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芸能ネタ 2016年05月30日 12時00分
加藤綾子 「最強に嫉妬した」有働由美子と紅白バトル勃発
4月末でフジテレビを退社しフリーになった“カトパン”こと加藤綾子(31)が、独立早々“最強アナ”NHKの有働由美子(47)にケンカを売ったという。 「カトパンは5月4日に行われた、フジ退社後初の特番司会を務める『一流が嫉妬したスゴい人』(フジテレビ系)の会見に出席。番組名にちなみ、嫉妬した人がいるか聞かれると、いきなり『NHKの有働由美子さん』と、禁断の大物アナの名を出し、現場は騒然となりました」(芸能ライター) 加藤は、有働アナが昨年10月、NHK『あさイチ』放送中に「つけまつ毛とれちゃった」と発言した話などを引き合いに、「恥ずかしいと思うことも、魅力の一つに変えられる」と表向きは称賛した。 「カトパンはさらに、有働アナのことを『最強に嫉妬しました』ときっぱり言い切ったのです。一見、リスペクト発言にも聞こえますが、実際は彼女を挑発した発言ですよ」(同) これを聞いた有働アナはかなりご立腹とか。 「彼女自身、何年も前からフリー話が浮上しているが、局から慰留されいまだに独立できない状況。有働アナとしては、“フリーになれなかったアラフィフアナ”とバカにされたように感じたのでは」(NHK関係者) さらに、加藤が有働アナの名前を出した裏には、大みそかの『NHK紅白歌合戦』司会を狙っていると見る向きもある。 「紅白は昨年も司会者選びで難航し、結局、紅組を綾瀬はるか、総合司会を有働アナと黒柳徹子で落ち着きました。先の会見でも紅白司会について聞かれ“絶対無理ですよ”と謙遜しましたが、内心は“強奪”を狙っているはず。紅白司会を6回務めた“横綱”有働アナとのバトルは、ますます過熱化するでしょう」(同) 加藤はこれまで、ダルビッシュ有や片岡治大、『EXILE』TAKAHIROらと浮名を流したが着地せず。一方、有働アナも'13年11月に交際が報じられた静岡の空調設備会社役員と熱愛中とされる。 「有働アナは遠距離恋愛であることから、なかなかゴールインできない状態が続いている。しかし、今回の“挑発”で奮起し、目に物見せてやるとばかりに一気に結婚を強行するかもしれませんね」(芸能記者)
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芸能ネタ 2016年05月30日 11時33分
苦しい胸の内を明かした福山雅治
歌手で俳優の福山雅治が28日、パーソナリティーを務めるTOKYO FMのラジオ番組「福のラジオ」で、今月6日に発生し、22日までに自称・福山ファンの女性コンシェルジュが逮捕された自宅マンションへの不法侵入事件について事件後、初めて語った。 冒頭の約4分半、福山は事件について言及。「私の個人的なことで、報道で、事件報道として取り上げられることがありましたけども、本当にお騒がせしまして、ご心配をおかけしました」と切り出した。 犯人が侵入時、福山は外出中で、帰宅した妻で女優の吹石一恵が犯人と鉢合わせ。犯人は逃走したと報じられているが、「本当にですね、ケガもなく、なにごともなく、とられたものもなく、とりあえず無事」としたが、「もちろん気持ちのいいものではございませんから、いろんなことを考えましたけども」と心境を明かした。 また、「こういう機会ですから、あえてね、お話しますけども、デビューして今までっていうのは、いろいろありますよ。怖い思いもしましたよ。表面化してるものもあれば表面化してないものもある」と、これまでも同様のトラブルに巻き込まれたことを明かした。 そのうえで、ファンに対して、「僕のファンは、すごくやさしいファンの方ばっかりですよ。これからも変わらず、僕を始め、福山のスタッフ、我々はですね、あなたを信じておりますので」と呼び掛けた。 「福山といえば、熱烈なファンが多いことで知られているが、犯人のように“実力行使”に出るファンはなかなかおらずショックだったのでは。主演ドラマ『ラヴソング』(フジテレビ)の視聴率が低迷するだけに、これ以上のファン離れを食い止めるためにも、苦しい胸の内を明かす決意をしたのだろう」(芸能記者) ラジオでの発言が、30日放送の同ドラマの視聴率にどう影響するかが注目される。
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芸能ニュース 2016年05月30日 10時54分
内田彩が8月13日に日本武道館でソロライブ開催
声優・内田彩が8月13日に日本武道館で単独ライブを行う事が決定した。 2014年11月にアーティストとしてソロデビュー。これまでに4枚のアルバムをリリースしてきたが、武道館ではそれらに収録された持ち歌34曲全てを披露する「全曲ライブ」に挑む。 同ライブの開催は5月28日に行われたコンセプトライブの夜公演で発表された。同日昼公演ではバックにバンドを従え、クールでロックなパフォーマンスを披露。一方、夜公演では時折ダンスも交えつつキュートでポップなパフォーマンスを披露した。 1日で2公演を行い、全く対極の魅力を見せた彼女だけに、8月の武道館ライブでどんなステージを魅せるのか、期待したい。 なお、6月には仙台を皮切りに、大阪、横浜の3都市でライブツアーを開催する。
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芸能ネタ 2016年05月30日 10時50分
ダウンタウン松本人志 サラリーマン川柳の1位を「プロはまったく納得していないよ」
お笑いコンビ、ダウンタウンの松本人志が、29日に放送された『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、毎年恒例の、サラリーマン川柳についてコメントした。 「僕、これね、いつもひっかかる。1位がいつも、そんなおもろい」と語った松本。さらに、今年の1位が発表されると、「全然1位じゃないから、これを決めたヤツのセンスを疑うよ」として、さらに、「プロはまったく納得していないよ」とも。 ただ、そんな松本に対してウエンツ瑛士が、「つらいですよ。一般の人にこんなにプロがキレてるの…」と一言。「サラリーマン川柳は面白いじゃなくて、サラリーマンの悲哀をうたうわけじゃないですか。そこをわからないプロがいるなんて」と冷静に指摘した。
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レジャー 2016年05月30日 09時00分
【第83回日本ダービー】マカヒキ、ゴール前競り合いの末ハナ差で勝つ
競馬の祭典「第83回日本ダービー」(GI・芝2400メートル、29日東京18頭)は、最後の坂を上がってからマカヒキ(57キロ川田将雅騎手3番人気)と、サトノダイヤモンド(57キロC.ルメール騎手、2番人気)が火の出るようなデッドヒートを繰り広げ、ゴールではマカヒキがハナ差抜け出して優勝。皐月賞2着の雪辱を果たし頂点を極めた。2分24秒0。1番人気を集めた皐月賞馬ディーマジェスティ(57キロ蛯名正義騎手)はサトノダイヤモンドから1/2馬身差3着に終わった。その結果、24度目の挑戦となった蛯名騎手の大願は今年も成就しなかった。 マカヒキは父ディープインパクト、母ウィキウィキの牡3歳馬(鹿毛)。馬主は金子真人ホールディングス(株)。戦績は5戦4勝。主な勝ち鞍=重賞2勝目(16年弥生賞)。川田騎手、友道康夫調教師とも初勝利。「配当」単勝(3)400円複勝(3)130円(8)120円(1)140円枠連(2)(4)700円ワイド(3)(8)240円(1)(3)280円(1)(8)310円馬連(3)(8)700円馬単(3)(8)1420円3連複(1)(3)(8)850円3連単(3)(8)(1)4600円*レース結果については、必ずJRA公式発表でご確認ください。
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その他 2016年05月29日 15時00分
【幻の兵器】完全に時代を先取りしていた優れた機動力を持つキャタピラ式輸送車両「一式装甲兵車」
太平洋戦争において、アメリカのハーフトラックはトラックと同程度の機動力しか発揮することができず、軍関係者を失望させた。戦後、アメリカ軍は地形的制約の厳しいアジアで、機動歩兵の運用は不可能と判断した。しかし、朝鮮戦争やベトナム戦争を経て、アメリカも1970年代にはアジアで機動歩兵が運用可能であることを知る。 ところが、アメリカよりも30年以上早い1930年代において、既に日本はアジアで機動歩兵運用の見通しを持っていた。日本軍がアジアで機動歩兵の運用が可能であると判断したのは、アメリカのハーフトラックとは比較にならないほど優れた機動力を誇る輸送機材を開発していたためである。その輸送機材とは、一式装軌自動貨車のことに他ならない。この一式装軌自動貨車は優れた機動力を持つキャタピラ式輸送車両で、エンジンとラジエーターを車体前面に配置した設計は非常に革新的であり、完全に時代を先取りしていたのである。 八九式中戦車の量産を開始した日本陸軍は、次の段階として機械化部隊の編制に着手した。機械化部隊を編制したといっても、単に戦車を集めて指揮官を定めただけでは部隊にならない。当然ながら随伴する歩兵や火力支援を提供する砲兵は必要だし、整備や通信、工兵といった支援部隊も必要である。そのため、日本陸軍は1933年に当時最新鋭の九○式野砲を車両牽引可能とした機動九○式野砲を開発し、さらに歩兵や支援部隊の機動展開を可能とする装軌自動貨車の開発試作にも着手した。 加えて1934年には独立歩兵第一連隊や戦車第四大隊、独立野砲兵第一大隊、独立工兵第一中隊などから、日本初の機械化諸兵連合部隊である独立混成第一旅団を編成した。機械化部隊と名乗るだけあって、独立歩兵第一連隊をはじめとする歩、砲兵部隊は完全に自動車化され、工兵中隊には開発されたばかりの装甲作業器が配備されていた。翌35年には戦車第三大隊が編制に加わり、砲兵大隊も1個中隊が増強されて4750名の将兵と750両の車両を擁する大部隊へと成長している。 機械化諸兵連合部隊といっても中核となったのは各師団から選抜した将兵から新たに創設された独立歩兵第一連隊で、戦車第三、第四大隊は歩兵を支援するのが目的だった。日本陸軍が創設しようとしていたのは、戦車によって敵陣地を突破した後に歩兵が前進するという戦術を実行するための部隊であると見て、ほぼ間違いないだろう。ともあれ、そのきっかけがなにであったとしても、前進する機動歩兵という発想は非常に優れていた。だが、せっかく芽生えた先進的な発想も、軍上層部の誤断によってつみとられる。 日本は1937年に中国との間で大規模な武力衝突を引き起こし、同じ年には独立混成第一旅団は北京の西方で実施されたチャハル作戦に参加したのだが、参謀でありながらなぜか作戦の指揮を執っていた東條英機中将(当時)は戦車部隊を第五師団へ派遣し、歩兵連隊は第二六師団と行動を共にさせるなど、部隊の統一性を全く無視した運用を行った。その結果、当然のように独立混成第一旅団はほとんど活躍できず、陸軍部内では機甲部隊無用論が大勢を占めるに至ったのである。翌1938年には独立混成第一旅団が解隊され、日本陸軍最初の機械化部隊は消滅した。そして、独立混成第一旅団の運命は、装軌式自動貨車の開発にも大きな影響を与えることになる。 独立混成第一旅団創設前年の1933年に、自動車工業株式会社(石川島自動車製作所とダット自動車が合併して誕生した国策企業)は日本初のキャタピラ式輸送車両である試製装軌自動貨車を完成させた。試製装軌自動貨車はTC車とも呼ばれ、走行性能には見るべきものがあったが、車体後部にラジエーターがあるために側面からしか荷物の積み卸しができなかった。その後、翌34年と35年には改良を加えた試作車(TE車とTG車)が完成し、様々な試験を行っている。 当時は欧米諸国でも全装軌式輸送車両はほとんどなく、ロシアのアレクサンデル・ケグレスが開発し、その後フランスが中央アジア探検などに使用していたハーフトラックが有望視されていた。初期のハーフトラックは文字通りトラックの後半をキャタピラ化した車両で、自動車工業の発達していた欧米諸国においては比較的低いコストで生産することが可能だった。だが、当時のハーフトラックはステアリングを前輪でのみ行っていたため、小回りが利かない上にわだちや軟弱地にハンドルをとられることが多かった。 自動車工業が未発達だった当時の日本にとっては、ハーフトラックでも十分に高価な車両であったから、不整地走行能力に勝るキャタピラ輸送車を研究、開発するという判断は非常に優れていたといえる。実際、なにかあればすぐ欧米の流行を無批判に取り入れたがる日本陸軍の中にあって、ヨーロッパを中心に流行していたハーフトラックを避け、装軌輸送車両の開発を推進した開発陣の先見性は十分に評価されるべきだろう。 最終的に、試作車両は試製九八式装軌自動貨車へ発展し、少数が生産されたうえで一部が実戦部隊に配備された。だが、独立混成第一旅団が解隊されたこともあり、自動貨車は試作のまま開発中止となった。つまり、兵器の開発という点においても、進歩的な発想の芽はつみとられたのである。 ところが1939年にドイツ軍がポーランドを電撃的に征服し、機械化部隊の威力が誰の目にも明らかになると、日本陸軍は再び装軌式輸送車両に興味を示し始める。太平洋戦争開戦後の1942年には試製九八式装軌自動貨車を改良した車両を一式装軌自動貨車として制式採用し、新たに編成した戦車師団に配備している。さらに陸軍は兵員輸送車も整備することとして、同じ年には一式装軌自動貨車の変形である一式装軌兵員輸送車も完成させている。これらの車両は満州と本土、フィリピンに少数ずつが配備された。だが、強力な米軍を相手にしたフィリピンでは機動戦どころか反撃さえままならない有り様で、ほとんど活躍できないままに破壊されていった。 とはいえ一式装軌自動貨車は日本軍が研究してきた装軌式輸送車両の集大成であり、性能的には第二次世界大戦中でもトップクラスといえる。特に兵員室と動力、冷却器の配置については兵員や搭載物の積み卸しもしやすく、完全に世界の最先端を行く設計だった。だが、いかに優れた兵器であっても生産数がわずかでは戦力にならない。対照的に、アメリカのハーフトラックのように少々見劣りする部分がある兵器でも、短期間に数万の単位で前線へ投入することができたのならば、それは十二分に戦力となるのである。 (隔週日曜日に掲載) ■データ 一式装甲兵車 ホキ 重量:6.5t 寸法:全長4.78m、全幅2.19m、全高2.51m 動力:ディーゼルエンジン134馬力 性能:最大速度:42km/h 航続力:300km 兵員輸送能力:12〜13名
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スポーツ 2016年05月29日 15時00分
プロレス解体新書 ROUND3 〈ジャンボ鶴田の偉業〉 AWA王者として全米ツアー
本場アメリカで最も活躍した日本人レスラーは誰か。人によって評価の基準は異なろうが“格式”という点ではジャンボ鶴田だ。 世界三大タイトルAWAのメジャー王者としてベルトを巻いただけでなく、米国内でツアーまでこなした日本人は、これまでに鶴田ただ1人なのである。 鶴田ほどに現役当時の実力と人気が乖離していたレスラーはいないだろう。 アメリカにおいての人気や知名度ではグレート・ムタやババ・ザ・ジャイアント(ジャイアント馬場)に引けを取るかもしれないが、鶴田はメジャー王者だったのだ。王者として巡業することは、つまり団体の命運を握ることであり、その責任の重さは計り知れない。 そのAWAのベルトを奪取したのが1984年2月23日、蔵前国技館でのニック・ボックウィンクル戦。鶴田の持つインターナショナルヘビー級王座とAWAの二冠戦として行われた。 鶴田がそのインター王座を獲得した前年8月のブルーザ・ブロディ戦で、師匠の馬場は「今日からおまえがエースだ」と勝利を讃えている。 それでも当時は、まだまだ“馬場の全日本”であり、タイガーマスクや維新軍などの新風に沸く新日本とは、大きく水を開けられていたのが実情だった。 鶴田を確固たるエースとしてファンに認めさせるには、それまでの海外一流選手と好勝負はしても勝ちきれない、“善戦マン”との評価を変える必要があった。 そのためにまず行われたのが、ルー・テーズによる“へそで投げるバックドロップ”の伝授であり、続いてのインター王座獲得。そうして迎えたAWA戦は、鶴田にとって必勝が義務付けられていたといっても過言ではない。 「ただし、いくら世界戦とはいえ、ニックと鶴田で大会場を埋めるのは難しいというのが会社の判断で、特別レフェリーには前年に引退試合を行ったテリー・ファンクが配された。さらに、セミファイナルでは、天龍源一郎とリッキー・スティムボートのUN世界王座決定戦も組まれました」(元・全日関係者) ちなみにこのUN王座はデビッド・フォン・エリックが保持していたが、防衛戦のため来日した直後に急死。急きょ決定戦に変更されて、天龍悲願の初タイトル獲得となっている。 メーンの鶴田vsニックは30分を超える熱戦となった。ニックの執拗な腕攻めなど老獪なテクニックに翻弄されながらも、鶴田は随所にパワーを発揮し、最後はテーズ直伝のバックドロップで仕留めてみせた。 鶴田の完勝によるAWA奪取と、その3日後の大阪での防衛戦は、ファンにとって意外なものだった。 「たとえ鶴田が勝っても、特別レフェリーのテリー絡みのトラブルで“タイトル移動がなくなるのでは?”との予測が外れたのがまず一つ。さらに2度試合が組まれていることから、馬場のNWA王座と同様、もし獲っても“すぐに陥落するレンタル王者に終わるのでは?”との見方です。いずれも杞憂に終わりました」(プロレスライター) この直後からアメリカに渡って3度の防衛戦をこなすと、帰国してさらに3戦。再度アメリカでツアー参戦し、5月にリック・マーテルに敗れるまで計16度の防衛を重ねることになる。 今に至るまで日本人プロレスラーの誰も成し遂げたことのない、まさに偉業である。 この米国防衛ロード、全日本側には鶴田格上げのためとの明確な理由があったが、ではAWA側が、なぜ未知数の日本人を王者に迎えたのかといえば、それにも理由はあった。 「80年代に入り激しさを増したWWFの攻勢に、AWAは大きな危機感を覚えていた。それでテリトリーを日本にも拡大しようという意図から、鶴田を王者に抜擢したわけです」(同) ところが、そんな両者の目論見はもろくも崩れる。 まず、当初の予定で鶴田は日米を股にかけ、長期王者として君臨するはずだったが、あまりのアメリカでの不人気で、その予定を変更せざるを得なかったのが誤算だった。 「異国人の鶴田ではベビー(善玉)は張れないし、かといって分かりやすいヒール(悪玉)でもない。アメリカの試合ではレフェリーの隙をついたラフファイトを見せたり、それを注意されるとリック・フレアーばりの『NO! NO!』もやりましたが、やっぱりそれだけでは受け入れられませんでした」(同) さらに国内では、長州力率いるジャパンプロレスの全日参戦が始まり、そちらに注目が集まることになる。その長州とのシングル戦で、鶴田は余裕の戦いぶりで格上感を見せつけたものの、逆に“本気を出していない”とファンの反感を招いたりもした。 また、AWAもWWFの大量引き抜きにより弱体化。日本では新日本とも提携するなど存続を模索したが、1991年には事実上の活動停止を余儀なくされた。
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芸能ネタ 2016年05月29日 13時54分
嵐・松本潤主演ドラマ「99.9」で、業界人から注目のラーメンズ片桐仁
ジャニーズ人気グループ「嵐」の松本潤が主演しているTBS系ドラマ「99.9−刑事専門弁護士−」が高視聴率を連発しているが、「ぜひ使いたい」とドラマのオファーが殺到しているのがラーメンズの片桐仁だという。 片桐は、弁護士の松本を支えるパラリーガルという法律事務職員を演じている。刑事専門弁護士という硬めの題材ながらも、片桐は目を開けたまま寝てみたり、地面にうつぶせになる「土下寝」などユニークなアクションで笑いを起こしている。「あの演技はほぼ、片桐さんのアドリブです。台本なんかでは『寝る』としか書いてないけど、目を開けたまま寝ている片桐さんを見て、監督が面白いと即採用。そういう“遊び”の部分では松本さんや香川(照之)さんも楽しんで絡んでいます」とは制作会社関係者。 芸人ならではのアドリブセンスに他のテレビマンも注目している。「さすがに主演にはなりえませんが、もともと業界内には『ラーメンズ』の笑いが好きという人は多いんです。片桐さんのところには、このタイミングならばと、次のドラマの話とかいろいろ入ってきているようです。一服の清涼剤としては面白いですからね。とはいっても、元はお笑いですから。事務所のほうも基本はお笑い優先で仕事をしていかないといけないと、うれしい悲鳴を上げているようです」とある芸能プロ関係者。 お笑いタレントは器用といわれているが、お笑いのジャンルからまた新たな俳優が生まれそうだ。
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芸能ニュース 2016年05月29日 13時23分
中村橋之助、8代目中村芝翫襲名に感慨「父に恩返しができる」
今秋、8代目中村芝翫(しかん)を襲名する歌舞伎俳優の中村橋之助が28日、都内で襲名を祝う会を開いた。橋之助の襲名とともに長男の中村国生が四代目中村橋之助に、次男の中村宗生が三代目中村福之助に、三男の中村宜生が四代目中村歌之助にそれぞれ襲名することになり、橋之助は「父が他界して5年。何も親孝行することができなかったのですが、8代目を襲名して改めて父に恩返しができるのかなと思いました」と心境を述べた。 2382人の出席者を集めて行われたこの襲名を祝う会。会場には松本幸四郎、市川染五郎、市川海老蔵、市川猿之助、中村吉右衛門、尾上菊之助、中村獅童ら歌舞伎俳優のほか、秋元康、北大路欣也、名取裕子、原辰徳、松たか子、水谷豊、佐藤浩市、岩城滉一ら各界の著名人も多数来場。途中、坂田藤十郎らが祝辞を述べ、映画監督の山田洋次が乾杯の音頭をとった。 会の後に報道陣の取材に応じた橋之助は「芝翫という名にはまだ慣れないです。昨日までは橋之助でしたからね。今日お客さんの中に入ったら改めて『芝翫さん』と呼んでくれる人がいて、鳥肌が立ちました」と感慨深げ。親子襲名については「歌舞伎界でも初めてのことじゃないですかね」と話し、「(尾上)菊五郎お兄様のところにいったら『一人でも大変なのによく息子まで』って言われました」と照れ笑い。 また、会の開催に当たっては夫人で女優の三田寛子の尽力があったといい、「このパーティに向けてうちの女房が本当に頑張ってくれました。この何日か寝ていないんじゃないですかね」としみじみ。10月に襲名披露の興行を控えるが、「責任は大」と話すと「8代目芝翫は自分だけのものではない。歌舞伎のためにも今後尽力を尽くすのが使命だと思っています」と改めて意気込みを述べた。 父の橋之助の名を継ぐ長男の国生は「僕が歌舞伎役者になったのは父の背中を見ていたから」とコメント。「父の橋之助に足すだけでなく、自分なりの橋之助になれるように頑張ります」と話していた。(取材・文:名鹿祥史)
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スポーツ 2016年05月29日 13時13分
新奪三振王・岩貞「覚醒」にアノ人のアドバイスが!?
セ・リーグ奪三振(70個)、防御率(0.88)ともにリーグ2位(5月27日時点)。対戦チームのスコアラー、プロ野球解説者がこぞって『成長』を認めるのが、3年目の阪神・岩貞祐太投手(24)である。 「前年オフの台湾ウインターリーグで好投したので、阪神首脳陣はある程度は期待していたはず。金本監督(知憲=48)が就任した当初、チームの弱点は先発投手の頭数が不足していたことでした。5人目の先発ローテーション投手として期待していたのは、岩崎(優=24)だったはず。岩貞の成長は良い意味で計算外でした」(球界関係者) 岩貞は昨年、一昨年ともに1勝しか挙げていないが、今年はすでにチームトップの4勝を挙げている。投手出身のプロ野球解説者がこう言う。 「(対戦打者の)外角にキレのあるストレート、チェンジアップ系の変化球を決め込んでいる。緩急と、外角球のコントロールがバツグン」 岩貞の外角球が成長の証とも言えそうだ。 春季キャンプで臨時コーチを務めた下柳剛氏が『腕の振り』についてアドバイスを送っていた。矢野燿大作戦兼バッテリーコーチはストライクカウントを想定し、実戦を意識させた投球練習を課していた。 しかし、その外角球が『一流の武器』と化したのは、岩貞自身が「外角球の脆さ」を痛感したからだという。矛盾するような話だが、岩貞は外角球を生かすため、内角球を磨いたのだ。話は昨年9月15日の二軍戦に逆上る(対福岡ソフトバンク戦)。同日、岩貞は登板のチャンスをもらったが、ものにできなかった。松中信彦に2打席連続の本塁打を食らったのである。 関係者によれば、その松中が岩貞に直接電話を入れたそうだ。 「左バッター(を攻める)には内角球も必要」 おそらく、知人を介して岩貞の連絡先を調べたのだろう。岩貞がどう返したかは分からない。しかし、一般論として、インコースを攻めるときの投手心理では「ぶつけないように」と考えてしまい、どうしても腕の振りが悪くなる。腕の振りが悪くなれば、ボールのスピード、キレが落ちる。外角にどんなに優れたボールを投げられたとしても、一辺倒では相手打者は踏み込んできて強打する。その後、岩貞は投球練習ではインコースを意識するようになったという。 下柳氏、矢野コーチの助言や指導は、内角を意識していた岩貞に合致したのである。 4月2日の初登板だった(対DeNA)。6回裏二死走者なし。打席には筒香嘉智が立っていた。前の2打席はともに安打を許している。カウントは3ボール1ストライク、岩貞は捕手のサインに首を振ってから内角球を放り、最後は得意の外角球で見逃し三振に仕留めた。内角球があったから、外角球が生かされた。松中と同じ左打者の筒香を抑えたことが、自信につながったのだろう。(一部敬称略)
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