ノーボトム!とは、お笑いと音楽を融合させた音楽ユニット。03年、ボキャブラブームで人気を博した底ぬけAIR−LINEの古坂和仁と小島忍が中心となって結成。幾度かのメンバーチェンジを繰り返しながらも、シングルとアルバムをそれぞれ5枚リリース。地道なライブ活動をしていたため、コア層から支持された。この初代ボーカルが坪井さんで、「SIZUKA」の名でマイクを手にしていた。
発起した古坂は、古坂大魔王。世界を席巻したピコ太郎を生みだした超敏腕プロデューサーであり、ぶっちゃけると、ご本人だ。つまり、古坂、児嶋、坪井さんは無名時代、時間を共有していたのだ。
ノーボトム!は04年、『サンバ・ジャ・ネイヨ・ネブタ・ダヨ2004』という、実にふざけたネーミングの楽曲を発表。このころは、マネージャーの車1台で北は青森から南は九州までのライブハウスを周り、赤貧ツアーを組んでいた。全員が自腹。観客が2人のときもあり、ステージに立つ総数を下回ることも珍しくなかった。
底ぬけAIR−LINEがテレビという表舞台から姿を消したとき、ノーボトム!は対バンライブにも出演していた。そのとき古坂は、音楽関係者から侮辱されている。ノーボトム!の控室に偉そうに入ってきて、「おまえ、底ぬけでしょ? 音楽ナメてたら、俺、今日、マジでステージ上がるから」と威嚇されたという。しかし、古坂は反論しなかった。音楽活動に心血を注いだおよそ3年間。テレビをつけると、同世代のくりぃむしちゅー(当時は海砂利水魚)、ネプチューン、アンジャッシュほか大勢が活躍。古坂がたまに声をかけられる仕事は、“あの人は今”だった。
ちなみに、坪井さんと児嶋が20代の恋人同士だったころ、二人で人気芸人の家に転がり込んで居候している。その芸人とは、くりぃむ・上田晋也だ。若手で金がなかった児嶋を、彼女ごと引き取った上田の寛大さと心意気には敬服するが、驚くのは、当の上田も生活するに十分な金を稼いでいなかったことだ。それでも、水道費やガス代、光熱費、食費を2人に請求することはいっさいせず、1人で支払い続けた。ピンチになると、消費者金融に走った。
日本が世界に誇れるキャラクターとなった古坂=ピコ太郎。あの明石家さんまが舌を巻くほどの大物司会者となった上田。そんな2トップを手玉に取った児嶋と妻。最強夫婦かもしれない。