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狂気か偽装か? 米軍を手玉に取った大怪人『大川周明』の生涯とは

 大川周明は『満州事変』を「思想的に正当化した最重要人物」であり、当時の軍部と共謀し、ラジオ演説などで民衆をあおり立て、『太平洋戦争』の継続を強硬に主張した戦争指導者の1人である。

 大川は太平洋戦争後『A級戦犯』としてGHQ(アメリカ占領軍)に逮捕され、戦勝国主導の茶番劇『東京裁判』で「絞首刑になるはず」だった。だが、大川は持病の梅毒が悪化し突如として発狂、同じくA級戦犯だった東条英機のハゲ頭を裁判中にひっぱたき、何と「A級戦犯の中でただ1人無罪を勝ち取る」という“放れ業”を見事にやってのけた。

 大川が仕掛けた最大の失敗は『大東亜共栄圏』だろう。大東亜共栄圏とは、当時のイギリス、ドイツなど西欧列強が100年も前から行っていた『植民地主義』を、大川をはじめとした当時の日本の名だたる思想家が“サル真似”した、思想主義の総論をいう。彼らは軍部、とりわけ石原莞爾や板垣征四郎など、すでに中国大陸に進駐していた『関東軍』の参謀と結託し「西欧列強の手から東アジアを開放する」という名目で、日本政府の命令を無視。前述の満州事変を引き起こして中国領土を不法占拠し『満州国』を強引に建国する。

 そして「日本軍が西欧列強から中国大陸を奪い返し、ゆくゆくはアジア全土を開放する。だからアジアの諸君も一緒に戦おう!」という、自らの行為を“正当化”するスローガンを堂々と掲げ、関東軍は中国王朝最後の皇帝『愛新覚羅溥儀』を傀儡とし、中国大陸への進出を強引に推し進めたのだ。

 しかし、その実態は関東軍が「欧州列強に取って変わる」だけの“侵略作戦”だったことが全世界に見抜かれ、泥沼の『日中戦争』が勃発、最後は石油欲しさに南に転じて東南アジアに攻め入り、アメリカが激怒。日本は勝ち目の無い太平洋戦争に突入して完全に自滅した。

 結果、日本は原爆を2個落とされ無条件降伏、軍人と民間人を含め、300万人以上が犠牲になったのだが、大川周明は無罪放免後、真意を正そうと自宅を訪ねてきた新聞記者に対し「発狂? あれは嘘だったんだ。アメさんはまんまと騙されたがね」と、笑いながら回想し、その後は著名人と交わりつつ、悠々自適に暮らしながら、1957年に71歳で死去したそうだ。

 本来は日本人の手で“戦争を主導し国民を扇動した罪”をとことん明らかにし、きっちりと総括されるべきだったのだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=hwaEgrfEcsI

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