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アイドル 2016年02月22日 10時58分
ももクロ、同発アルバムを携えたドームツアー! DAY2公演は「白金の夜明け」
ももいろクローバーZのアルバムを携えたドームツアー「MOMOIRO CLOVER Z DOME TREK 2016 “AMARANTHUS / 白金の夜明け”」DAY2公演「白金の夜明け」が、愛知・ナゴヤドームにて開催され、27,921人を動員し、アンコールでは佐々木彩夏のソロライブの発表がなされた。 愛知・ナゴヤドーム、北海道・札幌ドーム、大阪・京セラドーム、福岡・ヤフオク!ドーム、埼玉・西武プリンスドームを回るドームツアー「MOMOIRO CLOVER Z DOME TREK 2016 “AMARANTHUS / 白金の夜明け”」は2月17日に同時発売された3rd ALBUM「AMARANTHUS」、4th ALBUM「白金の夜明け」のリリースツアー。ツアーは札幌ドーム以外全て2日間開催となり、1日目が「AMARANTHUS」公演、2日目が「白金の夜明け」公演になることが事前にアナウンスされていた。 DAY2公演となった21日(日)ナゴヤドーム公演、ライブは4th ALBUM「白金の夜明け」プロローグである「個のA、始まりのZ -prologue-」から始まり、「桃源郷」、「白金の夜明け」、「マホロバケーション」と4th ALBUM「白金の夜明け」収録曲順に次々とパフォーマンスが行われた。ライブ中には百田夏菜子によるフープダンスや、玉井詩織によるピアノ伴奏、佐々木彩夏によるエレキギター演奏、有安杏果によるドラムパフォーマンス、高城れにによるタップダンス等、メンバーそれぞれのソロパフォーマンスや初のフライング、巨大バルーンに乗ってのパフォーマンスも組み込まれ、これ迄以上に進化したライブパフォーマンスを見せつけた。 ツアーはジャグリングや玉乗りを行う大道芸人15名からなる“ももクロシルク”や3B juniorも参加し「白金の夜明け」収録曲をパフォーマンスする前半と、これまでの既存楽曲をパフォーマンスする後編にわかれた二部構成となり、アルバム曲・既存曲含め全24曲がパフォーマンスされ、アンコールパートには佐々木彩夏のソロライブを9月19日(月・祝)に神奈川・横浜アリーナで開催することも発表された。ももいろクローバーZの3rd ALBUM「AMARANTHUS」、4th ALBUM「白金の夜明け」はそれぞれ初回限定盤、通常盤の2形態で発売中だ。
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レジャー 2016年02月22日 09時00分
横山典弘騎手が中央競馬史上3人目の通算2600勝
横山典弘騎手(47歳、美浦フリー)は、21日の東京競馬5レースでビッシュに騎乗し1着となり、中央競馬史上3人目の通算2600勝を達成した。現役では武豊騎手に続く2人目。重賞勝利は158勝(うちGI25勝)。
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レジャー 2016年02月22日 09時00分
【第33回フェブラリーS】モーニン圧勝 春のダート王に君臨
競馬の「第33回フェブラリーS」(GI・ダ1600メートル、21日東京16頭)は、最後の200メートルで先頭に立ったモーニン(57キロM.デムーロ騎手、単勝2番人気)が、ノンコノユメ(57キロC.ルメール騎手、単勝1番人気)の差し脚を1馬身1/4差完封。1分34秒0のレコード圧勝。根岸Sに続き破竹の2連勝で春のダート王に君臨した。3着アスカノロマン(57キロ太宰啓介騎手、単勝7番人気)アタマ。 モーニンは父ヘニーヒューズ、母ギグリーの牡4歳馬(栗毛)。馬主は馬場幸夫氏。戦績=7戦6勝。主な勝ち鞍=重賞2勝目(16年根岸S)。M.デムーロ騎手は初勝利。石坂正調教師は2勝目(08年ヴァーミリアン)。「配当」単勝(14)510円複勝(14)180円(7)120円(4)420円枠連(4)(7)530円ワイド(7)(14)320円(4)(14)1690円(4)(7)1070円馬連(7)(14)680円馬単(14)(7)1510円3連複(4)(7)(14)3820円3連単(14)(7)(4)1万6010円*レース結果については、必ずJRA公式発表でご確認ください。
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スポーツ 2016年02月21日 16時00分
小橋建太「青春の握り拳」インタビュー いま蘇る四天王時代と全身全霊のプロレス愛!
90年代の全日本プロレスのリングには、「四天王」と呼ばれる男たちがいた。三沢、川田、田上、小橋。男たちが命を削って繰り広げた激しい闘いは「四天王プロレス」と呼ばれ、多くのファンを感動させ、勇気づけた。あれから約20年−−。四天王の一角であった小橋建太(当時、健太)が、あの“熱狂の時代”を、アツく振り返る−−。 −−発売されたばかりの『小橋健太、熱狂の四天王プロレス』(ワニブックス刊)、読み応え抜群でした! 小橋(笑顔で)ありがとうございます。 −−「四天王プロレス」の時代から、既に20年近くが経過していますが、なぜ今、四天王プロレスをクローズアップしたのでしょうか? 小橋 最近、プロレス人気が復活したといわれていますけど、四天王プロレスを知らない世代も増えている。その人たちにも「今のプロレス界全体に多大な影響を与えた、こういうプロレスもあったんだよ」ということを知ってほしかったのが一番ですね。今はユーチューブでも試合が見れますし、とにかく僕たちが“命を懸けてやっていたプロレス”を風化させたくないという気持ちが強かった。 −−実際、四天王プロレスは、今見ても色あせない激しい試合ばかりです。 小橋 でも、中には「危な過ぎた」とか「やりすぎだった」という声もあるんです。現在、四天王は誰もリングに上がっていないため、四天王時代のプロレスが選手寿命を短くしたという人もいますが、僕は結局25年やったし、まったくそんなことはない。「あのときのプロレスのせいで」と言われるのがすごく嫌なんです。だいたい、プロレスに「やりすぎ」なんてない。 −−やり切ってこそのプロレスだと。 小橋 はい。じゃあ、やりすぎないのがプロレスだというなら、なんのためにリングに上がっているんだって話ですよね。選手がリングに上がって一生懸命やれば、試合はどんどん激しくなるし、それを見てファンも熱狂する。この熱狂が生まれてこそ、選手と観客の間に一体感が生まれて、試合も白熱するわけですよ。四天王プロレスはそういう熱狂を生むプロレスだったし、僕たちも誇りと自信を持ってやっていた。そこに後悔はまったくないんです。 −−なるほど。時を超えるアツさが伝わってきます。 小橋 昔、ある方が「こんなプロレスを続けていたら10年持つ選手生命が1年で終わってしまう」と言っていましたけど、僕は長く続けることより、自分の思いをぶつけられるプロレスをして、悔いを残さないことの方が何倍も有意義じゃないかと思ってやっていました。 −−ただ、小橋さんは四天王の中では一番若手で、なかなか結果が伴わない時期もありましたね。 小橋 そうなんですよ。この本の巻末で対談した(レフェリーの)和田京平さんにも「負けてるイメージの方が強い」って言われたくらい(苦笑)。四天王時代の最初の頃は、勝てませんでした…。 −−そういう時期もあったからこそ、小橋さんに強い思い入れを持って見ていたファンも多かったのでは。 小橋 やっぱりファンの声援が何よりも力になりましたし、背中を押してくれました。だからなのか、逆に四天王時代の後半は負けてない。僕は四天王同士の三冠戦では、田上(明)さんには2戦2勝。川田(利明)さんには1勝2分けなんです。ただ、三沢(光晴)さんにだけは、三冠戦では一度も勝てませんでした…。 −−話は変わりますが、なんでも四天王時代の小橋さんのトレードマークでもあったオレンジのタイツは、松山千春さんに薦められたんだとか。 小橋 そうですね。最初は、赤いタイツをはいてたんですよ。馬場さんに「オマエ、赤はけ」って言われて。その頃、僕は馬場さんの付き人だったので、控え室に行ったら、そこに来ていた千春さんが「オマエ、若いんだからさぁ、オレンジの蛍光色とかそういうのはいた方が恰好いいよ〜」って言ってくれてね(笑)。オレンジにしたのは、そこからなんです。 −−オレンジというと、新日本時代の武藤(敬司)さんのイメージも強いですが、武藤さんよりも先だとか。 小橋 そうなんです! 武藤さんは「俺の方が早い」って勘違いされていたので、以前、トークショーで一緒になったときに、ちゃんとそこは言いました。「ムーンサルトは武藤さんの方が早いけど、オレンジタイツは俺の方が早いんです」って(笑)。 −−そんな会話もされているんですね(笑)。ところで小橋さん、今のプロレス界で、もし自分が現役だったら闘ってみたい選手はいますか? 小橋 そうですね…この答えは面白くないかもしれませんが、誰と闘いたいというよりも、今の全日本であったり、ノアを盛り返したい。やっぱり最近の新日本さんのブレイクぶりと比べると、あまりにも寂しいものがあるので。 −−やはり古巣が気になりますか? 小橋 というよりも、もっと昔の新日本と全日本のように、対抗勢力同士がお互い元気になってくれないと、プロレス界全体が繁栄しないですからね。 −−では、最後になりますが、本誌の読者にメッセージをお願いします。それこそ、現役時代は幾度もの手術からカムバックし、腎臓がんも克服するなど、不屈の闘志で復活を遂げられた小橋さんから、何かアドバイスをいただければと。 小橋 はい。僕ががんになったのは39歳。働き盛り、まだまだこれからってときで、なんとか復帰できたものの、本調子に戻ることは二度とありませんでした…。まして40、50代というのは、これまでの無理が体に出てくる時期。だから、そういう現実を一度受け止めて、その上で、また前に進めばいいと思います。「俺は若いんだ、俺は大丈夫」という気持ちは分かるんですよ。僕もそうでしたから。でも、大丈夫じゃないんですよね。 −−もう若くはないですからね。 小橋 ただ、40代、50代っていっても、まだまだこれからも青春ですから! −−いくつになろうと常に青春はできると? 小橋 はい。40、50代になっても楽しみはまだまだあります。 −−小橋さんは今、何をされているときが楽しいですか? 小橋 今は、娘と一緒に笑ってるときが一番ですかね。 −−女の子なら、プロレスラーにはなる可能性は低そうで一安心ですね(笑)。 小橋 男の子だったとしても、あまりプロレスラーにしたくはないんです。だって、僕が命を懸けてやってきた世界じゃないですか。プロレスに命を懸けられる覚悟がなければ、プロレスはやれないですから。 −−確かに、小橋さんの試合にはその覚悟がありありと見えていました。本の中で、「試合のフィニッシュのときに意識が飛んでいた」とありましたが、あらためてその映像を見ると、完全に意識がないのが分かります。 小橋 そうなんですよ。レフェリーのカウントが「ワン、ツー、スリー」と入った後に、京平さんに手を上げられたんですが、僕は朦朧としていたそうです。勝ち名乗りを受けて、(秋山)準に肩車されたあたりで、やっと意識が戻ったというか、状況が把握できた。 −−あれこそ覚悟というか、小橋さんのプロレス人生における背景を本で読んでから見ると、感情移入ができて泣けてしまいました。だから、この本はそういう楽しみ方もできるのかなと。 小橋 いいですね。みなさんにも、そういう楽しみ方をしてもらえたら素晴らしいですし、この本が、僕らが誇りを持ってやっていたプロレスを見てもらうキッカケになってくれればうれしいです。小橋建太=1967年3月27日生まれ。京都府出身。90年代後半から一世を風靡した元プロレスラー。『全日本三冠ヘビー級王座』『世界タッグ王座』『GHCヘビー級王座』など、多くのタイトルを獲得。現在は大学講師、スポーツ救命協会講師にも就任し、スポーツ全般の普及に努めている。2月14日13時〜女子レスラーの宝城カイリと、17時〜現役レスラーの潮崎豪とのトークイベントを開催。詳しくは公式HP=http://www.fortune-kk.com/まで。
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社会 2016年02月21日 14時00分
1億総下流社会突入! 悲惨な業界「人間模様」 〜年収300万円は夢のまた夢〜(3)
〈CA(客室乗務員)〉風俗バイトに手を染める“高嶺の花”の女たちの実態 東京〜札幌・福岡などを最安5000円台(片道)の激安運賃で結び、日本の空に革命をもたらしたLCC(格安航空会社)。だが、低価格実現のために徹底したコストカットが行われており、そのしわ寄せは、女性にとって憧れの職業だったCA(客室乗務員)にも及んでいる。 現役CAの小村さやかさん(仮名・27歳)は、「LCCのCAは別名“空飛ぶブラック職業”。それほど労働環境は過酷で待遇も悪いんです」と明かす。 「私たちの会社のCAは基本的に全員契約社員で、年収も250万円程度。もちろん、小さいころからの憧れの職業に就けた嬉しさはありますし、大学時代に大手エアラインの採用試験に落ち続けた私にチャンスを与えてくれた会社に対する感謝の気持ちもあります。けど、LCCのCAは着陸後の機内清掃や地上職員として働くこともあり、複数の業務を兼務しなければなりません。給料は安いのに仕事量だけはANAやJALのCAの倍はある。本当に嫌になっちゃいます」 そんな状況ゆえ、昼食にはいつもお弁当を持参。自宅ではインスタントラーメンや納豆ご飯で食費を切り詰めなければならないとか。 「LCCだから社員寮もなく、距離的に実家から通えない私は空港近くにアパートを借りているのですが、そこの家賃が月5万8000円。毎月のお給料から家賃、光熱費、通信費、食費を引いたら残るのは5〜6万円。その中で生活していかなきゃならないので、お金を貯めるどころか貯金を切り崩さないとやっていけない月もあります」 そのため、高給バイトの風俗に手を染める同僚もなかにはいるそうだ。 「CAが多く在籍する高級デリヘルがあるらしくて、そこで働いている人が複数いるって噂は聞いたことがあります。正直、私も働こうかなって考えたことがあるくらいなので(笑)」 なお、小村さんが勤めるLCCのCAは3年契約。その後は毎年更新するシステムだが、現時点では更新するかは決めてないという。 「今は大手エアラインも給与面の条件が悪いけど、それでもLCCほど仕事はキツくないし、安いと言われる外資系でもウチより100万円近く年収が多い。タイミングよく転職できるなら辞めますが無理なら1年残るつもり。LCCはお客として利用するにはいいですけど、働くのは避けたほうがいいと思います(笑)」
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その他 2016年02月21日 12時30分
【幻の兵器】ソ連、イタリアに日本も開発に着手していた「飛行可能な戦車」の魅力とは
第一次世界大戦には様々な新兵器が登場したが、その中でも戦車と航空機は軍事的にも社会的にも極めて大きな影響を与えた。各国の軍事指導者や理論家は新兵器の運用法や新たな戦術、作戦理論を構築すべく研究を重ねていたが、同時に技術者もさらなる新兵器の開発に余念がなかった。そして1930年代にはパラシュートで輸送機から降下する空挺部隊が出現し、制空権さえ確保していれば戦線後方から敵を攻撃することも可能となったのである。 だが、出現当時の空挺部隊は兵士と軽火器をパラシュートで降下させるのが精一杯で、どうしても支援火力が不足していた。もちろん、戦車をはじめとする機甲戦力は全く装備できないため、降下後は徒歩で移動するしか方法がなく、また空挺堡を確保するという点でも不安があった。そのため、各国の陸軍では空挺部隊とともに降下可能か、あるいはよりアグレッシブに「飛行可能な戦車」を実現しようと、空挺と飛行の両方向から開発を進めることとなった。 アメリカの発明家クリスティーは1920年代後半に画期的なサスペンションを備えた高速戦車を開発し、アメリカ陸軍に対して熱心に売り込んでいた。クリスティーは様々な戦車のプランを持っていたが、その中には自慢の高速力を活かした飛行戦車も含まれていたのである。彼の飛行戦車案は砲塔を持たない固定戦闘室式の戦車に、主尾翼とプロペラを取りつけたようなスタイルで、自力での離着陸および飛行が可能というものだった。 だが、当時のアメリカ陸軍は新兵器の導入に極めて消極的で、クリスティーの戦車もごくわずかな数が生産、採用されただけだった。もちろん、夢想的な飛行戦車を試作するどころではなく、机上の検討案のまま葬り去られることとなる。 とはいえ、飛行戦車という概念自体はなかなか魅力に富んでいたため、いくつかの国では実際に開発をすすめている。ただし、いずれも自力飛行可能な文字通りの飛行戦車ではなく、車体に取り外し可能な主尾翼を取りつけたグライダーとなっており、飛行することよりも安全に降下させることを目的としていた。もちろん、空挺部隊と同時に降下し、機甲戦力を提供するための車両である。 まず1932年頃にはクリスティーからサスペンションなどの設計を購入したソビエトが開発に着手、軽戦車のT-60を改造した試作戦車はA-40あるいはKT(飛行戦車)という名称を持ち、滑空試験も実施した。だが、極限までの軽量化を図ってもなお重量過大で、試験に際しては武器弾薬などを車体から降ろして、燃料も必要最小限に留めた。 しかし、試作機の重量や空気抵抗は非常に大きく、ソ連が有する最大最強の爆撃機をもってしてもなお、離陸には危険が伴ったという。加えて、戦車の火力や装甲防御力が発展したことにより、軽戦車程度の能力では戦力的価値がほとんどなくなってしまったため、開発そのものに意味がなくなってしまった。最終的に、ソビエト軍はパラシュート降下するか、あるいはグライダーや輸送機で空輸する戦車を開発することになる。 また、イタリア軍はアニメ映画「ガールズアンドパンツァー」にも登場した豆戦車CV33をベースにしたグライダーを計画していた他、日本軍も1943年から着脱可能な翼を持つグライダー戦車の開発に着手し、特三号戦車(クロ車あるいはソラ車)と名付けて作業をすすめていた。特三号戦車は九八式軽戦車をベースに設計が進められ、乗員を減らしたり小型のガソリンエンジンへ変更するなどの軽量化を図った。だが、特三号戦車は滑空中の姿勢制御が極めて困難と推測されて開発は断念され、イタリアの計画も兵器としての能力不足から開発が中止されるなど、いずれも実戦には投入されなかった。 その他、ヘリコプターの開発に没頭していたオーストリアのラウル・ハフナーは、移住したイギリスで極めて前衛的な航空機を試作した。ハフナーが試作したのは、ジープに回転翼と安定翼をとりつけ、他の航空機が曳航して飛行するというものである。飛行ジープの試験は1943年から44年にかけて行われ、それなりの成功を収めたものの、曳航可能な強力で大型の航空機は非常に不足しており、量産は見送られた。同様の方法でバレンタイン歩兵戦車を飛行させることも検討されていたが、やはり量産には至らず計画もキャンセルされた。 第二次世界大戦当時の技術で戦車を飛ばすためには、滑空機といえども火器と装甲を極限まで切り詰めざるを得ず、陸戦兵器としての能力に問題が生じてしまった。その上、滑空中の姿勢制御や、戦車の形状がもたらす空気抵抗によって離陸時には母機の姿勢制御が困難になるなど、計画段階では予想しなかった困難に見舞われた。さらに、たとえ開発に成功したとしても、滑空させるには強力な牽引機を用意しなければならず、運用面での問題も深刻だった。 そのため、開発を続行したとしても実現可能性は極めて小さいのだが、飛行戦車というコンセプトの魅力は非常に大きく、古くから様々な媒体で紹介されている。最近でも、特三号戦車が入浴剤のおまけとしてモデル化されるなど、今なお人気を集める不思議な兵器だ。(隔週日曜日に掲載)
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スポーツ 2016年02月21日 12時00分
新日本プロレス2・11大阪&2・14新潟に軍団再編の春一番が吹いた!
1・4東京ドーム大会が終わってから初のビッグマッチとなった『THE NEW BEGINNING』2・11大阪大会、2・14新潟大会。ともに超満員の大観衆が会場に詰めかけ、大盛況のうちに幕を閉じたが、そこでしばらく止まっていた軍団再編の波が一気に動き出した2大会だった。 「後藤さん! CHAOS入ったらどうですか?」 2・11大阪大会のメインで、IWGPヘビー級王座に通算8度目の挑戦となった後藤洋央紀を相手に“完封勝利”を収めたオカダ・カズチカの口から飛び出したのは、自身が所属する軍団への勧誘だった。すべてを懸けてこの試合に挑んだ後藤は、白使や鬼神ライガーを彷彿とさせる顔面から上半身にかけてのボディペイントで入場し、場内をざわつかせたが、この姿からはIWGPヘビー級のベルトを巻く姿が想像できなかったのも確か。挑戦表明から徹底したオカダへの襲撃でオカダを振り向かせることができただけに、そのままの姿で挑戦した方が新チャンピオン後藤の画をスムーズに想像できた気がする。 これで後藤はIWGPヘビー級選手権試合0勝8敗。いつも最後に空回りしているイメージが強い。もう後がなかった今回は、過去最高の空回りだったのではないだろうか。オカダも「まだ変われるでしょ。あんなんですべてを懸けるなんて言っちゃダメっすよ」と語り、後藤の強さを認めた上で「CHAOSで環境を変えれば、さらに変わることができるのではないか」と勧誘した理由について説明した。 一方の後藤は「このまま消えてしまいたい」と弱気になっており、14日の新潟大会で再びオカダと6人タッグで当たったが、明らかに精彩を欠いていた。オカダの握手は拒否したが、CHAOS入りはIWGPヘビー級王座からは遠くなってしまう可能性が高いものの、後藤がトップで生き残っていくためには悪い話ではない。棚橋弘至&柴田勝頼vsオカダ&後藤というカードには夢がある。 オカダは後藤に任せるとしているが「後藤さんの他にもう1人CHAOSに入れたい人がいる」と、さらなる補強(引き抜き)を示唆している。そして、新潟大会の試合後、自分自身に対して不満を述べたのはなんとキャプテン・ニュージャパンだった。「気分だけ変わるんじゃなくて、すべてが変わらんとな」とコメント。キャプテンは大阪大会で後藤のセコンドに付いていたが、まさか…? 中邑真輔が抜けた穴を補強するのは当然のことだけに、『NEW JAPAN CUP 2016』(3月3日、大田区総合体育館で開幕)から今後に向けた動きがあるかもしれない。 「今度はバレットクラブのニューメンバーを連れて来て、俺が挑戦する」 2・14新潟大会で、カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ組が真壁刀義&本間朋晃組とのIWGPタッグ選手権試合(1・4ドームのリターンマッチ)に敗れると、タマ・トンガがマイクを掴み、真壁&本間の王者組を挑発。王者組も受諾した。その後、アンダーソンとギャローズ、そしてバッドラック・ファレとトンガがリングに上がり「Too Sweet」ポーズを交わして友情を確かめ合うと、アンダーソンとギャローズだけが残り、ファンへ深々と一礼をした。これは1・5後楽園ホール大会でAJスタイルズが見せたものと同じ意味を持つと言ってもいい。アンダーソンはバックステージで新日本や真壁&本間組を称賛した上で、「ザ・マシンガン(アンダーソンのニックネーム)とギャローズはおまえらの前から去る」と、かねてから噂されていた新日本マット離脱を明言した。WWEへの移籍が濃厚だ。 メインではバレットクラブの新リーダー、ケニー・オメガがバレットクラブ内ユニットThe ELITEの助けを借りながらも最後は実力で棚橋を下し、IWGPインターコンチネンタル王座に載冠した。ケニーのセコンドにはバッドラック・ファレや、ケニーとの今後の関係が気になるタマが付いていなかったのが気になるところ。そして、中邑の退団に際して木谷高明オーナーにもストレートに噛み付いた内藤哲也が、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンの新たなるパレハ(仲間)の存在について沈黙を守っているのも不気味である。 毎年4月の両国では何らかの事件が起きているが、今年はブシロード体制になって最大の軍団再編が起こる可能性が高い。タマが言っているように、新戦力も加わってくるだろう。大阪で決起した第三世代と、それに噛み付いた柴田勝頼によるNEVER戦線も見逃せない。優勝すれば、3つのベルトのいずれかに挑戦権が与えられる“春のG1”こと『NEW JAPAN CUP 2016』は、まったく予想不可能なトーナメントになりそうだ。 新日本マットにも軍団再編という春一番が吹いた今年の『THE NEW BEGINNING』だった。 (増田晋侍)<リアルライブ・コラム連載「新日Times」VOL.6>
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アイドル 2016年02月21日 12時00分
ライブ会場不足のピーク迎える「2016年問題」がアイドル業界に与える影響とは
首都圏でコンサートや演劇を催すための会場が不足する「2016年問題」。多くのアイドルやアイドルファンにとっても、他人事ではいられない。それどころか、2016年問題は、これからのアイドルのあり方にも影響を与えるかもしれない。厳しい生き残り競争を勝ち抜くのは、地方とライブハウスに強いアイドル!? 2020年東京オリンピックの影響もあり、首都圏の大型集会施設の改修、建て替え、閉鎖が相次いでいる。数年前から懸念されていたコンサートなどの会場不足も、いよいよピークを迎える。 具体的に近年閉鎖(一時閉鎖含む)された会場には、東京厚生年金会館、SHIBUYA-AX、国立競技場、青山劇場、日本青年館、五反田ゆうぽうとホール、渋谷公会堂、横浜アリーナなど。今後、改修や閉鎖が予定されている会場には、さいたまスーパーアリーナ、代々木第一体育館、東京国際フォーラム、日比谷公会堂、東京ドームなどがある。時期は未定だが、あの日本武道館も改修を予定している。 ここに挙げたように、不足が問題となっているのはアリーナクラスから2000人ほどの中規模ホールまでさまざまだが、数百人規模のライブハウスも決して無関係ではない。ビッグアーティストがアリーナ公演を行えなければ、数千人規模のホールでの複数回公演で代替することになるだろう。もともとホール会場を中心に活動していたアーティストなら、Zeppなどの大バコライブハウスを使用するようになる。上から下へと押し出されるように、残っている会場が押さえられていくのは必定だ。すでに、首都圏のホールやライブハウスでは、主催者や企画会社による確保合戦が激化しているという。首都圏が難しいのなら、地方公演で代替すればいい。そんな考えもあるだろうが、実情としては簡単ではない。 アイドル業界に関して言えば、近年のブームによって、かつてに比べれば全国津々浦々でコンサートやイベントが見られるようになっている。とはいえ、ムーブメントの中心が東京であるのは依然として変わりない。動員数やその安定度も、東京がダントツだ。全国ツアーを催しているメジャーなアイドルたちも、安定した動員の難しさや、移動や宿泊にかかる経費負担から、実は地方公演での利益は少ない。それどころか、赤字となる場合も。東京を中心とする大都市圏で得た利益で補てんしつつ、なんとか地方公演を行っているというのが、偽りない現状だ。 地方在住のアイドルファンにしてみれば、2016年問題も対岸の火事のように感じていたかもしれないが、東京での公演を十分に行えなくなれば、地方公演の開催すら危うくなるのだ。 会場不足が深刻化する一方で、ライブへの需要は高まっている。社団法人コンサートプロモーターズ協会によれば、2014年の同協会正会員によるライブ売上は2749億円で、2010年の2倍以上だという。アイドル界隈でも、在宅でCDや映像を楽しむファンより、生のライブに“参戦”する現場志向のファンが中心となってきているのはあきらかだ。ただでさえCDが売れない時代、ファンが最も求め、グッズの売上にも大きく影響するライブの開催が難しくなれば、アイドルビジネス全体にも大打撃を与えかねない。 前述したように、地方公演の成功は簡単ではない。しかし、現実問題として、首都圏で会場が不足することが分かっている以上、地方に活路を見つけざるを得ないのもまた事実だ。地方公演時の経費負担を減らし、動員不足のリスクを軽減させるには、「小規模会場」もポイントになるだろう。 幸い、アイドルファンには、多少の遠方ならば「遠征」として、ひとつの楽しみにしてしまう文化が根付いている。また、近年ではハロー!プロジェクトなどのメジャーなアイドルグループも、数百人規模のライブハウス公演を積極的に行っており、これまでホール公演しか経験のなかった客層にも、ライブハウス公演が浸透しつつある。 もちろん、ホールにはホールの、ライブハウスにはライブハウスの特性があるため、ステージの見せ方や運営手法は変わってくるだろう。小規模会場のメリット・デメリットを整理するなら、既述した「経費負担の少なさ」や「動員確保のしやすさ」とともに、客側にとって「ホールよりも近くで観られる」「ライブハウスならではの一体感が味わえる」「チケットが安い」などが利点として挙げられる。 逆にデメリットは、「舞台演出が限られる」「1回の公演で数百人以上の動員が得られない」「スタンディングが中心で客の体力的負担が大きい」「会場の作りやスタンディングの場所によってはステージが見えづらい」などだろうか。これら小規模会場の長短を運営サイドとアイドル自身が理解し、メリットはより高め、デメリットをできる限り少なくすることができれば、ライブハウスでも充分な“顧客満足度”を得ることは可能だ。 すでにブームはピークを過ぎ、生き残り競争が激しさを増してくるであろうアイドル業界。その上、今後は2016年問題も本格的に降りかかってくる。いかに地方公演を成功させ、ライブハウスなどの小規模会場でもファンの満足度をつかみ、ビジネスとして安定した利益を得るかが、ひとつの勘所だ。 2014年、全国47都道府県でのライブハウス公演をやり遂げたアンジュルム(当時、スマイレージ)。220公演というミッション達成のため、全国のライブハウスを飛び回っているJuice=Juice。2月22日から、初の北海道単独公演を含む全国6か所でのライブハウスツアーをスタートさせるNMB48。そのほかにも「地方」と「ライブハウス」に力を注ぐアイドルは、確実に増えている。彼女たちの活動と成果に、これからのアイドルビジネスへの光明を期待したい。【リアルライブ・コラム連載「アイドル超理論」第16回】(C)NMB48
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芸能 2016年02月21日 12時00分
テレビ&広告界が注目する芸能人[潜在視聴率][出演料][好感度]最新リスト
現在、好景気に沸いているのが芸能界。“ゲスの極み乙女。”のボーカル・川谷絵音(27)との不倫騒動で芸能界退場を余儀なくされたベッキー(31)のおかげで、なんと、計20億円以上もの雇用が生み出されるというのだ。 「CMは10社以上、バラエティー番組も特番や単発、ラジオなどを加えると計20近い枠に空きが出る。彼女と親しかった芸能人も内心はチャンスだと思っているはず。ましてや売り上げ倍増となる芸能プロ幹部連も♪私以外じゃないの♪を口ずさみながら各テレビ&広告代理店に連日、猛烈営業を掛けている状態です」(某プロダクション幹部) ポスト・ベッキーを巡ってはこれまでに何人もの芸能人の名前が取り沙汰されてきた。そんな中、本誌が入手したのが、あるリスト。潜在視聴率と出演料、好感度が併記され、テレビ&広告界が誰に着目しているかが一目瞭然の極秘資料だ。ちなみに、不倫スキャンダルであえなく沈没してしまったベッキーの内訳だが…。 「潜在視聴率は最盛期で12.6%。スキャンダル直前は落ちたとはいえ9.1%もあったんです。でもスキャンダル発覚以降は0.1%以下と計測不能に…。出演料も日テレが120万円〜、TBSが150万円〜、フジが80万円(全日&深夜帯)〜、テレ朝が160万円〜、テレ東が130万円〜という額に設定されていた」(テレビ事情通) それでは気になるベッキーの後継者だ。1月末に実施されたばかりのリサーチを元に、作成されたランキング表をベースにベスト5を発表する。 「潜在&出演料、好感度ともにトップに立ったのが、フジ退社を最近発表した加藤綾子(潜在7.7%、出50万円〜、好特A)。続く2位は、意外だが女優の吉高由里子(潜在7.2%、出80万円〜、好特A)。3位は一部メディアでも名前が盛んに取り沙汰される小島瑠璃子(潜在6.4%、出30万円〜、好特A)。続く4位はシェリー(潜在6.1%、出50万円〜、好特A)。そして5位だが、最近、バラエティー番組で人気のモデル佐藤栞里(潜在5.6%、出20万円〜、好A)がランクインしている。今後はこの5人を巡ってテレビ界が動き出すことは間違いない」(同) 完全に過去の人として扱われるようになったベッキー。そんな彼女の最新情報にも触れておこう。 「彼女にとっての最優先事項は川谷との結婚です。事務所はタレントとして最短で1カ月後には復帰させたい意向だが、正直、それは無理な話。スポンサーがOKしない。その多くが彼女はこのまま引退とジャッジしている」(芸能関係者) 来年の今頃、笑っている芸能人は誰だ!?
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アイドル 2016年02月20日 18時00分
【帰ってきたアイドル親衛隊】当時の中森明菜はイメージと違って気さくな優しいお姉さん! 信号待ちの間にササッとサイン
1982年5月1日に『スローモーション』でデビュー。この年は「花の82年組」と呼ばれた年であり、中森明菜の他に、小泉今日子・シブがき隊・松本伊代・早見優・堀ちえみなどが同期である。人気者が集まった世代だったことで、この年の音楽祭の新人賞レースは激戦。誰が最優秀新人賞を受賞するのか予想すらつかなかった。 これだけ豪華なメンバーがノミネートされていると観る側も必死になり、音楽祭の予選を観に行くことも頻繁に増えていった。特に印象的だったのが、新宿音楽祭の予選が新宿三井ビルの広場で行われた時。この豪華な面々が通行人から見えるような場所で、堂々と歌っている。今では信じられない光景だが、そこで圧巻の歌声を聞かせてくれたのが中森明菜である。その歌声に惚れたところもあり、中森のレコードは常に買っていたのだが、82年12月24日に発売されたミニアルバム『Seventeen』は、歌声と別の理由で購入してしまった。というのもこのレコードは限定のピクチャーレコードだったからだ。普通のレコードは黒だが、ピクチャーレコードはレコードに写真が印刷されていて、ファンにとってはたまらないアイテムだった。当時はピクチャーレコードが流行っていたので、アイドルに関わらず、多くのピクチャーレコードが出回っていた。 自分にとって中森明菜という存在は、あくまでも歌声であり、アイドルとして好きという感覚では無かった。これまで生で何度も中森の歌を聞いているが、いつも1曲や2曲しか聞けないので、物足りなさはかなりあった。ようやくそのもどかしさから開放されたのが、83年2月27日にファーストコンサートが開催された新宿厚生年金会館である。私は中学3年生で高校受験だったが、受験も終わっている時期に開催ということで、この日を本当に楽しみにしていた。まだシングルを数枚しか発売していなかった時期で、一般的に知られている曲は少なかったが、大きなホールで響き渡る中森の声は格別だった。 このコンサートを観たことがキッカケで、さらに中森の歌に酔いしれるようになるのだが、やはり至近距離で観たいという願望も強くなった、中森に会える場所を探すようになり、まず平日夕方に生放送している『アップルシティー500』(TBS系)の観覧を皮切りに、『ザ・トップテン』(日本テレビ系)など公開番組をチェックするようになった。もちろん出待ちにも挑戦した。ある日曜日に『スーパージョッキー』(日本テレビ系)にゲスト出演して、その後に『決定!全日本歌謡選抜』(文化放送)に出演することがわかり、その流れで中森を追いかけてみた。 両番組とも生放送なので、会える確率はかなり高かったので、自転車で日本テレビのある市ヶ谷から文化放送の四谷に向かった。まず日本テレビの駐車場で、車が出るのを見届けて、先回りをして文化放送で待ってみた。すぐに車は到着して、とりあえず会釈はできた。文化放送では、ラジオの生放送ということもあり、出待ちの間ずっとラジオで中森の出番をチェックして、出てくる時間も計算できたのは嬉しかった。出番終了後すぐに出てきた中森にさっと近づいて写真を撮らせてもらった。イメージと違って気さくな優しいお姉さんだったのが印象的だった。車に乗り込んでそのまま次の現場に移動してしまったが、私は先回りをして信号の前まで自転車で移動した。その時に窓をノックしてサインを求めると、信号待ちの間にササッとサインを書いてくれた。 優しさに触れて中森に対して好感が高まっていたが、すでに人気者になってしまい、会える機会がほとんど無くなってしまい、実際に会いに行くには敷居が高くなり、完全にテレビで見るアイドルになってしまった。80年代も終わりに近づくと映画『愛旅立ち』で知り合った近藤真彦との熱愛があり、さらにその破局謝罪記者会見まで行い、ダークなイメージが強くなってしまった。良くも悪くもアイドルを脱皮してひとりの女性になった感じだが、中森にとってのターニングポイントは、ドラマ『素顔のままで』(フジテレビ系)の主演と言えるだろう。以降は女優・中森明菜として再出発をした感じになったが『ボーダー犯罪心理捜査ファイル』を途中降板してしまい、そのまま休養に入ってしまった。 それから復帰と休養を繰り返していたが、一昨年の『紅白歌合戦』に出場したことで、この先にまた歌声を聞ける可能性もあることを暗示してくれた。来年はデビュー35周年になるので、もし色々な事情が許すのなら、記念コンサートを開いてもらいたいものだ。中森明菜の歌声は今でも健在という姿を見せて欲しい。(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。
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