効果が促進され、老化防止に繋がります」 心に余裕がなく時間もないと思っている方でも、ペットを飼うことで逆にゆとりを持つことができたという方。奥様や旦那様に先立たれてしまい悲しみにくれていたところで、ペットを飼うことで生きがいを見出したという方もいるそうです。 ペットを飼うことには様々な意味があります。得られる効果は本当に大きい。時に“家族の一員”と表現されますが、それも頷けるところですね。【取材協力】小田切ヨシカズ湘南育ちのサーファー医師。ワークライフバランス重視の36歳。現在、横浜の内科クリニックに勤務中。
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レジャー 2016年03月05日 17時39分
ハッシーのロックオン〜狙ったレースは逃さない!〜(3月6日)弥生賞(GII)他2鞍
ど〜も! ハッシーです。先週は阪神11Rが◎→△→△で決まり、馬単2,660円、3連複4,070円、3連単18,050円のトータル24,780円をゲット。ようやく調子が上がってきました。今週もビシッと当てていきますよ!☆小倉10R萌黄賞(芝1200m) マイネルパッセは、前走かかり気味に進み、道中は外を進みながら4コーナーではさらに大外を回したのにもかかわらず、最後まで脚を伸ばし3着と負けて強しの内容。ロスの少ない走りをすれば今回は勝ち負け必至。◎(3)マイネルパッセ○(7)ミスズスター▲(18)ペルルクロシュ△(9)バトルグランドリイ△(10)ナイトオブナイツ△(16)サニーデイヒーロー買い目【馬単】6点(3)→(7)(9)(10)(16)(18)(7)→(3)【3連複1頭軸流し】10点(3)-(7)(9)(10)(16)(18)【3連単フォーメーション】20点(3)→(7)(9)(10)(16)(18)→(7)(9)(10)(16)(18)☆中山9R潮来特別(芝2500m) メンバーを見渡すと後方から競馬をするタイプが多い当レース。となればペースが落ち着く可能性は高い。ましてや長距離戦となればその傾向が強く、ここは昇級初戦ながら前走早めの競馬から押し切ったサブライムカイザーを本命に推す。◎(7)サブライムカイザー○(5)ディスキーダンス▲(4)ウインインスパイア△(3)ヴェラヴァルスター△(9)エイダイポイント買い目【馬単】4点(7)→(3)(4)(5)(5)→(7)【3連複2頭軸流し】3点(5)(7)-(3)(4)(9)【3連単2頭軸マルチ】18点(5)(7)⇔(3)(4)(9)☆中山11R弥生賞(GII)(芝2000m) 見応えがあった昨年の朝日杯FS。4コーナーを回る際はエアスピネルの勝利を確信したものであったが、リオンディーズの豪脚には言葉を失った。今回も再度その闘いが見られるかと思うとわくわくするが、馬券を買う方からすると点数を絞らなければトリガミになる可能性大のレース。どちらを本命にするか迷うところであるが、馬体からはマイラー体型で完成度が高いエアスピネルに対し、中距離体型で伸びしろがまだまだありそうなリオンディーズ。普通に考えれば後者に分があるように考えられるが、今回は舞台を考慮してエアスピネルを本命に推す。前走は直線の長い阪神競馬場であったことや、鞍上の武豊騎手自身リオンディーズがあんな豪脚を持っていることは知らなかったため。今回の舞台は立ち回りの上手さがアドバンテージとなる中山競馬場。鞍上の武豊騎手も今度はリオンディーズの脚を考えて競馬をするだろう。そうなればエアスピネルに逆転の芽があると見る。対抗はもちろんリオンディーズ。▲は前走の若駒Sで軽く追っただけで着差以上の強さを見せたマカヒキまで。◎(4)エアスピネル○(10)リオンディーズ▲(11)マカヒキ好調教馬(10)(4)買い目【馬単】2点(4)→(10)(11)【3連複】1点(4)(10)(11)【3連単フォーメーション】2点(4)→(10)(11)→(10)(11)※出走表などのデータは、必ずJRA公式発表のものと照合して下さい。<プロフィール>ハッシー山梨県出身。浦河にある生産牧場を経て、在京スポーツ紙への入社。牧童経験を活かし、数々の万馬券を的中する。中にはパドックで選んだ4頭で決まり3連単100万円越えもあり。予想スタイルは馬の適性、過去のレース内容、調教を重視。