その橋本は選挙に抜群に強かった。理由は大きく二つあった。一つは、妻の久美子がほとんど東京住まいの橋本に代わって選挙区の岡山に住み、地元後援会をキッチリまとめあげる手腕があったこと。二つ目は、美男子の橋本に地元の女性が圧倒的にマイッてしまったことであった。久美子の手腕については、地元記者のこんな証言が残っている。
「ざっくばらん、気取ったところが一つとしてなく、かつ周囲への気配りが抜群に利いていた。スピーチをしても、そっくり返っているような橋本とは大違いで、断然、夫人のほうがウケた」
久美子のざっくばらんのスピーチには、じつはこんな“失敗”もあった。大分県で講演に招かれた折、週刊誌に「下ネタ大爆笑」とスッパ抜かれたのである。話の経緯は、こうであった。
橋本の選挙の際に、それこそ昼食抜きで朝から晩まで歩き続ける体験に触れたあと、「こうすると身体のシェイプ・アップになるし、お産で緩んだアソコも締まりがよくなります!」とやってしまったのだった。
もとより、代議士夫人によるこの手の話は大ウケだったが、サービスのつもりでしゃべったことがアダになったということだった。自民党の中からも「やりすぎ」の声が出た。しかし、当時、幹事長代理だった野中広務などは、「これはスゴイ。画期的なデキゴトだ」と妙な感心をもたれ、コトなきを得たのだった。
一方、選挙の際の橋本の「女性人気」は、なんとも凄まじかったらしい。いまの小泉進次郎を遥かに上回るそれだったことが彷彿させる。前出の地元記者の証言の続きである。
「街頭演説をやると、集まるのは大半が女性、それも若い女性が圧倒的だった。まさに“若武者”登場といったフンイキで、握手してもらって腰の抜けた女性もいたし、ホントに失神した女性もいた。女性の聴衆は、話なんて聞いていません。顔を見ているだけという感じがあった。“顔見世興行”だけで、橋本本人としては十分だったというワケです。もっとも、選対本部は冷静で、確かに若い女性はよく集まったが、子細に分析すると選挙権のない未成年の女のコが多く『大丈夫かいな』と、いつも危機感を引きずっていた」
かくのごとくモテモテの橋本だったが、後年の橋本には情報部員とも見られていた中国人女性、料理屋の女将、ホステスなどとの交際があまた伝えられるなどの“艶福家”ぶりも知られていた。これにはウラがあり、前述したように、橋本は東京暮らし、妻の久美子は選挙区の岡山暮らしという「別居生活」が、代議士2期目から政界引退となるまで約40年間も続いていたことが大きかった。
要するに、カミサンが居ぬ間のもっけの幸い、一人ノビノビの橋本の“女遊び”ということだったようだ。モテる男だっただけに、女性もまた放っておかなかったのである。そうした“夫と女性”について、久美子は内心はともかく、あっけらかんと次のように語っていたものだった。
「結婚するときは、この人はモテるだろうなとは思っていましたが、まあモテない人よりモテる人のほうがいいかなとも思ってもいました。主人はじつに女性には優しいし、まあ仕方がないかと。クリントン米大統領のヒラリー夫人に会ったとき、『お互いよく誤解されるわけね』と笑い合ったものです。私たちはお互いを信じ合っているというのか、私は割りに聞き流しちゃうタイプだから」(『週刊朝日』平成10年8月21日・28日合併号=要約=)
ここでのクリントンについては、ホワイトハウス内で若き臨時職員女性と“性的関係”を持ったとのハナシを指している。
そんな久美子に対し、橋本が政界引退後、自民党のベテラン議員からは次のような評があったものだった。
「政治家夫人として不向きとされるのは、夫の仕事、同僚議員のこと、ホントかウソか分からないような女性の話に、あれこれ口バシを入れる女性だ。久美子夫人はあらゆる雑音を聞き流し、それがまったくなかった。うるさいマスコミとも上手に付き合い、選挙区もキッチリ守る理想的な政治家夫人の筆頭と言っていいだろう。“橋龍”が首相の座まで駆け上がれたのも、半分以上は久美子夫人あってのことだった」
橋本の異名は、「風切り龍太郎」であった。田中角栄がタイコ判を押したほどのキレ者、怖い者なしで突き進んでいったことから来ている。当然、風当たりも強かったが、これも文字通り柳に風、受け流す度量の持ち主の妻・久美子だったのである。=敬称略=
(次号につづく)
小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。