大野は、学生時代からジャニーズJr.になるまで、人の上に立って仲間をけん引したことなど、1度もない。アイドルの天下を獲ってやろうという気概も当然、なかった。しかし、99年に放映された大先輩・少年隊の初冠番組『少年隊夢』(フジテレビ系)で突然、リーダーを決めるくだりになると、松本潤、二宮和也、相葉雅紀、櫻井翔は、当時18歳でいちばん年上だった大野を推した。大野はそれを阻止するために、唯一、櫻井をプッシュした。2人はジャンケンをする運びになり、勝った大野がリーダーを無理やり押しつけられた。
それでも自分のスタンスを変えることはなく、人をまとめることなど皆無。“リーダーというあだ名のリーダー”というスタンスを貫いた。当時から、ダンススキルは他の追随を許さなかった。
入所わずか4か月後の95年、14歳のときに出演した『アイドル・オン・ステージ』(NHK BS2/現NHK BSプレミアム)では、周囲のJr.よりワンテンポ遅れるダメダメぶり。ところが、98年に『ミュージック・ジャンプ』(同局)に出演したころには、バク転、ブレイクダンスを易々とできるほど成長しており、いちもく置かれる存在になっていた。その背景には、97年からおよそ2年間、京都の劇場・シアター1200で上演されたロングランミュージカル『ジャニーズ・ファンタジーKYO TO KYO』がある。
16歳で、見知らぬ街でのこけら落とし公演の主役に大抜てき。初めて親元を離れて、市内の旅館を常宿としながら、ピーク時には午前10時に第1公演目が開演され、1日5公演をやり遂げた。これが、およそ2年も続いた。培った演技力、ダンス能力は本物だった。SMAPをはじめ、多くの素人Jr.たちを一流ダンサーに育成した“鬼の振付師”SANCHE先生も、大野には舌を巻いた。
同先生は、レッスンに通いはじめたばかりの新人Jr.たちには決まって、「大野のうしろで踊れ」と指示した。それでも時には、大野と衝突した。
ある日は先生が、「おい、大野! おまえ、それは」と声を張りあげた。しかし、本人は無視。優等生の松本でさえビビっていた先生を相手に、「イライラしてた」という単純な理由で、である。それには、理由があった。その日、大野はスタッフから、「今日は自前でいい」と言われていたが、先生は「大野、おまえだけ靴が違うじゃねぇか!」と激怒したのだ。心のなかでは、「だって、マネージャーにいいって言われてたから」と思いつつ言葉を飲みこみ、結果、無視した。とばっちりを食らったのは、大野の隣に座っていた、事情を知らないJr.である。「おまえ、なんで言わねぇんだ!」と、先生から不可解な理由で怒鳴られている。
無視するという“忍び術”を10代から駆使していた大野。大器の片りんは、すでに見せていたようだ。
※画像・(C)2017 映画『忍びの国』製作委員会