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「街道」で選ぶ、住んではいけない街とは?甲州街道編

国道20号
総延長●225㎞ 起点●東京都中央区日本橋終点●長野県塩尻市高出交差点 制定年●1952年(原型は1934年)東京近郊通過地域●四谷、新宿、成城、調布、八王子、ほか

 「鉄道忌避伝説」などというものがある。簡単に言えば、「ウチの町の中心に鉄道がやってこなかったのは、蒸気機関車の煤煙が農業によくないし、駅ができたら宿場町が廃れてしまう。だから我らが先祖が大反対。それで鉄道は町の中心から離れた場所に造られたんだ」という説だ。

 これはなぜか日本中の鉄道のルートから外れた町で囁かれている伝説なのだが、その筆頭格が甲州街道(国道20号)沿い。今でこそ京王線がほぼ並行して通っていることから、鉄道利用の便もバッチリなのだが、彼らの怒りの矛先は中央線だ。東京と甲府を結ぶという目的は甲州街道と同じながら、なぜか甲州街道から遠く離れた武蔵野台地中央を一直線に走っている。歴史と伝統の甲州街道と多摩地域が無視するとは許さん。で、憎しみ余ってくだんの鉄道忌避伝説なるものが生まれたのだろう。

 そんな伝説など無視しておけばいいと思うかもしれないが、残念ながらそうとも言えないのが甲州街道沿い住民の厄介なところ。なにしろ、中央線は“中央線文化”なるものを生み出して、昨今やたらと脚光を浴びるようになった。だが、京王線沿線の特に多摩地域は23区からも外れたうえに中央線文化にも相手にされず、鉄道忌避伝説にすがるくらいしか自らのアイデンティティーを保つことができなくなった。聖蹟桜ヶ丘の「耳すま聖地」やら、調布深大寺の「ゲゲゲのまち」なんか、いかにも何も魅力がないド田舎町おこしにそっくりだ。

 そして、おかしな保守意識をこじらせた甲州街道沿いの町は、公立小学校の授業の中でも鉄道忌避伝説を教え始める始末。こうして甲州街道沿いvs中央線文化という対立構図が生まれてしまったのである。

 もちろん、中央線文化とて底が浅い勘違いサブカル底辺の巣窟に過ぎないのだが、それを敵視している時点で甲州街道サイドも同じ穴のムジナ。戦後になってからは京王線沿線で都心部へのアクセスもとっても便利ということで、若い世代の流入も多く、今でも人口が増えている町が少なくない。ただ、“江戸の昔から甲州街道を守っている”というプライドを持つ古くからの住民は、新興の住民を断固認めずにこじらせ度合は増すばかり。府中に調布と住みやすさには定評がある街が多いだけに、意固地な保守住民どもの死滅を願うばかりである。

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