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プロフェッショナル巧の格言 延藤直紀(CCP社長) 「ミケランジェロを超えたい!」フィギュア職人の執念(2)

 自衛隊を辞めた延藤は上京し、東京北星ジムの門を叩いた。
 プロになったものの、当然すぐにキックボクシングで飯が食えるわけではなく、さまざまなアルバイトを掛け持ちしながら、キックボクシングに励んだ。
 「当時、キックボクシングと言えば、ムエタイに通じたタイの選手が圧倒的に強かったんです。彼らを倒さないことには、上にはいけない。どうしたら強くなれるのかと思った時、本場で修業する必要があると思ったんです」

 思い立ったら即、行動に移す延藤は、ムエタイの本場であるタイのバンコクに向かった。
 「当時は何の伝手もなくて、飛び入りでムエタイのジムに行き、練習させてもらったんです。今では向こうのジムで練習する日本人は少なくないですが、当時は、あまりいませんでした。入ったジムにも日本人は僕しかいなかったですね。向こうで技術的なものも勉強になりましたけど、何と言っても、ハングリーさが日本とは全然違いました。スラムに暮らしながらムエタイをやる彼らは本当に逞しかったです」

 そうした修業の日々を重ねたこともあり、延藤は後楽園ホールでメーンをはれるほどのキックボクサーになったが、チャンピオンになることはできなかった。最高順位は日本2位と世界3位である。
 30歳を前にキックボクサーを引退した延藤は、著名人のボディーガードをしたりと、さまざまな職に就いていた。しかし、たまたま街で目にしたフィギュアを見て、少年時代のヒーローが心の中に再び蘇ってきたのだった。
 「ボクシングを辞めて、しばらくは何かやらなきゃいけないと思っていたんですが、フィギュアを目にした時、次にやるのはこれだと思ったんです」

 ヒーローに憧れ、拳を振りはじめた男には、彼らの存在が常に宿っていたのだ。だが、フィギュアは好きだったものの、延藤には何のノウハウもなかった。一から独学でフィギュア造りをはじめた。
 「好きなことをやるわけですから、何の苦労もありませんでした。ただ、最近は経営のことを考えなきゃいけないから、製作に携われないのがストレスですかね。一心不乱に製作に集中したいと思う時がありますよ」

 フィギュアはポリ塩化ビニールで造られており、一体のフィギュアが出来るまで、企画から製作まで一年はかかる。延藤がイメージしたキャラクターを原型師に伝え、調整を繰り返し、理想に近づけていく。最終的に仕上がると、それをもとに金型を作り、彩色し、市場に出回ることになる。
 「フィギュアというと、アニメのキャラクターを簡素化したようなものが多かったんです。それは大量生産しなくてはならないから仕方ないんですが、どうしてもリアリティーがなくなってしまう。そうした商品が出回ることによって、フィギュアというと使い捨てのオモチャというイメージが強かった。今までのフィギュアのイメージを壊して、徹底的にリアリティーのあるものを造りたいと思ったんです」

 今から15年ほど前、延藤が手がけはじめた当時、フィギュアをそのような思いで造っている人間はほとんどいなかった。
 「アニメのキャラクターは水モノと呼ばれていて、大手のメーカーはあまり手を出さなかったんです。テレビの放映が終わってしまえば誰も見向きもしなくなるから、当たり外れが大きかったんです。それがマジンガーZの超合金が出て、人気が出ると、少しずつ風向きが変わって、メディアと連動して売る流れが出てきました。その延長線上に自分たちがいるんです。そして最近ではフィギュアを買うということが、大人でも当たり前のことになってきました。それでも世間の評価は、まだまだオモチャだろうというのが圧倒的な見方でした。彫刻などの芸術と比較すると、まだまだ評価は低い。その壁を打ち破りたいと思ったんです」

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