「野口氏は他人から借りた部屋を『好きに使っていいよ』と押尾被告にカギを渡して又貸ししていた。さらに、押尾被告が逃げ込んだ同じマンション内の42階の部屋も所有。今回の事件に少なからず関係があるので、無関心を装うのはいかがなものか」(週刊誌記者)
野口氏は押尾被告が麻薬取締法違反で執行猶予付きの有罪判決を受けた後の昨年12月に初めて事件についてコメント。「あまりに衝撃的な出来事によって、この四か月間、わたしは怒りと悲しみで言葉を失っていました」、「心からの応援と共に貸したつもりの場所が、愚かな事件の場とされてしまったことのショックもとても大きく」など胸中をつづったファクスをマスコミ各社に送ったが、被害者の女性への謝罪の言葉は一切つづられなかった。
その後、自らのツィッターには頻繁につぶやいているものの、事件については全く触れず。事件への関与がうわさされた自民党の某大物議員のジュニアが不祥事を起こした際には「全く面識ないんですよ。。。なんでその人が押尾事件の噂に出てくるのか見当もつきません」、「会ったこともないっつーの!」など感情丸出しでつぶやいていたのだが…。
では、押尾被告の公判が始まった3日からの野口氏のツイッッターをみてみよう。
初公判があった3日の夜は「昔の彼氏と飲んでます」とオマールエビの料理の写真を掲載。
公判がなかった5日は「昨日は腰痛で動けなくなり、そう先生に緊急訪問治療していただきました」、「腰痛マックス、動けなくて一日寝ていました」と痛々しい。
2回目の公判が行われた6日は「立っても座っても横になっても痛い。。。陣痛みたい」、「あまりの痛みに耐えかねて、這うように整形外科行ってきました。やはりヘルニアでした。がぴょーん」とヘルニアと診断されたことを報告。
3回目の公判が行われた7日、フォロワーから「お塩さんの裁判について一言お願いします。何か発信する責務があると思います」と指摘されたが、「公判の記録をネットニュースで読んでます」とのみ返した。
公判がなかった8日は「会社にきた。仕事する。」と腰痛をおして仕事復帰。4回目の公判が行われた9日は「わたしは例の事件が起きたとき感じました。あのときパパをはじめ周囲の深い愛情に救われまして、こうしていま元気にやれてます」と事件に関して触れているがそれ以上は触れず。5回目の公判が行われる10日は「羽田なうぅ。上海に行ってきます!」と予定通り上海出張へ向かった。
野口氏は思いついたように事件には触れるものの基本的にはまるで他人事。押尾被告はかつてのタニマチのつぶやきを見たらどう思うだろうか?