徳次が13歳になった年の、盆の宿入りの時のこと。他の兄弟子と同じように、徳次もおかみさんにもらった新しい着物を着て、新調のゲタを履いて長屋に向かった。
芳松からそれぞれの実家へ手土産として三盆白(砂糖の種類。結晶が小さく口に入れるとすぐ溶ける)の砂糖袋1斤(600グラム)が渡され、小遣いも30銭貰った。徳次達は喜んで朝食をすませると店を出た。けれども、東大工町へ近付くにつれてだんだん足が重くなり、朝食の時の浮いた気分はすっかり沈んでいくのだった。
長屋に帰ったところで歓迎してくれるわけではない。熊八と“ねえさん”は口論の絶え間がなく、相変わらず暗い家の中でいろいろ気を使わねばならないことを思うと、気分は暗くなる一方だったが、他に行くところもない。仕方なく出野の家に帰った。土産の砂糖、小遣いの30銭、全て熊八に渡した。
翌日、店に帰ろうとすると、雷鳴とともにひどい夕立になった。雨具を探すと唯一、骨がバラバラになった破れ傘があったので、それを頭から被るようにして新しいゲタを脇に抱え、着物は端折(はしょ)って裸足で本所まで走った。
ずぶ濡れで坂田の家に着くと、兄弟子たちはすでに戻っていた。それぞれが皆、親元から親方にと土産の返しを持たされていて、芳松夫妻に挨拶と共に渡しているところだった。徳次には親元のそんな心遣いなどあるわけもなく、また貧乏の辛さを痛切に思い知らされ、話の輪に加われずにいた。
すると芳松が徳次には全く覚えのない包みを取り上げて「徳や、これお前ンところのお土産か。いや、有難う。今度帰ったら、よく礼を言っといてくんな。結構な物を有難うござんしたってな」と、他の者たちにも聞こえるような大声で言う。