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【戦国武将豊臣秀吉編】先を見据えた先行投資で「大気者」の評判を得る①

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提供:週刊実話

 豊臣秀吉は天文23年(1554年)に織田家へ仕官するが、『太閤素生記』によれば足軽以下の小者としての採用だった。普通なら万に一つも出世する可能性はない。だが、織田信長はこの貧相な下賤の若者を気に入り、チャンスを与えて出世コースを歩ませた。

 怒りっぽく気難しい信長だが、秀吉だけは「あいつは大気者だ」とよく人前でも褒めた。大気者とは「細かいことを気にせず、鷹揚で心の大きな人物」をいう。

 秀吉は薄給だったこの頃も、なけなしの金をはたいて同輩たちにおごるなど、気前の良さが目立った。金や物に執着しない態度は信長も好ましく思っていたようだ。しかし、それも秀吉の計算。外様の新参者は織田家中に縁故もなく、親しい友人も少ない。自分の好感度を上げて味方を増やすためには、気前のいい大気者としてふるまったほうが利口だろう。
 江戸時代の武士とは違って、当時の足軽や下級武士は平時に副業に精を出す者も多かった。

 例えば秀吉の織田家仕官を斡旋したのは、信長の愛妾・吉乃(きつの)だとされるが、その実家である生駒家も馬の貸出や運送業などの副業で儲けていた。秀吉も行商人として諸国を流浪した経験もあり、仕官後も商才を発揮して小銭を稼いでいた。稼いだ金は惜しげもなく使って、気前よく仲間におごり、自分の将来のために投資する。金は貯め込むものではなく、人の心を動かすもの。稼ぐだけではなく、その効果的な使い方も心得ていた。まだ若年ながら“経済ヤクザ”の片鱗が垣間見られる。

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