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遠い記憶 根岸競馬場の歴史(1)

 港の見える丘や、外人墓地で知られる横浜・山手から南の方向に連なる根岸の丘に、横浜市の中心部では最大級の森林公園が広がる。総面積14万2000平方メートル。併設されている馬の博物館の入口にはシンザンの像が飾られ、その下には「5冠馬シンザン」と記されている。
 根岸競馬場こと横濱競馬場(正式名称)がこの地につくられ、最初の競馬が行われたのは、1867年1月11日(慶応2年12月6日=旧暦)である。横浜外国人居留地の英国人を中心とした、横浜レースクラブによって開催され、その後、日本人も徐々に加わり、主催団体の変化も経ながら、太平洋戦争下の1942(昭和17)年10月18日の最後の開催まで、江戸、明治、大正、昭和の76年間、ほぼ毎年、春秋2回の競馬が続けられた。

 太平洋戦争開戦時には、競馬場付属の建物に、神奈川県警部による「敵国人拘留所」が設けられ、英米など外国人が、一時拘留されていた。その後、競馬場の土地・施設は、当時の海軍に徴用され、機密文書の印刷所として使われた。
 1945(昭和20年)の敗戦後は、印刷所も含め、米軍に接収され、現在の森林公園となっている園地は、一面に芝生が張られ、戦前のゴルフ場が米軍用として復活した。米軍用の一部施設を除いて、旧競馬場の大半が接収解除、返還されたのが1969(昭和44)年。その後、国(大蔵省)、横浜市、日本中央競馬会の話し合いを経て1977(昭和52)年10月に、森林公園、競馬記念公苑がオープンし、現在に至っている。
 ※参考文献…根岸の森の物語(抜粋)/日本レースクラブ五十年史/日本の競馬

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