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社会 2016年03月20日 14時00分
目玉はナニ? 先行き不安な大阪「舞洲・スポーツアイランド構想」
舞洲地区は、大阪市西部にある約220ヘクタールの人工島。1990年に策定したスポーツアイランド構想に基づき整備され、運動場、ユリ園、キャンプ場などレクリエーション施設がそろう。2008年の招致を目指した大阪五輪でメイン会場が建つはずだったが、01年、大阪市は落選。その後は新たな施設建設が見送られていた。 しかし、ここに来て大阪南港の舞洲人工島で進められている「舞洲スポーツアイランド構想」が、大きな動きを見せている。'13年に練習拠点を舞洲に移転したJリーグの「セレッソ大阪」に加え、今年4月からはプロ・バスケットボールの「大阪エヴェッサ」が舞洲アリーナに、さらに来年には「オリックス・バファローズ」の二軍が移転する。 「舞洲スポーツアイランド構想」は、大阪五輪誘致に向けて計画され、開催の際にはメーンプロジェクトになるはずだった。その後、誘致は失敗し、計画もペースダウン。しかし、セレッソなどの3チームが移転を表明したことでムードは一転。吉村洋文大阪市長も、湾岸エリア活性化の象徴として期待を寄せる。 「3チームが集まることで相乗効果が期待でき、残りの部分の開発にも弾みが付きます。これで夢洲にカジノを誘致し、USJや海遊館の北港エリアと今以上の連携ができれば、湾岸はこれからの大阪の中心になりますよ」(おおさか維新の会の某市会議員) お荷物転じて希望の星のようになりつつある舞洲。だが、実情を見れば喜ぶのは早そうだ。 「3チームが集まっても交通アクセスの悪さは相変わらず。それも二軍や練習場が中心ですから、阪神タイガースでも移転しない限り、今以上の賑わいは期待できないと思います」 とは、あるスポーツライター。交通アクセスの悪さは、そのまま治安の悪さにも繋がっているようだ。 「神戸の空港島もそうですが、広大な土地が空いたままになっていると、どうしても雰囲気が悪くなる。違法なモノの取り引きや外国人犯罪の摘発時には、今も真っ先に名前が挙がります。舞洲には以前、風俗特区、外国人特区のアイデアもあったように聞いている。吉村市長はスポーツとは別の利用法を真剣に考えてはどうでしょう」(舞洲勤務の大阪市職員) 果たして、湾岸エリア活性化なるか。
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その他 2016年03月20日 13時00分
【幻の兵器】中国東北部の気候風土に特化させた特殊車両「湿地車(SB器、FB器)」は戦後も研究開発が
満州(現在の中国東北部)の関東軍(中国東北部に進駐していた日本軍の部隊)はソビエトの沿海州を主攻略目標のひとつとしていたが、攻勢正面である松花江下流域には大小の湿地が散在しており、凍結期以外は軍隊の通過が困難な地域だった。 日本陸軍工兵史によれば、現地は茫漠たる大湿地帯で底なし沼や野地坊主に被われた湿原などが入り乱れ、さらに大小さまざまの水流が網の目状に広がっている地域であった。そのため、個々の兵士や重装備を持たない偵察部隊などであれば、小型のボートなりゴム製の浮き袋なりを使用して突破可能だが、大規模な土木工事を行って専用道を開設しない限り重火器の通過は全く不可能だった。 中でも厄介なのは、背の高い一年草の群落が形成する直径数十センチ程度の野地坊主で、夏季は1から2メートルの高さに育成して視界を妨げるばかりか部隊の通行も阻害し、凍結期は枯れた根株が固くしまるために一種の対戦車障害と化して、あらゆる車両の通行を妨げたのである。そのため、攻勢正面の大湿地帯を突破し、重火器や補給物資の輸送を可能にする湿地専用運搬車の開発が必要だと考えられた。 湿地突破用特殊運搬車は湿地車という開発名称が付けられ、三菱重工が試作を担当した。最初の湿地車(SB器)が完成したのは1933年のことで、鉄製の幅が広いキャタピラに加えて腹部にはゴム製キャタピラも備えたうえ、水上走行用のスクリューも装備していた。試作車両は重量約10トン、全長は約10メートル、エンジン出力は100馬力で歩兵1個分隊を積載可能だった。ところが、浅い湿地の通過は可能だったものの、深い泥沼では動きが取れなかった。 試験によって得られたさまざまな情報を検討した結果、もっとも大きな問題は履帯(キャタピラ類のこと、以下同)にあることが判明した。表面が水で被われているという点では類似しているが、水面と違って湿地では車体を支える浮力のようなものが全く作用しない。そのため、なにかの拍子に前後左右のバランスを崩したら最後、軟弱地盤にはまり込んで身動き取れなくなるか、ひどい時にはそのまま転覆することさえあった。そのため、単に履帯の幅を広げて接地圧(車体が地面に加える圧力で、地面に触れる面積が大きいほど低くなる)を低くするだけでなく、履帯に浮力をもたせて車体を支えるとともに、たとえバランスを崩しても水面上のような復元力が働くような仕組みを考案することとなった。 ただちにゴム製浮嚢式履帯を採用して重量も半分に押さえた試作二号車が製作され、再び走行試験が行われた。履帯のゴム製浮嚢は接地圧を低下させるとともに、地表面が水で覆われたような地域では車体に浮力を与えた。また、これらのゴム製浮嚢には空気が充填されており、足踏み式の空気ポンプで膨らませるようになっていた。湿地は必ず沼とか湖につながっていることからSB器と同様に試作二号車にも水上走行能力が要求され、車体後部にはスクリューが取り付けられていた。このスクリューは、陸上走行時に上へ引き上げられた。陸上や沼地でも履帯で走行可能な場合は、一般の装軌車両と同様に方向転換を行うが、水上ではスクリューを左右に振って方向転換を行った。その他、深い水面を渡る際には車体前部に波切り板を取りつけ、側面や後部には波除けの板を立てていた。 先代のSB器は車体に物資や兵士を乗せたが、試作二号車では軽くするために車体へ直接搭載せず、合板製の折り畳み式そりに搭載して牽引することとした。そりは10名程度の兵員または物資を搭載することができ、同時に5台を牽引可能だった。また、その他には野砲を特殊なスキー状の台に乗せ、そちらは2門まで牽引することができた。 試作二号車は草湿地、水流、泥濘の全てを走破できたため、湿地車(FB器)として採用されたが、制式名称は最後まで決まらなかった。FB器は1934年から45年にかけて三菱重工業で生産され、合計146両完成した。しかし、部隊への配備状況は不明である。日本軍の基本的な戦術は歩兵の機動力を生かして迂回浸透を試み、側面から近接攻撃を加えるというものだった。それも、可能な限り敵が予想しない方面、例えば、通常なら部隊の通行が不可能と考えられている方面などから迂回し、奇襲攻撃を加える事を理想としていた。そのため、大部隊の通過が不可能と考えられている湿地帯を攻勢正面に設定し、突破による奇襲効果を狙った関東軍にとって、湿地車は最重要兵器のひとつだった。 また、湿地車が一定の成功を収めたことがきっかけとなり、その特殊な履帯構造を活かして中国東北部の気候風土に特化させた特殊車両の研究、開発にも着手している。まず、湿地用偵察車としてFB器を少し小型にした二人乗りの車両を試作し、仮にTB器と呼称していたようだが、どうやら量産には至らなかったらしい。この車両については、水上での方向転換用に舵を装備していたということ以外、詳細はほとんど判明していない。 その他FB器が柔らかい土地の上を走れることを利用して、深い雪の中を潜らずに走らせることを狙った車両も開発され、ユキ車と呼ばれていた。この車両はFB器から水上走行装置を外し、浮嚢の中にはカポック(発砲スチロールのようなもの)を詰めていた。だがTB器と同様にユキ車も量産されず、やはり詳細は不明である。さらに、太平洋戦争が始まってからはFB器の両側にさらに固定浮嚢をつけて浮力を増し、前後に板をつけて波浪に耐えるようにした車両が試作され、ナミ車と名付けられた。ナミ車は沖合いに浮かぶ潜水艦や輸送船などから海上へ放出された運貨筒(物資運搬カプセル)や、大型フロートにくくり付けられた兵器などを回収、牽引して浜まで運搬する事を目的としていたが、やはり試作のみに終わった。 ただし、湿地車は軟弱地盤用特殊牽引車として十分な性能を有しており、いくつかの派生型が生まれたことから見ても、発展性に富んだ車両であったといえる。実際、湿地車の研究、開発は戦後も防衛庁において継続されていた。施設機材(工兵用機材)の研究、開発を担当する技術研究所第四研究所第一部において、泥濘地作業車という名称で1950年代の後半まで研究が継続されていた。 しかし、湿地車の履帯に取りつけられた浮嚢は、尖った岩や鋭く突き出た切り株などで破損する可能性があり、当然ながら敵の射撃を受ければひとたまりもなかった。さらに、急旋回や場合によっては前、後進の際にも履帯から外れたり、あるいは取付部がゆがむなど、車両の機動力を低下させる要因となってしまった。湿地車最大の欠点は、最大の特徴でもある履帯の構造にあったといえる。最終的に、湿地車は雪上車をはじめとする特殊車両や建設工事車両の母体となって、その役割を終えたのである。(隔週日曜日に掲載)■ データ 湿地車(FB器)重量:自重4.5t 乗員:2〜3名寸法:全長6.9m、全幅2.8m、全高2.2m動力:空冷ガソリン30〜40馬力(推定)履帯の浮袋:片側28個(1個の大きさ81×41×23cm)速度:陸上24〜30km/h、湿地上5〜15km/h 水上8.5km/h
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レジャー 2016年03月20日 12時01分
フラワーC(GIII、中山芝1800メートル、21日)藤川京子のクロスカウンター予想!
中山11R、フラワーCは◎ルフォールが素質の高さで重賞勝ちを狙います。 新馬は、後方のインを追走、馬群の中でも問題なく、直線は外から追われると豪快な伸び脚で抜け出し快勝。理想的なレース運びでの勝利でしたし、緒戦でいい経験ができたような気がします。体にもまだ余裕がありましたけど能力の高さでカバーできましたね。そして前走のクイーンCは、大外枠発走から勢いがつかず最後方追走。勝った馬がGI勝ち馬メジャーエンブレムでしたので相手は強かったですが、4角最後方から直線は内から猛然と追い込んで8着。敗れはしましたけどゴール前の脚はとても際立っていました。 マイルもいいですが距離延長は歓迎だと思うし、1度使われての上積み大。攻めの気配も良さそうで、前走時よりも鋭い走りができそう。レースでは落ち着いていて、バランスのいい走りができるので初の中山でも期待度が高いです。(8)◎ルフォール(9)○エンジェルフェイス(3)▲ゲッカコウ(1)△ラブリーアモン(12)△ペルソナリテ(6)△ヴィブロス(15)△ゴッドカリビアンワイドBOX (8)(9)(3)(1)※出走表などのデータは、必ず公式発表のものと照合し確認して下さい。
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アイドル 2016年03月20日 12時00分
結婚&妊娠は本当の意味での“脱アイドル”の好機。しかし新たな“ママタレ戦争”も
元モーニング娘。の吉澤ひとみが第1子妊娠を発表した。昨年秋、「いい夫婦の日」の11月22日にIT企業経営の一般男性と結婚。デキ婚も少なくない昨今の芸能界においては、いたって順調な結婚生活と言えるだろう。今後は、芸能生活の変化にも注目が集まるところだが、喜ばしいはずのおめでたニュースを歓迎できない人たちも? 2000年4月、石川梨華、辻希美、加護亜依らとともに「4期メンバー」としてモーニング娘。に加入した吉澤ひとみ。「よっすぃ〜」のニックネームで彼女が活躍した頃、モーニング娘。の人気はまさしく絶頂。文字通り、黄金時代だ。その後、頼れるリーダーも務め上げた吉澤がグループを卒業してから9年。今や、よっすぃ〜も30歳。立派なアラサータレントだ。もちろん、歳を重ねたのは吉澤だけではない。初代リーダーの中澤裕子は42歳と「熟女」の域に踏み込んでいる。 モーニング娘。という国民的アイドルグループを離れてから、元メンバーにはそれぞれの歩みがあった。波乱万丈な人生を送っている者もチラホラ。そんななかでも、ひとりまたひとりと、「結婚」「出産」という“ごく普通”の幸せを手に入れているのは、彼女たちを応援してきた多くのファンにとっても嬉しい限りだろう。 年齢的にそういった時期なのか、吉澤以外にも元モー娘。の「おめでた」の報せが相次いでいる。最近では、昨年12月に後藤真希が第1子を出産、今年2月には安倍なつみが懐妊発表。また、同じハロー!プロジェクトに所属したメンバーでは、今年2月に里田まいが第1子を出産。2014年12月には、松浦亜弥が病気を乗り越え、第1子を出産している。この次に吉報を届けてくれそうなのは、2014年にお笑いタレントのあべこうじと結婚した高橋愛、その前年にイタリア料理研究家・小崎陽一氏と結婚した保田圭あたりだろうか。 今や、黄金時代を築いた5期メンバーまでで、結婚や出産を経験していないのは、石川梨華、小川麻琴、紺野あさ美、新垣里沙の4人を残すのみとなった。それぞれに熱愛の噂などはあるものの、元同僚たちのおめでたラッシュもあって、ぼちぼち周囲から“プレッシャー”を与えられている頃かもしれない。 芸能界全体では、若手女優やモデル、グラビア系タレントらのおめでたニュースも次々。近いところでは、2月に秋山莉奈が第1子の出産を報告している。ただ、前述した元モー娘。メンバーたちと比べると、出産への注目度は少し低いようだ。個々の知名度の違いももちろんあるが、なにより「アイドル」と「出産」というギャップが、世間の耳目を集めている要因なのだろう。 本人が好むと好まざるとにかかわらず、「仮想恋愛」をひとつの売りに、ファンとの関係を築いていくアイドル。恋愛、結婚、妊娠といった、ひとりの女性としてごく当たり前の幸福が、ファンにとっても幸福であるとは限らない。事実、2007年7月、すでにモーニング娘。を卒業していた飯田圭織のデキ婚が報じられた際には、ファンの間に大きな動揺が走った。折り悪く、マスコミの報道があった翌日には、飯田とファンによるバスツアーイベントが予定されていた。あまりにも予想外なニュースに、現実を消化できないまま眠れない夜を過ごし、楽しいはずのバスツアーで涙を流す者も少なくなかったという。 一般の目には、いい歳をしたオッサンたちがアイドルのデキ婚に号泣するなど、異常な光景として映るかもしれない。しかし、アイドルという職業が、そうした関係性に支えられているというのも事実だ。 現在では揃ってアラサー、アラフォーとなった元モー娘。メンバーでさえ、すべてのファンから結婚や出産を祝福してもらえるわけではない。長年リーダーを務めたのちにグループを卒業し、大きなスキャンダルも起こさず女優として活動していた「優等生」の高橋愛でさえ、2014年2月にあべこうじと結婚した際には、一部のファンからバッシングに遭っている。 グループを卒業すれば、ファンが望む「アイドル像」から解放されると思いきや、それもなかなか許せないのがアイドルファンの心理。結婚や出産を機に、ファン離れが進む可能性も高い。 しかし、見方を変えればそうしたファン離れは、元アイドルにとって「本当にアイドルを卒業するチャンス」とも言える。実際、いまひとつパッとしなかった元アイドルが、結婚や出産を機に「ママタレ」として成功するケースは多い。アイドル時代に武器になったビジュアルは、華やかな絵面を作りたいテレビや雑誌サイドにとっても使い勝手のいいものだろう。 元モー娘。では、辻希美や藤本美貴が好例だ。実はこの2人、結婚や出産によって最もファン離れが進んだ2人と言ってもいい。辻はできちゃった結婚、藤本はリーダー就任直後の熱愛発覚。いずれも、ファンにとっては「悪夢」と呼べるものだったに違いない。そんな2人が、最も成功している元モー娘。となっているのだから、いささか皮肉な話だ。 最近では、後藤真希がママタレの仲間入りを果たした。この後藤の転身を、ガチ恋系ファン以上に苦々しく思っているのが、既存のママタレたちだ。ママタレにとって最も重要なのは、「同世代の主婦層」からの支持。今の若い主婦たちは、子供の頃にモーニング娘。を見て育っているため、自然と「元モー娘。ママタレ」は共感を得やすい。特に、当時の後藤真希の人気は辻希美や藤本美貴とも比較にならず、今なお「憧れ」というイメージは強い。後藤がママタレとして注目を浴びるのは、当然の流れだ。 後藤に限らず、元モー娘。が次々にママタレ化し、限られた「枠」めぐって既存のママタレたちは戦々恐々としていることだろう。枠が限られている以上、元モー娘。全員がママタレとして成功するわけではない。今後は、「元モー娘。ママタレ」のなかでも、“熾烈なセンター争い”が繰り広げられるはずだ。【リアルライブ・コラム連載「アイドル超理論」第20回】
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スポーツ 2016年03月20日 12時00分
4・10両国に向けて動き出した新日本、棚橋の巻き返しはあるか?
「NEW JAPAN CUP 2016」(以下NJC)は、内藤哲也が後藤洋央紀を決勝で破り初優勝。試合後にはロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンに襲撃された後藤をオカダ・カズチカ、石井智宏らCHAOSが救出。後藤は先月の大阪大会終了後よりオカダからCHAOSに勧誘され続けていたが、オカダが差し伸べた手を握り返したことで、ついにCHAOS入りが決定的となった。NJC覇者の内藤は、オカダが保持するIWGPヘビー級王座への挑戦を“上から目線”で選択。4・10両国国技館大会での対戦が決まった。 また、真壁刀義&本間朋晃が保持するIWGPタッグ王座への挑戦表明をしていたタマ・トンガは、実兄のタンガ・ロアをバレットクラブの新メンバーとしてパートナーに指名。こちらも4・10両国大会での挑戦が決定した。タンガ・ロアは、アメリカのWWEやTNAでカマーチョのリングネームで活躍した大物。実父のキング・ハクも1・4東京ドーム大会、1・5後楽園ホール大会にバレットクラブTシャツを着て参戦しており、バッドラック・ファレも含めて新日本マットにサモア旋風が吹き荒れそうだ。 さらに、第三世代に対して「ケツの青い先輩たち」と挑発を続けていたNEVER無差別級王者・柴田勝頼が、12日の青森大会で田口隆祐と組み、天山広吉&小島聡のテンコジタッグと激突。パートナーの田口が小島のラリアットでスリーカウントを許しただけでなく、試合後には自身も小島からラリアットを食らってリング上で大の字に。小島がNEVER挑戦を堂々と表明すると、バックステージに戻った柴田は、小島がNEVERへの挑戦権も掛けられていたNJCを2回戦で敗退したことについて苦言を呈した上で、挑戦を受諾。3・19愛知県体育館での対戦が決定した。 3・3大田区大会で、今年のNJCベストバウトと言ってもいい死闘を演じたROH世界TV王者の石井智宏とEVIL。この試合で開花したEVILは、12日の青森大会にてパートナーBUSHIの毒霧援護があったとはいえ、必殺技EVILで石井からスリーカウントを奪った。試合後にはリング上で石井のベルトを手にしアピール、バックステージでは「オイ! 無様な負け方だったな、石井! この後どうすんだ!? 答えは見えてんだろ」と凱旋帰国後、最も長い“日本語”でまくし立てた。この結果、3・20尼崎大会での挑戦が決定。EVILにとっては大チャンス到来である。 3・20尼崎大会では、もうひとつ気になるタイトルマッチが組まれた。それはケニー・オメガ&マット・ジャクソン&ニック・ジャクソンに棚橋弘至&マイケル・エルガン&ジュース・ロビンソンが挑戦するNEVER無差別級6人タッグ選手権試合だ。今年に入ってからの棚橋は、重要な試合で負けが込んでいる。1・4ドームでのオカダ戦、2・14新潟大会のケニー戦、そして3・3大田区大会でのファレ戦。“エース”にとってこの3連敗は痛いだろう。棚橋がこれから巻き返しを図るためには、どこに照準を絞ればいいのか? そんな中、今回組まれたタイトルマッチは、挽回のキッカケを掴む機会となるかもしれない。 棚橋がNEVERブランドに絡むのは今回が初めてのこと。本稿執筆時点で棚橋からコメントが出ていないので、あくまで推測に過ぎないが、その先にはケニーが保持するIWGPインターコンチのベルトがあるのは言うまでもないだろう。2年前に中邑真輔を破ってインターコンチのベルトを巻いた時、「オレの色に染める」と宣言していたが、結果的にそれは実現できなかった。そして中邑の離脱に際し、「鬼の居ぬ間にオレの色に染めますよ」と言って臨んだケニーとの王座決定戦でも完敗を喫してしまう。棚橋の中で「3度目の正直」という思いがあるのと同時に、まずケニーに勝たなければ巻き返しは図れないという気持ちもあるはずだ。 王者であるケニーの口からも「タナハシが挑戦してきても問題ない」という言葉があるように、棚橋に2連勝すればバレットクラブの新しいリーダーとして磐石の地位を築けるという計算があるはず。この2人に加え、IWGPヘビー級王座獲りを諦めていないエルガンや、LION'S GATEでノアの中嶋勝彦を相手に大善戦したロビンソン、そしてIWGPジュニアタッグ再戴冠を狙うヤングバックスが絡むこのタイトルマッチは、4・10両国、5・3福岡国際センター、そして6・19大阪城ホール大会までを占うカードになる可能性を秘めている。 巻き返しを図るエースが、初夏に向かう新日本の鍵を握っているのは間違いなさそうだ。(増田晋侍)<リアルライブ・コラム連載「新日Times」VOL.10>
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芸能ネタ 2016年03月20日 12時00分
歌謡(うた)のマドンナ 第6回 小桜舞子 デビュー曲が秋田限定で空前の大ヒット! 「歌で福祉のために役立つことを」
大人の恋をしっとり歌い上げる魅力と、可愛らしさを兼ね備えた小桜舞子。子供の頃からテレビの歌番組によく出ていたという。 「『日本ちびっこ歌謡大賞』や『全日本ちびっこ歌まね大賞』などに出ていました。一番最初は4歳の時。番組の企画で、初めて会った男の子と一緒に『3年目の浮気』を歌って審査員特別賞をもらいました。よく歌っていたのは松村和子さんの『帰ってこいよ』や細川たかしさんの『北酒場』。番組側の企画で昭和の名曲を歌うことも多くて、そこでたくさん曲を覚えましたね」 しかし、歌手になりたいわけではなかった。 「ただ好きで、楽しいから歌っていたんです。なかなか会いに行けなかった祖父母に、元気にしている姿をテレビを通じて見せてあげたかったからというのも大きな理由です」 当時はやっかみもあったという。 「同じ番組に出ている子たちはみんな真剣に歌手を目指していて、賞を獲れないと大泣きしていました。その横で、私がたまたま賞をもらって無邪気に喜んでいると、付き添いで来ていた母から血相を変えて怒られたものです(笑)。今活躍している歌手やタレントさんの中にも、同じ番組に出ていた方がたくさんいます。スカウトされる子もいましたが、ほとんどがうまくいかないのを見ていたので、『芸能界は怖いところ』と、親も歌の世界に入ることには反対でしたね」 高校1年の時、横浜で行われたNHKのど自慢に出場。見事に鐘を鳴らした。 「歌ったのは坂本冬美さんの『祝い酒』。放送当日がちょうど祖母の誕生日で、『おばあちゃん、お誕生日おめでとう。いつまでも元気でいてください!』とテレビを通じてお祝いを言うことができたんです」 歌手に憧れる気持ちはありつつも、福祉の道に進むことを考えていたという。老人ホームなどへ慰問に行って歌う活動も続けていた。 「もともとお年寄りが大好きでしたし、ちびっこ歌番組に出ていた子同士で老人ホームに慰問に行って歌い、喜んでもらえた経験も大きなきっかけです。将来は施設で働きながら、時々レクリエーションの時間とかに皆さんに歌を聞かせてあげたりして、歌手にならなくてもそういう形で歌えればいいと思っていました」 進路に決心がつかないまま短大に進学。その頃、信頼できる人物(現在の所属事務所社長)を紹介され、この人の元でならと親も納得して、歌手になることを決意。'03年に『恋する城下町』でデビューした。 「デビュー曲は桜の名所として有名な秋田の角館町を歌った作品で、NHK秋田放送局開局70周年記念曲として作られたものでした。誰に歌わせるかを考える際、新人で、のど自慢出身でNHKとも縁があるということで、神奈川出身であるにもかかわらず私を選んでくださったそうです。当時は秋田限定で、NHKのニュースや朝ドラの前後に、秋田の名所の風景映像のバックに私の歌が流れるという形で、毎日のようにオンエアされました」 そのおかげで発売前から大人気になった彼女。秋田でのフィーバーぶりは凄まじかった。 「秋田県内の売上ランキングでずっと1位。演歌だけじゃなくて、浜崎あゆみさんや宇多田ヒカルさん、モーニング娘。さんなどがいる中での総合1位でした。NHKで『小桜舞子、15週連続1位なるか!?』という特番が組まれたほど。イベントで歌う時は、お客さんが殺到して危ないからと、客席に降りるのを止められました。CD即売会で色紙が足りなくなって、町中から色紙を買い集めてくれたのに、それもなくなって、お客さんの着ている服にサインしたことも。その年は秋田に60回以上は通いましたね。角館町の観光大使にも任命していただき、今も毎年春の『桜まつり』をはじめ、年に3回は秋田におじゃましています。いまだに私が秋田出身だと思っている人も多いですね(笑)」 福祉への思いは今も持ち続けている。昨年に、介護の資格を取った。 「『介護職員初任者研修』を取得しました。きっかけは、小さい頃から可愛がってくれた知人の女性が入院したことでした。お見舞いに来ていたお孫さんが福祉の専門学校で学んでいる人で、寝たきりの人を動かすための体位変換などを、いとも簡単にやっていたんです。手品みたいでした。それを見て、やっぱりきちんと勉強したいと思って…。その職に就くかどうかは別にして、介護ってみんな通る道ですし、コツを知っているのと知らないのとでは大きく違いますから。する側も、される側も、お互いに気持ちよくやれる方がいいですよね」 歌手だからこそできることとして、今も各地の福祉施設へ慰問に訪れている。 「『青い山脈』『東京ラプソディ』といった、皆さんが知っている曲を歌います。昭和の名曲って、タイトルを言わなくてもイントロが流れた瞬間に『あっ! 知ってる!』って顔をなさるのがすごいですよね。歌で記憶が呼び起こされるみたいで、認知症の方が急にしゃべれるようになったり、手拍子することで体のいろんなところが刺激されて、元気になるみたいです。そんなふうに喜んでいただけると私もうれしい。自分の歌がちょっとでも誰かの役に立つことがあるんだと分かると、歌手って幸せな職業だなと思いますね」こざくらまいこ=1978年6月6日神奈川県茅ヶ崎市生まれ。2003年『恋する城下町』でデビュー。現在、秋田県仙北市と、千葉県木更津市の観光大使を務めている。これまでに15枚のシングルを発売。最新曲は『しのぶ坂』。
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その他 2016年03月20日 11時00分
【コンピューターゲームの20世紀 65】横スクロールシューティングの歴史はここから始まったコナミ『スクランブル』
今では当たり前になっているテレビゲームのスクロール機能。それが初めてシューティングゲームというジャンルに実装されたのはウィリアムス社の『ディフェンダー』からで、その発売日は1980年の12月のことである。同作では左右両方向への任意スクロールが搭載され、左右がループする横長のフィールドを自由に移動することができた。ゲームの目的は敵の全滅にあり、操作は1レバーに5ボタンと複雑で、左右への移動はボタンによるジェット噴射によって行う。画面内の敵を全滅させる、いわゆるボンバーの採用など、非常に革新的なゲームであった同作だが、操作の煩雑さという欠点から特に日本国内での出回りは悪く、その存在はあまり知られなかった。 その『ディフェンダー』に代わって国内におけるスクロールシューティングの礎となったのが、今回紹介するコナミの『スクランブル』で、この作品によって従来の固定画面シューティングは時代遅れとなり、シューティングゲームというジャンルを一変させたのだ。その人気は国内のみにとどまらず海外からも注文が殺到し、この大ヒットによってコナミはレジャックの下請けメーカーから開発・販売を手がける一大メーカーへと躍進し、その後も自社ブランドからヒット作を連発。1984年には念願の株式上場を果たしている。また、海外では多くのメーカーが本作をライセンス生産し、これを機にコナミは海外進出を成し遂げている。 本作の発売は1981年3月と『ディフェンダー』からわずか3か月遅れであり、一見すると全く無関係の開発と思われる。しかし、実際にはAMOAエキスポに出展されていた同作をコナミ創業者の1人である上月氏が熱心に眺めていたとの記録が残っており、恐らく『ディフェンダー』に衝撃を受けた氏が開発を指示したのではないかと思われる。ただ、それで出来上がったのが『ディフェンダー』の劣化コピーであったのなら、そのまま歴史の闇に葬られていたのであろうが、本作は多くの点でそれを上回る作品。ステージごとに大きく変わるフィールドやエネルギー制+残機制というシステムなど本作独自のシステムやゲーム性が確立されている。ハッキリ言ってしまえば『ディフェンダー』との共通点は横方向にスクロールすることのみで、本作は全くオリジナルのゲームだと言ってもいいだろう。 本作の操作系は非常にシンプルで、8方向レバーで画面内を自由に移動でき、2つのボタンで前方に発射されるショットと前方に投射されるボンバーによる攻撃を行う。基本的には対空・対地の役割を持つが当たり判定に区別はなく、どちらの攻撃でも敵や建造物の破壊が可能だ。ミスとなるのは敵や地形への衝突と燃料切れ。本作では敵が弾を撃ってくることはないため、敵の体当たりが主な脅威になっている。また、『ディフェンダー』では地形には当たり判定がなかったが、本作では地形への衝突は即座にミスとなる。この仕様によってシューティングゲームにとって地形が大切な要素になっていくのである。最後の燃料切れに関してであるが、これは地上にある燃料タンクを破壊することで燃料の補給が可能。1周目では普通にプレイしていれば(最終ステージ以外では)燃料切れは起こりにくいが、2周目以降は大きな足かせとなり、難易度上昇の一因になっている。 1面は難易度も低くチュートリアル的な役割を果たし、2面では洞窟地帯に突入し空中に敵UFOが出現。3面は破壊不能な隕石が前方から大量に押し寄せ難易度が大幅に上がる。4面と5面は狭い地形を縫うように進まなければならず、6面では最終目的である敵指令基地を破壊すれば1周クリアとなる。これらのステージが切れ目なく進んでいくのが特徴で、従来の固定画面シューティングと比べてゲーム性が飛躍的に向上している。操作方法は単純にしてステージの構成を変化させることでゲーム性を作っていくという手法は、後のスクロールシューティングで基本となっていった。また、地形を上手く使っていくというステージ構成は横スクロールシューティングゲーム(横シュー)との相性が良く、本作は日本初の横シューながら、後の作品の手本となるような完成度を持っていたのだ。 本作によってコナミが大きな飛躍を遂げたのは先にも述べたが、大手メーカーとして発展を遂げた後にも大きな副産物が生み出されている。それが本作の続編として開発された『グラディウス』であり、同作はコナミを代表する看板作品というだけでなく、シューティングゲームの歴史に残る名作として多くのファンから愛されている。その変幻自在なステージごとの変化は本作譲りであり、斬新なパワーアップシステムとともにプレイヤーを虜にした。もしも本作が発売されていなければ後のシューティングゲームの歴史は大きく変わっていたかもしれないのだ。(須藤浩章=隔週日曜日に掲載)DATA発売日…1981年メーカー…コナミハード…アーケードジャンル…シューティング(C)KONAMI 1981
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芸能ネタ 2016年03月19日 18時00分
休業中の『ベッキー』の名前を残すテレビ番組、そこにはこんなワケがあった!
1月末からタレント活動を休業しているベッキー。これまでのレギュラー番組を持つテレビ局は、「降板はしていない」として番組に名前を残しているが、ここには、後に入るタレントの思惑があるようだ。 各局の4月からの番組編成が発表され始めたが、その中でたびたび出てくるのが、「降板されてはいないので…」とベッキーを出演者の中に残しておく番組だ。あるテレビ局関係者は「実際に、戻ってきたときに起用する番組もあるでしょうが、中にはベッキーの代わりを立てて、新たなスタートを切りたいけど、他の番組が外していないのに、自分のところが外せばどう見られるかという思惑で残している番組もあるでしょうね」と明かす。半ばチキンレースのような状態だというわけだ。 ただ、それだけではない。ベッキー不在のときに後に入るタレントの思惑もあるという。「『金スマ』のベックは半ば笑いのネタだとしても、先日は『にじいろジーン』に清水富美加の新加入が発表されましたし、『世界の果てまでイッテQ!』も鈴木奈々が代わりとまではいかないまでもレギュラーのように出始めています。ポストベッキーといわれた後釜争いが徐々に進んでいるんですが、彼女らの事務所の思惑としては後釜レースには参戦しても、『後釜』と言われたくないという思惑が強いんです。まあ、タレントも後釜とは言われたくないでしょうからね。だから、そう言わせないためにも、『ベッキー』の名前は残す。そうすれば新加入であって代わりではないという言い訳が立つし、ベッキーが戻ってきたときも残れますからね」と同関係者。 早ければ夏にも復帰するとは言われているが、その際、どこまでのレギュラー番組が残っているか。
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芸能ニュース 2016年03月19日 17時37分
博多ザ・ブリスコ東京ワンマン大成功! ジャガー・イケミ「来年もやる!」
福岡・博多を中心に活動するロックバンド「博多ザ・ブリスコ」が、13日(日)、東京・吉祥寺のRock Joint GBで「博多ザ・ブリスコ ジャガー・イケミ 52nd 生誕祭 ワンマンライブ」を行った。オープニングアクトに盟友・シマゼン率いるアンブレラ(vo.gシマゼン ba.柴田雄三 dr.笠松雅良)を迎えたライブでは全27曲、2時間以上に及ぶライブで観客を沸かせた。 博多ザ・ブリスコは、1989年、ジャガー・イケミ(vo.g)を中心に結成、幾多のメンバーチェンジを経て、現在はchee(dr)、Yukaringo(key)のベースレス編成。ブラックテイストでワンアンドオンリーなロックンロールを展開中だ。 11日に52歳の誕生日を迎えたばかりのジャガー・イケミは、「バンドも26年? 27年だったか(笑)」とボケつつも「つい最近よね? ということが10年前だったりすることがある」と、月日が経つのが早い感慨を告白。それもそのはず、年間100本近くのライブをずっと続けてきたバンドならではの時間の流れがあるのだろう。 開催前まではワンマンの客入りを心配していたジャガーだっが、ホールを埋めた観客の熱気に「来年も東京でワンマンライブをやる」と宣言。さらに「次の東京は10月21、22日」と、今回の上京でスケジュールをさっそく押さえたようだ。昨年には、タイで行われた10万人規模の大型野外フェス「ビッグマウンテンミュージックフェスティバル」に出演するなど行動的だった博多ザ・ブリスコは、今年もさらに精力的に活動するようだ。
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レジャー 2016年03月19日 17時26分
阪神大賞典(GII、阪神芝3000メートル、20日)藤川京子のクロスカウンター予想!
阪神11R、阪神大賞典は◎トーホウジャッカルが復帰戦を重賞勝利で飾ります。 脚部不安で昨夏の札幌記念以来7か月ぶりの実戦ですが、8か月休養明けだった前々走の宝塚記念は、中団追走から終始外々を回らされて、直線ではジリジリと伸びて0秒3差4着。展開も向かなかったですが、さすがGI馬の意地を見せました。菊花賞は3分1秒0のレコード勝ちでしたから、同距離の3000メートル戦のここは得意舞台。阪神コースも重賞で3、4着と問題なし。 宝塚記念のときに比べて乗り込んでいる本数は少ないですが、坂路で水準時計は出しているし、上々の動き。良くなるのは使ってからだと思いますけど、この条件なら底力で押し切る可能性に期待。(3)◎トーホウジャッカル(6)○タンタアレグリア(11)▲シュヴァルグラン(2)△アドマイヤデウス(5)△マイネルメダリスト (1)△カレンミロティック(7)△カムフィーワイドBOX (3)(6)(11)(2)※出走表などのデータは、必ず公式発表のものと照合し確認して下さい。
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GI菊花賞追い切り速報 フサイチジャンク反撃
2006年10月18日 15時00分
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GI菊花賞確信 3冠 サムソン ディ-プと対照的な雑草馬が史上7頭目の快挙へ サムソンの競馬さえしてくれば自ずと結果は出る
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2006年10月12日 15時00分
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GI秋華賞追い切り速報 春の実績馬を脅かす不気味な存在 究極の上がり馬 サンドリオン絶好
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