歌蔵 ドラム始めて何年になります?
KYOYA 18歳の時に始めて今年で46だから、30年近くかな。初ライブの前に2カ月くらいドラムを練習して前橋のライブハウスに出演したんだけど、店長に君のドラムすごいねって言われたんだよ。
歌蔵 それまでまったく未経験?
KYOYA そう。音楽もあまり聴いてなかったし。けど店長からずいぶん叩いてるんでしょ、って言われて、よしプロになろうって決心して上京した。
歌蔵 そういうやつって世の中には腐るほどいるんですよね(笑)
KYOYA そう(笑)。で「ドール」(パンク中心の音楽雑誌)だったかな、ドラム募集の記事を見てジュン(ウィラードのヴォーカル)と出会った。
歌蔵 80年代、ラフィンノーズのライバルと言われたバンドですね。
KYOYA 当時、このバンドで新宿ロフトとか出られるのかな、って期待感はあった。
歌蔵 やはりロフトはロッカーの聖地として当時から憧れの場所でしたよね。そしてウィラードのドラマーとして一時代を築いた。
KYOYA 17年叩いてたね、あのバンドで。
歌蔵 脱退はよくある音楽性の違い?
KYOYA いや、実はメジャー(レコード会社)に行く前から人間関係はギスギスしてきたんだよ。俺はただドラムが叩ければいいと思ってたんだけど、ジュンは思い描いたビジョンがなかなか実現しなくてイライラし出したんだよ。限界も見えてきたし。で、大阪でのライブ中に大ゲンカしたんだ。
歌蔵 今や伝説のライブですね(笑)。
KYOYA 俺が悪いんだけど、違うイントロのフレーズをバババッて叩いたんだ。そしたらジュンがバッと演奏を止めて、「ドラムのバカが曲を間違えやがってよ!」って言った。そんなのこっちも笑い飛ばせばよかったんだけど、その頃はもうギスギスしてたからそのひと言で俺もカーッとなって、フロアタムをバーンと蹴って、バスドラの上に乗っかって前に出て殴り合いの喧嘩になった。そしたら客席からキャーって悲鳴が上がった。
歌蔵 当時、アイドル的な人気もありましたもんね(笑)。元祖ビジュアル系(笑)。
KYOYA 俺はもうやってられないなって思ったけど、そのライブの時にはメジャーレコード会社のお偉い方々も見に来てたんだよ。ここでやめるのもつまんねえなって思い直したんだ。ケンカの後に一応ジュンと和解したんだけど、その時、心に誓ったのはこいつの中で一番になってやろうと。
歌蔵 彼の片腕、一番信頼できるメンバーになろうとした。
KYOYA メジャーでの最後のアルバム「タリホー」でメンバーはジュンと俺だけになってしまった。2人だけでジャケットに載った時、これで俺はやめようと思ったんだ。
歌蔵 目標が達成されたわけですね。やめる理由はいろいろとあった?
KYOYA たとえばライブやるのにレンタカー借りるんだけど(ジュンが)俺はヴォーカルで機材持ってないんだからお前たちで借りろよって言うから、ギター、ベース、ドラムの俺の3人で割り勘にして借りてたんだよね。それでもライブを演って客400人集めてもメンバーに払うギャラは一切なし、だった。
歌蔵 それがよく分からない(笑)。そんなバンド、他にありますかね?
KYOYA いや、分かんないけど(苦笑)。けど、もし俺がジュンみたいに詞も曲も1人で作ってたらそんな気持ちになるのかな?とか考えたよ。
歌蔵 何のためにウィラードをやっていた?
KYOYA ウィラードがブレイクして大金が入ったら、俺も分け前ガッポリもらうから、っていう気持ちだった。
歌蔵 糟糠の妻だ(笑)。
KYOYA だから矛盾してるかもしれないけど、やめた後にその気持ちが恨みに変わったのかもしれない(苦笑)。けど、今でもたまに寝る前に考えたりするよ。俺、ジュンに惚れてたんだなって。
歌蔵 男女、性別を超えた愛。彼のアーティストとしての部分に?
KYOYA 今となってはよく分かんないんだけどさ(苦笑)。う〜ん、ただ、ウィラードにいた頃はドラム叩いてて一度も楽しいと思ったことがなかったんだよね。けど何か自分が輝いていたい、そういう気持ちがウィラードにとどまらせたのかも。
歌蔵 それがウィラードのドラマーというポジションだった?
KYOYA ドラムじゃなくて、何でも良かったんだけどね。
歌蔵 いや、ドラマーという職業はキョーヤさんに合ってるとは思います。
KYOYA そうかな?俺がフロントに立つ資質があればやってみたかった気もするけど(笑)。
〈プロフィール〉
KYOYA(キョーヤ) 1986年ウィラードでデビュー。97年脱退。03年にモスキートスパイラル結成。06年7月ラフィンノーズに正式加入
〈スケジュール〉
ラフィンLIVE HOUSEワンマン
6月6日(金) 心斎橋 KING COBRA
6月8日(日) 名古屋 Tiny7
6月13日(金) 新宿 LOFT