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経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(78)

 昭和36(1961)年、早川電機工業は大阪・阿倍野区に中央研究所を開設。電卓、太陽電池、医療器具などの研究を開始する。徳次は、将来の最大の課題は太陽の熱や光を蓄積保存することではないかと考えていた。生物は皆、太陽の恩恵を受けているが、電気は発電所から引いてきている。頭上にある太陽の熱や光を有効利用できないものか、という発想が太陽電池に結びついた。翌年、早川電機工業は国産第1号の電子レンジを発売している。
 昭和29(1954)年に誕生した自衛隊は、日本の全国各地にレーダー網を設置した。レーダーにはクライストロンという特殊真空管が必要だが、日本には製造技術がなくアメリカに依存していた。

 防衛庁から製造を依頼された神戸工業では、佐々木正をアメリカのリットン・インダストリー社に派遣してクライストロン製造の技術提携をおこなう。神戸工業は大正9(1920)年創業の川西機械製作所の流れをくむ会社だ。川西機械製作所は紫電改などの航空機を製造したが、戦後はGHQの指令で航空機製造を中止した。神戸工業に勤務していた佐々木は真空管の専門家で、戦争中に軍の極秘命令を受けてドイツに行き、その最新鋭レーダー技術を学び、さらに製造図面をUボートで持ち帰ったという経歴の持主だった。
 リットン・インダストリー社ではクライストロン製造の他に民間需要を狙った製品も開発しており、その1つが、やはり特殊真空管であるマグネトロンを利用した電子レンジだ。電子レンジはアメリカの軍事目的で開発されたレーダーの副産物だった。
 電子レンジを紹介された佐々木は“日本でも有力な商品になる”と直感し、この技術も持って帰った。民間の販売に弱い神戸工業は他社に電子レンジ生産を委ね、自社ではマグネトロンを供給するという方向を探る。佐々木は電子レンジの試作品を携えて、早川電機工業にプレゼンテーションをおこなった。佐々木の思ったとおり、早川電機工業は“打てば響く”速さで提携に同意する。こうして国産第1号の電子レンジが発売されるに至る。

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