山口神社、もしくは山口坐神社は『延喜式神名帳』には大和各所に14社見え、いずれも大社で、祈念・月次・新嘗の官幣に与る。中でも「延喜式祝詞」の時に称えられるのは飛鳥山口坐、石寸山口、忍坂山口、長谷山口坐、畝傍山口、耳成山口。別途、大和六山口社と呼ばれている。
その一つ・長谷山口坐神社は長谷山の鎮(しずめ)の社。初瀬川にかかる朱塗りの神河橋の奥、緑に覆われた石段を上り詰めると姿を現す。『紀』には、倭姫命が天照大神を奉じて伊勢へ向かうまでの巡幸譚があるが、当地はその一書に記された元伊勢・巌橿の本宮(いつかしのもとのみや・伊豆加志とも書く)伝承地という。
祭神は山の神・大山祇(おおやまつみ)神。後に天岩戸神話で名高い天手力雄(あめのたぢからを)神を配祀した。これは元伊勢伝承が語るように、伊勢信仰広まりの影響を受けてのことだろう。しかし、もとは山口に坐す神と山口の水を司る神だったことは、祈雨神として奉祀されていた記録からわかる。
巌橿の本宮の所在については、同じく伊勢街道沿いに建つ與喜天満(よきてんまん)神社にも伝えられている。また今の神社は天手力雄神社であって、最初の長谷山口坐神社もそちらだとする説もあるようだ。
深い尊崇を受け、古来「その前をつつしみて物音せで過る」と言い習わしたとか。確かに、この神社には何よりぴんと張りつめた静寂が似合う。深い静けさの中、古き水神は何を思うのだろうか。
(写真「初瀬川にかかる神河橋」)
神社ライター 宮家美樹