「吸った息は丹田まで降ろします。丹田というのは、臍下三寸(約10センチ)の奥にあります。そこを指で押すと、非常に柔らかくへこみます。私の経験では、丹田という広いエリアではなく、点として意識したほうがよいと思います」
−−息を丹田に降ろす効果というのは何でしょうか。また、どんな意味があるのでしょうか。
「ちょうど丹田の位置というのは、人体の真ん中ということです。吸った息を丹田に降ろすことは人体の中央に意識を置くということになります。人間の体の60%以上は水分で構成されているといわれていますね。いわば人体は水袋のようなもの。もし人間という水袋をどこかへ運ぼうと思えば、中央を持ち上げるでしょう。端を持ったら持ち上げることなどできません。先ほど、思考を排除すると言いましたが、考えるときは頭に重心があるわけで、立位では非常に不安定です。やはり、重心は体の中心にあったほうが自在を得ることにつながります」
−−どんな姿勢をすれば、よいでしょうか。
「坐禅をするとき、よく背筋を伸ばしてくださいといわれますが、これはよくありません。体の中で妙に緊張する部分ができてしまうからです。言葉で表現するなら、むしろ天井を押し上げる感じといったほうがいいかもしれない。別に坐禅でなくても、椅子に坐って呼吸法を行ってもよいと思います」
−−坐る時間についてはいかがですか。
「私の坐禅会では、間に5分ほどの休憩を挟んで25分ずつ坐ります」
−−呼吸しているときは、目を開けているのでしょうか。
「そうです。半眼です。視覚的刺激も脳の負担が大きい。これを除くには、瞼の力を抜いて視野の輪郭と視界の中央の両方を均等に見つめるという工夫をします。自然に半眼になります」
−−なぜ、そうするのですか。
「人間は2点を同時に見つめると、思考がストップするのです」
−−想念や邪念が湧いてきたときは、どうすればよいでしょうか。
「想念が出てくるのは仕方のないことです。呼吸は自分では止められない。常に止まらず、流れているもの。その流れに自分の意識を乗せていくのです。想念が湧いても、すぐにまた呼吸の流れに乗せてやればいい。“私”というのは意識の凝集点です。意識が絶えず動くことで“私”というものがわからなくなります」
玄侑氏に瞑想状態の様子を聞いたところ、外界の音が玄妙に聞こえたりすることがあるという。
そこまでの経験は無理にしても、みなさんも一度は自分の呼吸を意識して、禅の呼吸法を実践してみてはいかがだろうか。