平成生まれの日本出身力士の優勝は初めてで、初土俵から21場所は史上3位のスピード優勝。また出羽海部屋からは昭和55年初場所の三重ノ海以来、38年ぶり。長野県勢としては、あの生涯でたった10敗しかしなかったという伝説の力士、雷電以来、なんと208年ぶりだ。
郷里の長野では、新聞の号外まで出るなど、周囲は大変な盛り上がりよう。
「すごく緊張した。周りの声援を聞いて優勝しなきゃいけないって感じになって。なんとか優勝できました」
栃煌山を破って優勝を決め、インタビュールームに呼ばれた御嶽海は、こう言って声を詰まらせ涙をこぼした。
そんな中、やはり最も喜んでいたのは、名門中の名門と言われる出羽海部屋の関係者かもしれない。師匠の出羽海親方(元幕内小城ノ花)も、こう言って声を上ずらせていた。
「嬉しいですね。(4年前に)関取が1人もいない状態で部屋を継承して、こんなに早く優勝力士ができるなんて」
この御嶽海は、平成26年に出羽海親方が部屋を継承した翌年、すでにアマ相撲の強豪、和歌山県庁に就職が決まっていたところを、出羽海親方が「なんとか部屋を再興させたい。力を貸してくれ」と頭を下げてスカウトした逸材だけに、喜びもひとしおだ。
そんな出羽海部屋の関係者が歓喜に沸く一方で、「さあ、出羽一門の強引な動きが始まった」と警戒する大相撲関係者もいる。
「このところ、出羽一門は人材に恵まれず、目玉はもうトウが立った豪栄道だけで、非常に肩身の狭い思いをしてきました。ところが、ここにきて栃ノ心が大関になり、本家の出羽海部屋からも御嶽海が出てきた。いかに出羽一門が新しいスターの誕生を恋焦がれていたか。御嶽海の優勝が大詰めだった13日目、14日目の相手が一門の豪栄道、栃煌山だったことでも分かるでしょう。おそらく御嶽海の大関取りがかかる来場所は、さらに見えすいたことが起こる可能性がある。心配です」
李下に冠を正さず——。やっと開花した期待の星は、公明正大に育てましょう。