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遠い記憶 根岸競馬場の歴史(35)

 前回に続き、根岸競馬場と当時の競馬事情を知る関係者の座談会をお届けする。

 N(元騎手) 昔は2マイル1分という競馬があった。三四とかね。で、目黒記念なんかは三九というのが5回開かれているのよ。今の(東京の)千八のスタートから2周だ。僕は1943年、オークモントという馬に乗って勝った。(馬券は)199円5銭ついてね。
 K(元騎手) 三九なんて聞かないものねぇ。障害ならともかく…。
 W(元理事) 裁決とかハンデキャッパーっていうのは、どのようにやってたのかな?
 K(元騎手) みんなえらい人がやっていた。審判やったり、ハンデキャッパーやったりね。理事には知事や市長も入っていて、みんな閣下ですよ。そんなえらい人のそばには我々は近寄れなかった。

 −−出馬投票は、いつ締め切られたんですか?
 B(元騎手) 基本は前日だが、当日の朝にもできた。前日投票と朝の投票の両方があってな。僕は忘れて朝、フロに入っていて、ふっと気がついて駆けつけたが、もう時間切れで間に合わなかった経験もあったね(笑)。
 S(元騎手) たばこ屋で、出馬表(予約付)を売っていたような気がするが…。
 K それは予想屋が頼んでたのでは…。
 W 10銭だったと記憶している。そうしたら、競馬専門紙から文句がきてね。
 K 話はかわるけど、戦前、(作家の)佐藤紅緑さんが、馬への興奮剤使用に反対する内容のものを書かれておられた。
 B あの方は、率先して反対しておられた。
 K 興奮剤は戦後、陸上などのスポーツで問題になっているが、競馬では戦前からかね?
 B 昔はやったんだ。お茶をやり、(レースに)出る時にはビールをやったりね。

 ※参考文献…根岸の森の物語(抜粋)/日本レースクラブ五十年史/日本の競馬

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