有吉は1996年に『進め! 電波少年』(日本テレビ系)において、コンビの猿岩石として香港からイギリスのロンドンまでをヒッチハイクで向かう「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」企画が人気となる。帰国後は歌手や俳優デビューを果たすなど、アイドル的な人気を博すも徐々に人気は低迷。2004年には猿岩石を解散する。その後は『内村プロデュース』(テレビ朝日系)でプチブレイクを果たすも、2005年に同番組が終了するとまったく仕事がなくなる。その後は「どん底かと思ったらさらに底があった」ほどの地獄を体験する。
そんな有吉が再ブレイクのきっかけとなったのは、2007年に出演した『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』(テレビ朝日系)において、品川庄司の品川祐につけた毒舌あだ名「おしゃべりクソ野郎」が話題を呼んだためだ。和田アキ子「リズム&暴力」、みのもんた「油トカゲ」、はるな愛「コスプレおじさん」といった、大物へも物怖じしない秀逸なあだ名が話題になり、バラエティ番組に呼ばれるようになる。その後の活躍は言わずもがなである。有吉はなぜ長くブレイクを続けるのか。
「有吉は毒舌キャラながらも、実際のところは芸能界の上下関係をしっかりとわきまえた存在です。自身がどん底時に、ゴリエのブレイクで横柄な態度を取ってきた後輩芸人であるガレッジセールのゴリをいまだに嫌っているのはよく知られていますね。口は悪くとも、根っこの部分の礼儀正しさが受けている部分はあるでしょう。これは坂上忍にも共通するキャラクターです」(芸能ライター)
さらに、有吉は毒は吐いてもテレビ番組制作の裏側を暴露するといった下品さはない。そうした部分も評価されているのだろう。