11月26日に国内FA権を行使していた小谷野栄一(34=前日本ハム)がオリックスバファローズ入りを表明した。「新たな場所でもう一度チャレンジしたい」と移籍に際しての決意表明を語っていたが、他球団との交渉が始まったころは「西武と相思相愛」と伝えられていた。獲得し損ねた西武側のショックはかなり大きい。
「11月23日にフェンフェスタが行われたんですが、鈴木葉留彦球団本部長が『小谷野選手から電話があった』と記者団に漏らしています。電話の内容を突っ込むと、『本人が意思表示をするのを待って…』と返してきました。その物言いから、オリックスを選択したことが分かりました」(スポーツ紙記者)
埼玉西武ライオンズは元所属選手の中島裕之(32=アスレチックス2A)にもオファーを出していたが、本命は小谷野だった。来季4年目の永江恭平(21)を正遊撃手に育てたい思惑があり、中島には「三塁で使う」と伝えていた。
「中島は遊撃手としてのプライドが高い。それを古巣の西武が知らないはずがありません」(球界関係者)
要するに、西武の補強ポイントは『三塁手』であり、三塁手として実績十分な小谷野の方が欲しかったのである。
「オリックスが小谷野と交渉したのは、西武よりも2日早い同17日でした。両球団が提示した条件は2年2億円。オリックスの方が条件がよかったと聞いていますが、それは出来高が少し違う程度で、大差はなかったはず」(前出記者)
小谷野は家族を東京に残しており、日本ハムでは単身赴任でプレーしていた。自宅から通える本拠地も、西武有利と言われていた根拠だ。19日の西武との交渉では小谷野はライオンズカラーのブルーのネクタイで現れ、小学校時代の思い出まで話が弾んだという。
「東京生まれの小谷野は、西武球場で森祇晶氏や東尾修氏が監督を務めていた時代のライオンズ戦を観戦していたそうです。西武ファンでした」(同)
だが、野球小僧だったころの小谷野には“辛い思い出”も残っていた。西武球場で迷子になったことがあり、野球観戦どころではなくなってしまったことがあるというのだ。30代半ばともなれば、そういう幼児体験がいい思い出になる人もいるかもしれないが、小谷野はそうは捉えていない。ナーバスな性格が影響して、今回のFA移籍にも悲しい過去が影響していたのだ。
「日本ハムは独自に開発したBOS(ベースボール・オペレーション・システム)を使い、高額年俸のベテランには厳しい査定をするチームです。主力選手が毎年のように出て行くのはそのためです。小谷野も中田翔の三塁コンバート失敗に振り回され、さらには一塁や不慣れな外野守備にも挑戦させられることで、『自分は必要とされていない』と考え始めました」(プロ野球解説者)
小谷野が移籍会見で語った「年齢に関係なく勝負したい」という言葉が全てを物語っている。心機一転のためのFA宣言だとしたら、小谷野は少年時代のトラウマも払拭したかったのだろう。