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遠い記憶 根岸競馬場の歴史(16)

 馬券発売の復活に伴い、軌道に乗った根岸競馬は番組の内容も充実してきた。新しい馬券競馬の中で横浜らしい代表的なレースを新設しようという狙いから、1928(昭和3)年の春季開催では、“横浜ダービー”ともいえる「横浜特別競走」が誕生。この競走は距離3200m、1着賞金5000円という当時としては大レースであった。
 長距離のレースとしては、当時の「目黒記念」(3400m)に次ぐもので、「2マイル競走」とも呼ばれた「横浜特別競走」の第1回は9頭が出走、初の栄冠を勝ち得たのはニッポン号で、日本レース倶楽部としては、くしき因縁であった。タイムは3分33秒1。
 このレースの生まれた昭和3年春の根岸の入場人員は4日間を通じ、1等席1万699人、2等席1万7462人、招待者3826人、勝馬投票券売上高265万7120円と、記録されている。

 「横浜特別競走」は1938(昭和13)年秋に3400m、翌1939(昭和14)年春に3450mへと距離が延長された。また、1942年(昭和17)年春には「横浜記念競走」と名称を変え、最後まで続けられた。
 一方、関東大震災による根岸競馬の施設面の復興は、主にスタンド建設に当てられた。日本レース倶楽部は、1929(昭和4)年5月、春季競馬終了とともに、1、2等馬見所の新築に着手した。
 これを企画推進したのは、時の日本レース倶楽部理事長S・アイザックスである。アイザックスは、1880(明治23)年ごろ米国から横浜にやってきて、初めは輸入商を営んでいた。その彼は横浜に設計事務所を開く友人のJ.H.モーガンに設計を依頼したのだった。
 ※参考文献…根岸の森の物語(抜粋)/日本レースクラブ五十年史/日本の競馬

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