日本経済新聞は6月11日の社説において《安倍政権は財政健全化から逃げるな》という見出しで、
「新目標が財政健全化の先送りにつながるようなことはあってはならない」
と、政府が新目標として債務残高対GDP比を盛り込んだことを攻撃した。また、産経新聞も6月13日の社説《財政健全化目標 規律を緩める理由あるか》で、
「ここで懸念されるのは、新たな目標を置いたことにより、PB黒字化で借金依存からの脱却を図る作業が失速しないかだ」
と、やはり政府の新目標を批判した。
日本の大手紙の記者や政治家、国民の多くが根本から勘違いしているのは、財政健全化の定義である。財政健全化とは、PB黒字化でもなければ、政府の債務残高を減らすことでもない。政府の債務残高対GDP比の引き下げだ。
財政健全化の「定義」から言えば、新目標はむしろ「まともな方向」に向かったことになる(PB黒字化目標が残ってしまったため、骨太の方針2017を“まともになった”とは表現できない)。
ところが、新目標に債務対GDP比が入ったことを受け、大手紙が社説で、
「財政健全化から遠ざかった!」
と、平気で書くわけだ。
話はまるで逆で「債務残高対GDP比の安定的な引き下げ」という、本来の財政健全化の定義が骨太の方針に加わった、というのが正しい認識なのである。
要するに大手紙のバックにいる財務省は、端から財政健全化など目的にしていないのだ。彼らが望むのは、あくまで「増税」と「政府支出の抑制」である。
何しろ「債務残高対GDP比の安定的な引き下げ」が目標になると、政府がデフレ脱却のために財政出動を拡大し、需要を創出し、実際にデフレ脱却。名目GDPが堅調に成長していく“だけ”で、目標達成となる。
つまりは、政府債務対GDP比の引き下げとは、わが国にとって「デフレ脱却」とイコールになるのだ。
それに対し、PB黒字化にこだわると、デフレ脱却のための財政出動を政治家が望んだ場合、
「他の予算を削減するか、もしくは増税」
という話になってしまう。PB黒字化目標とは、そういう話なのだ。
結果的に、日本はデフレ脱却が果たせず、政府の債務対GDP比は上昇していく。デフレ経済が続くと、税収は減り(実際に2016年度は税収が減った)、PB黒字化は逆に遠ざかることになる。
すると「財政が悪化した! PB黒字化の達成を!」と、財務省の御用マスコミが大合唱。さらなる増税や緊縮財政が繰り返されるというスキームになっているのだ。
そもそも、政府がPBを黒字化する必要などない。日本に限らず、徴税権と通貨発行権という強権を持つ政府は、国民経済を成長させ、国民を豊かにするためであれば、財政は赤字でも一向に構わない。何しろ、政府は「利益=黒字」を目的にした企業ではない。政府は「国民が安全に、豊かに暮らすこと」、すなわち経世済民を目的としたNPO(非営利組織)なのだ。
過去に日本政府が数年続けてPBを黒字化した時期がある。バブル期だ。
1985年から'92年にかけ、日本のPBは見事に黒字化した。統計的に確認可能な1980年以降、日本のPBが黒字化したのはバブル期のみだ。バブル景気により税収が激増し、景気対策も不要になれば、それはもちろんPBは黒字化するだろう。
というわけで、財務省が本気でPBを黒字化したいならば、政府の財政拡大と減税を繰り返し、景気を過熱させ、超好景気にすればいいのだ。
財務省の官僚が本気でPB黒字化を「目標」に掲げるならば、日本経済に超好景気をもたらすよう、財政拡大路線を認めるべきだ。それを認めないというのであれば、結局のところ、財務省はPB黒字化“すら”望んでいないという結論にならざるを得ない。
ところで、財政健全化の定義は「政府の債務残高を減らすこと」ではないと書いたが、過去の日本政府の債務がいかに増えてきたか、ご存じだろうか。評論家の島倉原氏が、明治期から近年に至る政府債務の推移をグラフ化し、公開している。
図の通り(※本誌参照)、日本政府の債務残高('15年時点)は名目の金額で1872年の3740万倍!(※3740倍ではない)。実質でも1885年の546倍! になっている。それにもかかわらず、日本政府はいまだかつて「財政破綻」をしたことがない。
そもそも、資本主義国においては、企業や政府の債務は増え続けるものなのだ。特に、企業が債務を増やしてまで投資をしようとはしないデフレ期には、政府が財政赤字を拡大し、国内の需要(消費+投資)創出に努めなければ、国民がひたすら貧困化してしまう。何しろ、誰かが支出しない限り、誰の所得も創出されないのである。
財務省が主導する財政破綻論を払拭できず、このままPB黒字化目標が維持された場合、政府は財政拡大による需要創出ができず、デフレ脱却も果たせない。PB黒字化目標は、今、この瞬間もわが国を「小国化」しているのである。
みつはし たかあき(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、分かりやすい経済評論が人気を集めている。