14日目を終えて、優勝争いのトップは稀勢の里、栃煌山、旭天鵬の3人が3敗で走り、これを白鵬、隠岐の海、碧山の3人が1差で追いかけていた。
まず、この盛り上がりに水を差したのが琴欧洲。千秋楽の朝、右足の根骨じん帯損傷で3週間の安静が必要という診断書を提出し、突如休場。対戦相手の栃煌山は不戦勝となり、逆転優勝に意欲を燃やしていた白鵬ら4敗組の優勝の目は消滅した。
「この琴欧洲休場の報を部屋で聞いた白鵬は、『力が抜けた。オレも人間だなと思った』と話していました」(大相撲担当記者)
さらに、追い打ちをかけたのが稀勢の里の不甲斐なさ。本割に勝って優勝決定戦に進めば、相手は格下の平幕ばかり。初優勝は向こうから転がりこんでくるような状況だったが、本割で、しかも土俵際まで押し込みながら、把瑠都に逆転の上手投げを食った。
「もし稀勢の里が優勝すれば、来場所は綱取りになる。たとえ12勝の優勝でも、優勝は優勝。横審の内規にも、(横綱に推挙する力士は)2場所連続優勝か、それに準ずる成績の者、と書いてある。次の名古屋場所の話題にもなったのに」(相撲協会幹部)
こんな周囲の計算違い、思惑外れを、すべて自分のエネルギーやパワーに変えたのが、初土俵から21年目の旭天鵬だった。
本割で若い豪栄道を翻弄して優勝決定戦に勝ち上がると、今度は不戦勝ではやる気持ちを抑えかねている栃煌山が気負い込んで飛び込んできたところをはたき込み、優勝決定戦を制した。
ピークはとっくに過ぎているロートルの旭天鵬が、なぜヒーローになったのか。両者の明暗を分けたのは、一言でいえば強かさの違い。
「旭天鵬は17歳でモンゴルから来日し、8年前に日本国籍を取ってモンゴルで排斥運動が起こったときも『何をされるか、わからないけど、自分の口で説明してくる』と言ってモンゴルに戻るなど根性も据わっています。それに比べて、日本人力士はチャンスになればなるほど委縮し、あまりにもひ弱。これでは何度、競り合っても勝ち目はありません」(大相撲関係者)
大相撲界に日本人力士の喜びの声が響き渡るのはいつのことか。