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相模原殺傷事件 殺人鬼・植松聖容疑者の薬物漬けと女癖破滅半生(2)

 ところがその後について、前出の親しい知人は次のように話す。
 「確かにね、子供の頃は素直な子。本当にごく普通の子だった。ただ、八王子の高校については、ちょっとした問題を起こして、結局は相模原市内の高校に編入することになった。卒業すると都内の私立大学へ進んだ。大学でも教員を目指して、教育実習まで受けている。ただね、その理由をよく聞けば“とりあえず人の上に立ちたい”っていう単純なものだった。ヤツは下の者を支配したり、統率するのが何より好きになっていたんだ。ほら、テレビの報道で近所の誰かが、“この周辺に生えた雑草を刈ってくれたりして、いい子だった”って言ってたでしょ。あれは近所の子どもを下に従えて指図したかっただけ。そういう一面が、もともとあったんだよ」

 教師の親の背中を見て育ち、その期待に応えようとする外面と実際の内面とのズレが、鬱憤となり溜まっていったのか。大学進学後、その言動は一気に変わり始めたという。
 大学時代の友人が語る。
 「特にひどくなったのが3年生になったあたり。男女の交流サークルみたいなのに入ってからは大酒飲みになって、脱法ハーブなんかにも手を出すようになった。夜に八王子の繁華街で酒を飲んで突然奇声を上げたり、通りがかりの人に因縁をつけて、とにかく喧嘩っぱやくなったんです。女の子を片っ端から誘って店に連れ込んで、飲み物に睡眠薬を混ぜるなんてこともしていましたよ」

 この友人によれば、植松容疑者はその頃から入れ墨を入れ始めたのだという。
 「最初は彫り師に“就職のこともあるから控えめに”って注文していたみたいです。でも、そのうち彫り師を尊敬するようになって、弟子になりたいと言い出すようになった。確か友だち10人ぐらいに簡単なものを彫っていますよ。自分に彫るやつもどんどん増えていって、しまいには肩から尻までびっしりの状態になっていた」

 一方で、教育実習も相模原市内の母校でこなし教員免許を取得したが、入れ墨がバレて採用する学校はなかった。結局、彫り師の方も断念。大学卒業後はデリヘル嬢の送迎アルバイトなどに就き、'12年12月、臨時職員として『津久井やまゆり園』に採用され、翌年4月には正式な職員として働くことになる。
 「しかしその頃、両親が家を出て実家での一人暮らしが始まった。母親が野良猫に餌付けをしていたのですが、それが発端で近隣とトラブルになり、母親は精神のバランスを欠いてしまったようなのです。結果、両親とも東京都内に引っ越し、植松容疑者一人が残る形となったのです」(全国紙社会部記者)

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