8月20日未明に降った猛烈な雨で広島市内は広範囲にわたって土石流が発生。70人を超す住人が亡くなった。そこで広島カープ選手会は26日の試合前にマツダスタジアムで義損金の呼び掛けを行い、選手会長の梵、エース前田をはじめ、大瀬良、丸、菊池、堂林ら14選手が参加。あっという間に長蛇の列ができた。
「ニュースが出たときに選手会で話が出た。やってよかった。ファンと選手との間に強い絆ができた感じがする」と梵は熱く語った。
ファンの熱意に27日も呼び掛けを実施。カープとしても監督、コーチ、選手会、球団で義損金1000万円を被災者に、球団も広島市に1000万円をそれぞれ寄付し、広島市内では「さすがカープじゃ」との声しきりだった。さらに“カープ女子”も参戦。22日〜24日の3日間、広島女学院大学の学生たちがスタジアムの入り口で「樽募金」を行い、283万2267円を集めた。
「カープファンは樽募金が始まると燃える。目の前に大樽が置かれてあって、わんさかお金が入っていても、誰一人盗ろうとする輩はおらん。それがカープ気質。先人達が身銭を切ってチームを支えてきたという自負とプライドがあるからじゃ」(オールド広島ファン)
親会社を持たず、市民球団として発足したカープは球団創設時から資金難にさいなまれた。昭和26年には深刻な球団経営状態から給料遅配や遠征費が払えない状況に陥り、初代監督の石本修一氏は球場の入り口に酒樽を設置し、募金を呼び掛けた。これが有名な「樽募金」の始まりで、当時の金で400万円を集め、球団存続の危機を救ったという。
その当時の熱気が今回の土砂災害でにわかに復活。これは大きい。ファンの多くは東北楽天の田中将大がそうだったように、被災地に優勝をもたらしてくれる前田健太を快くメジャーに送り出してやりたいと願っている。それをわかっているから、マエケンもここからギアを一気に上げ、打線も後押しする。
阪神を難なくいなした巨人にとっては、被災地の希望を背負う赤ヘル軍団こそが最後の強敵となる。