昨年、脚本や演出を手がけたドラマは実に4本。すっかり文壇系芸人となった感があるバカリズムだが、九州から上京後、90年代前半のおよそ3年半、憧れの芸人(バナナマン)と一緒に住んでいた。
日村は、自身が住んでいた明大前駅の6畳1Rに、寂しがり屋で友だちがいないバカリズムを居候させた。男2人が同居するには、かなり窮屈な間取り。バカリズムの寝床は、座椅子だった。そんな毎日を不憫に思ったのか、日村は粗大ごみ置き場で壊れたソファベッドを拾ってきて、バカリズムに与えた。おそらく白かったであろうそれは、黄ばんでいて、シミだらけ。あまりの不衛生さにバカリズムは躊躇。日村がそこで寝た。
やがて、バナナマンはどんどん売れていき、バカリズムは留守番。ネタを考える時間がたっぷりあるため、帰宅後の日村を笑わせようと必死になった。あるときは、部屋じゅうをテレビ番組のバミリ(タレントの立ち位置をシールで貼る)だらけにしたり、あるときは、日村を志村けんに見立てるコントを続けたり。バカリズムの禁欲的なネタ作りは、このころに形成されたかもしれない。
そんな2人と反して、関西で00年から3年ほど同居していたのは、千鳥・ノブと笑い飯・哲夫だ。この2人にはコンビ格差がなかったが、わずかな期間、ノブの相方の大悟、哲夫の相方の西田幸治も転がりこみ、4人で5畳の詰めこみ状況だった。
ノブ&哲夫は、2LDK、1Rと2回も引越。ストイックな哲夫は、いつなんどきでもボケを生活に取り入れてくるため、ノブはかなり困ったようだ。あるときは、電車のなかで、「どなたですか?」、「ノブじゃあ」、「ちょっと存じあげないんですが」、「ノブじゃぁぁ」、「なんで一緒に降りるんですか。怖いんですけど」、「ノブじゃ、ノブじゃぁぁ」を繰り返し。帰宅後も続いたという。
コンビで住んでいた者もいる。有名なのは、サンドウィッチマン。「ダメよ〜。ダメ、ダメ」の名フレーズで一世風靡した日本エレキテル連合も、志村けんへの強い憧れから、彼の地元である東京・東村山で同居していた。昨年ブレイクしたガンバレルーヤ、“リアルおばさん”阿佐ヶ谷姉妹は、多忙になった今でも同居生活を続行中だ。
さらに、チュートリアル・徳井義実とスピードワゴン・小沢一敬は、元芸人で作家の男性とセカンドハウスを3人でシェア。メイプル超合金・カズレーザーとトレンディエンジェル・たかしも、私生活のパートナー関係にある。
お笑いスキルを磨くには、家でも芸人に会うぐらいがちょうどいいかもしれない。