徳次は工場の向かいの米屋から米2俵を買ってこさせた。米屋から帰ってきた工員の1人は避難する人で大混乱の道の様子を話して聞かせた。事務所にあった2つの金庫に重要品を納め、それから工場の機械類を調べて回った。
そうしている間に、工場が無事なのを知った付近の避難民達が続々と入ってきた。理性も自制も失って、ただワアワアと叫び合うこれらの人々で工場内は大混乱となった。
あちこちで火災が起きていた。昼食前で、どの家でも用意の最中だったところへ最初の揺れがきた。人々は煮焚(にたき)の火を消すことも忘れて戸外に逃げ出していたから、倒れた家屋の下から火をつけるような結果になっていた。さらに当時、台風の影響により関東地方全域に風が吹いていた。
屋根の物干し台に走り上がると、すさまじい火の手がそれほど遠くないあちこちから上がっているのが見えた。家族と従業員に大声で呼びかけて、すぐに火災の備えに取り掛かった。まず風呂いっぱいに水を張らせた。それから炊き出しの用意をした。しかし火を見て人々の混乱と恐怖は益々(ますます)高まった。
再度、物干し台に上がって火勢を見た徳次は、工場も家も類焼を免れぬであろうことを悟った。即刻、従業員を帰宅させることにして、政治をはじめ1人1人に衣類、布団などを配って頭から被らせ、米や金も分けて持たせた。
それを見ていた避難民達が徳次の元に押し寄せ、我れ先にと分けてくれるように叫びながら手を伸ばす。徳次は文子と一緒に、衣類、布団、食器、食糧品など、あらゆる物を誰かれの区別なく分けてしまった。
震災後、多くの見知らぬ人が感謝の手紙を送ってきたり、礼を言いに訪ねてきたりした。