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遠い記憶 根岸競馬場の歴史(32)

 先週に続き、根岸競馬場の昔を知る関係者の座談会をお届けする。
 陸軍騎兵学校の話題から、盛り上がるメンバー。

 N(元騎手) B先生は(騎兵学校に)毎日通っていたんでしょ?

 B(元騎手) 目黒から鞍を持ってね。新橋から浅草に出て。浅草橋から電車が出てたんだよね。習志野駅から騎兵学校までどうやって行ったかな、よく覚えていない。だけど、ロサンゼルス五輪の馬術で優勝した西さんも教官でおられた。中尉だったですよ。昭和12年になってからは競馬会が講習するようになって、私たちは第1回の講習生だった。

 K(元騎手) Nさんの乗ったウラヌスもまだ世田谷の馬事公苑にいたね。

 B 昭和13年に調教分離されてね。それまでは、はっきり区別されていなかった調教師と騎手がきちんと分かれたんだ。それからは、もう、私ら若い者にもレースに出るチャンスができた。それまでは、今でいう調教師が自分で乗っていた。レース数もそんなになかったから、私らが若いころには、なかなか出番が回ってこなかった。

 W(元理事) 発馬機のことについてはいかがだった?

 B スタートはね、最初は1本のゴムテープだった。パッと真上に上がるんだ。それがやがて6本のバリアになった。バリアは斜めに上がった。それから、今のゲートになったんだ。スタートといえば、横浜でコテツという馬に乗った時、ちょっと後ろを向いたところでパッとスタートを切られたことがあるんだ。あとでスターターさんに、「ちょっと来い」といわれ、「お前はズルい!後向いているから、わざとスタートを切ったんだ」としかられてね。こっちは不満だが、「どうもすみません」とあやまったのを覚えているよ。

 ※参考文献…根岸の森の物語(抜粋)/日本レースクラブ五十年史/日本の競馬

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