江本の言葉から取材を進めてみると、サッチーのチーム現場介入により、全選手の不満は爆発寸前だった。例えば、試合前の練習で高畠導宏打撃コーチがサッチーと前夫の間にできた子供2人への指導を強要されたり、選手専用バスに同乗するなど、公私混同は日常茶飯事だった。
また、選手ロッカーに盗聴器を仕掛けることを提案したり、さらには野村監督に対する造反選手には直接電話を入れて「監督の言うことを聞かないと使わないわよ」と“脅し”ともとれる振る舞いをしていた。
野村監督率いる南海がリーグ制覇を果たした'73年のことだ。私が球団身売りについて、野村氏に質問すると「実は、ワシに球団を任せるという企業があるんや」と自慢し始めた。そして、サッチー人脈として小佐野賢治(国際興業グループ創業者)ら著名な財界人の名前を次々披露した。
「税金面はサッチーが全部やってくれるんや」
高級外国車『リンカーン』を毎年買い換えるのも、「税金対策の一環や」と彼女を褒めちぎった。
球団は野村氏の年俸を「5000万円」と発表していたが、税金は本社が面倒を見ていたという。そうした球団との金銭面の駆け引きも、サッチーのアドバイスによるものであった。
チーム現場介入、脱税…過去2度にわたる野村監督の進退にまつわる舞台裏では、沙知代夫人が要因となる種を蒔いていた。だから「歴史は繰り返す」、解任された野村氏はずっと私を忌み嫌うのだ。
一昨年夏、「野村克也が倒れた」という情報が流れてから、この2年間は私の日課である「長嶋茂雄リハビリ視察」をかねて、ミスターの自宅からも程近い野村邸に度々足を運んでいる。
「野村さんは、解離性大動脈瘤で入院もしていますからね。持病の腰痛も芳しくないようです。しかし、相変わらず“働かないと体が弱る”とサッチーが尻を叩いている。もう少し休ませてあげればいいのに…」
野村氏の側近は私にそう語っていた。
また、野村邸のインターホン越しに「吉見です」と名乗り、野村氏の病状についてコメントを求めたこともあるが、沙知代夫人はあれだけ嫌っていた私を誰なのか分からないことが多かった。40年間という歳月は長い。激情家である彼女の“老い”を感じていた矢先に届いた訃報だった。
来年2月には、巨人対ホークスのOB戦が行われる。巨人は“太陽”の長嶋茂雄、ホークスは“月見草”の野村克也が総監督を務める。
野村氏は初めてホークスOB戦に参加する、いや、できる。そのことについては割愛するが、対戦監督が“太陽”と野村氏自身が皮肉る長嶋茂雄であることにも運命を感じてならない。
サッチーに対し、
「金もカードも持たされたことがない」
「殺されるよ」
そうボヤいていた野村氏よりも、先に沙知代夫人が逝ってしまった。合掌。