その落合博満については、プロ野球ファンにとっては今更説明不要な人物であろう。ロッテ→中日→巨人→日本ハムと4球団を渡り歩き、史上唯一三度の三冠王を獲得している。
2004年から現在まで中日監督を務め、3度のリーグ優勝、1度の日本一に導いた、監督としてもなかなかの名将だし、現役時代を知っている方も数多いと思う。
ここでは、おそらくこの記事を読んでる方のほとんどが現役時代を知らないと思われる(当然ながら筆者もまったく現役時代は知らない)、もう一人の受賞者である皆川睦雄についておさらいしたいと思う。
皆川睦雄は1954年に南海ホークス(現・ソフトバンク)に入団した投手であった。ちなみに同期入団には、楽天の前監督である、あのノムさんこと野村克也がいて、同い年でもあった皆川と野村は長年南海を支える名バッテリーとなる。
4年目の57年よりピッチングフォームをオーバースローからアンダースローに変え、この時から南海を牽引するエース格の一人となる。
しかし当時の南海には宅和本司、中村大成、そして立教大学であの長嶋茂雄とチームメイトだった杉浦忠といった大エースがいて、皆川は常に2番手投手に甘んじていた。
だが投手のローテーション制度が確立していなかった当時の球界では、エースの連戦連投が当たり前となっていて、前述したそれらの投手も皆、短い実働年数で引退してしまう。
その中で皆川は18年間の現役生活を全うし、終わってみればホークスの球団記録である221勝を挙げている。当然、投手では200勝以上が条件の名球界にも入っている。
得意な球種はスライダーで、打者の手元でゆるく曲がるため、キャッチャーの野村曰く、日本で初めてカットボールを投げた投手だったらしい。68年には31勝を挙げたが、皆川以後日本球界で30勝投手は現れていないため、最後の30勝投手といわれている。確かにローテーションが徹底されている現在は20勝ですらかなりの快挙だから、30勝はまず無理だと思われる。
現役引退後は阪神、巨人、近鉄でコーチも務めたが、2005年に死去。69歳であった。まだまだ亡くなるには早すぎる年齢だと思うので残念である。
南海ホークスの歴史を語るに欠かせないエースだった皆川睦雄投手。筆者も現役時代はもちろん、コーチ時代も知らないのが少し残念だが、この度の野球殿堂入りによって、そんな往年の名選手を知るきっかけとなることができる。来年はどんな、球界の歴史に残る名手が殿堂入りを果たすのか、今から楽しみである。
文中・敬称略
年号は西暦で統一
(野球狂のアキバ系 伊藤博樹「2008年に訪れた大阪の、南海ホークスメモリアルギャラリーで、皆川投手のピッチング映像なら見たことがある」 山口敏太郎事務所)