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俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈魔裟斗vs山本“KID”徳郁〉

 2004年2月『K-1 WORLD MAX』日本代表決定トーナメント。村浜武洋がマットに沈んだ瞬間、多くのファン、関係者が戦慄を覚えた。
 「とんでもない怪物が現れた!」

 山本“KID”徳郁。
 バックボーンはレスリングで、プロ実績は総合格闘技の修斗。K-1どころか立ち技格闘技の実戦経験もない。そんな山本が、元シュートボクシングのトップ選手でK-1MAXでも好勝負を繰り広げていた村浜をあっさりと下したのだ。
 「ノーガードでプレッシャーをかけながら前に出て試合の空気を支配するKIDは、とてもK-1初挑戦とは思えないスーパースターのオーラに満ちていました」(格闘技ライター)

 この試合で拳を痛めてトーナメントは途中棄権となったが、復帰後は総合やミックスルールで3連勝。
 その3勝目を飾ったリング上から、魔裟斗への挑戦を表明してみせた。これが10月のこと。決戦の舞台はもちろん、大晦日『Dynamite!』である。
 しかし、魔裟斗は'03年にMAXトーナメントを制覇した、日本人ではもちろん、世界的にもK-1中量級の頂点に君臨する存在。本来、立ち技経験わずか1試合のKIDでは手合い違いも甚だしいが、ファンは快進撃を続けるKIDに「もしや」の期待感を抱いた。

 一方の魔裟斗にしてみれば勝って当たり前。負ければ評価ガタ落ちともなりかねない何の得もない試合である。それをやらせてしまうのが、当時のK-1、そして大晦日テレビ中継のパワーということか。
 「魔裟斗は同年MAXトーナメント決勝、敗色歴然ながらも一旦は不可解なドロー判定を受け、一部ファンからは“主催者にひいきされる偽物のヒーロー”との見方をされていました。そんなマイナスイメージを払拭するための“みそぎ”の意味もあったのでは」(スポーツ紙記者)

 そうして迎えた試合当日。一応のメーンイベントは、前年ボブ・サップ戦からの雪辱を期す曙がホイス・グレイシーを迎え撃つ試合ではあったが、多くの興味は断然、魔裟斗とKIDだった。
 試合開始。KIDは村浜戦のようなノーガードではなく、きっちりとサウスポースタイルに構える。
 「KIDのそれは、いわゆる右利きのサウスポーとも違うかなり独特なもので、右を前に構えながら、一気に踏み込んで右の強打一発でKOを狙うというもの。相手の一瞬の隙を突くという意味ではタックルの動作にも似て、KID自身のバックボーンが生かされた戦法と言えました」(同・ライター)

 K-1でもキックでもない異質なスタイルに戸惑う魔裟斗がKIDの右に気を取られるところにスイっと左フックが伸びると、これがまともに顔面を捉え、魔裟斗は後ろに吹き飛ばされるようにマットに倒れた。
 それでもノーダメージをアピールするかのごとくすぐさま立ち上がった魔裟斗は、距離をとってキックで反撃に出たが、そこでアクシデントが発生する。
 魔裟斗の放った内腿へのローキックがKIDの金的を直撃したのだ。
 「ダウンを喫した直後だっただけに故意の反則ではないかとの見方もありましたが、それはうがち過ぎ。身長で自分と互角か上回る選手との対戦が多かった魔裟斗がそれと同じようにローを蹴ったら、たまたま小柄なKIDの股間の位置だったというのが真相だったのでは」(同)

 ともかく、渾身の急所蹴りを食らったKIDはマットに這いつくばって悶絶。インターバルの後に試合が再開されると、KIDはそれまでと変わらぬ様子で積極的に前に出たが、一方の魔裟斗もこのころから急速に動きが良くなる。
 2ラウンドに入ると、飛び膝など大技を交えながら蹴りを中心に軽快な攻めを見せ、右のミドルがKIDの腹部をとらえる。KIDはたまらず腰を落とし、これがダウンと判定された。
 それでもKIDは一発逆転を狙って前に出るが、リズムをつかんだ魔裟斗はそれを許さず全3ラウンドが終了。

 判定は僅差で魔裟斗。
 「ダウンは互いに1回。金的の反則分を挽回するほど魔裟斗が攻勢だったかとなると意見は分かれそうですが、試合そのものは見応えある好内容でした」(同)

 最高の舞台で最高潮の2人が相まみえた、日本格闘史上においても稀に見る名勝負であった。

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