しかし、官僚の答弁は全面否定、あるいは“記憶にない”というものばかりだ。当然だろう。「忖度しました」と証言すれば、官僚人生はお先真っ暗になる。証拠がないものは認めないのだ。今回の国会でのやり取りは、加計学園のときとまったく同じ。同じところを攻め続けても、成果は得られない。本来攻めるべきところは、別にあるのだ。
2月22日に毎月勤労統計の昨年分の確報が発表された。私はこの報告のなかで、統計不正を修正した数字が発表されると思っていた。ところが、東京都の大規模事業所を3分の1しか調査していなかったことへの補正は行われたが、中小・中堅企業のサンプル替えに伴う修正は行われなかった。修正すれば、昨年の実質賃金は、間違いなくマイナスになったはず。ところが、厚生労働省は、それを発表しなかった。
これは過去の問題ではなく、いまの問題だから、記憶にないという答弁はできない。また、厚生労働省がやる気になれば、10分足らずでできる計算だから、野党は徹底要求すべきだ。
まず、安倍政権になってから、実質賃金がどんどん下がっているという事実を政府に認めさせる。それが第一歩だ。もちろん、それを政府が認めたとしても、次には、「実質賃金は下がっていても、実質雇用者報酬は増えている」という反論を政府はしてくるだろう。つまり、お父さんの給料は下がっているけれど、お母さんやおじいちゃんがパートに出て稼ぐようになったから、家計所得は増えていますよね、ということだ。
私は、ここを国会で徹底討論すべきだと思う。果たしてそれが、本当に豊かな国民生活なのかということだ。私は60歳をすぎても働き続けているし、妻も働いている。しかし、それを政府が強要するのは、どうかと思う。定年を機に悠々自適の生活をする人がいてもよいと思うし、専業主婦になる女性がいてもよいと思う。しかし、政府は一億総活躍社会と称して、国家総動員をしようとしている。
『経済学は悲しみを分かち合う』(岩波書店)を書いた神野直彦教授は、世の中が小泉構造改革ブームに沸くなかでその路線を痛烈に批判して、こう述べていた。
「社会が豊かになると、国民は飢餓の恐怖から解放されて、働かなくなる。そのとき資本家側は、『彼らを貧乏にすることで飢餓感を復活させ、働かせよう』と考える。そこで、『構造改革』の名のもとに、金持ちは減税し、庶民を増税する。サッチャー政権、レーガン政権、そして小泉政権の本質もそこにある」
いま安倍政権がやろうとしていることは、その小泉構造改革とまったく同じ路線だ。実質賃金が下がれば、家族から働きに出る人を増やさないといけない。働き方改革を進めると言いながら、実際には、低賃金の非正規労働に多くの国民を追い込む。さらに外国人労働者の受け入れ拡大で、非正社員の低賃金を固定化しようとする。野党は、こうした本質的なところで政府を追及すべきだ。揚げ足取りが何も生まないことは、もう明らかだろう。