福島第一原発事故の混乱で、50人の寝たきり高齢者が死亡した精神科病院『双葉病院』。9月30日、いわき市で同病院の鈴木市郎院長が遺族ら124人に対して、病院側が行った事故の調査結果を初めて報告した。その中で同院長は、県や自衛隊などの連携不足による救出の遅れが多数の死者を出した要因で、「病院側に過失はなかった」と強調。「家族が病院側に安否を問い合わせるべきだ」とも発言し、遺族の神経を逆なでした。
冒頭の発言は、遺族側から謝罪を求められた際、鈴木院長の口から飛び出したものだが、「誠意がまったくない」と途中退席する遺族が相次ぐなど、説明会は紛糾のうちに終わっている。
それにしても、保身と責任のたらい回しに躍起になる病院責任者。その姿に違和感を覚えるのは、果たして私だけなのか。
同病院には4遺体を1カ月近くも院内放置してきた“罪科”もある。その遺族の「主治医の説明を聞きたい」という切なる要望も、いまだ叶えられてはいない。こうした責任を棚上げにし、同病院は「患者置き去り」と発表した県に対し、「風評被害を受けた」と調査を要請。それが「誤発表」であることを県に認めさせ、謝罪させてもいる。
では−−と、改めて問う。50人が死亡したことに関して、同病院には鈴木院長の主張通り、本当にいかなる責任もなかったのか。
奇しくも私は、『なぜ日本は、精神科病院の数が世界一なのか』(宝島社新書)を上梓したばかりである。全世界185万床(推定)の5分の1、約35万床もの病床を有する日本の精神医療。脱収容化が進む先進国の中にあって、元々は精神障害者の隔離収容目的で作られたこの精神科病床が、日本で今なお削減されずにいるのも、経営優先の民間の精神科病院が病床全体の9割を保有しているからに他ならない。
そして、そのあり余る病床を埋めるべく、夥しい数の「入院加療の必要のない」長期入院者が生産され、さらに彼らの死や退院によって空いたベッドに、入院ではなくケアが必要な認知症高齢者を収容する。
彼らは「社会的入院者」と呼ばれ、その数全国で15〜20万人にも上るが、認知症高齢者に関して言えば、そこにあるのは、残存能力を引き出すリハビリ的な介護ではない。むしろ「寝かせきり」にされ、廃用症候群と化した哀れな姿である。
原発事故の半年前、私は76歳になる夫が双葉病院の老人閉鎖病棟に入院中だという老婦人に、偶然にも次のような話を聞いた。
「夫は4年前に脳溢血で倒れました。総合病院に運ばれましたが、長く入院するわけにいかないので、私が自宅で面倒みていました。ただ、人手は私一人ですからね。困っていると、主治医が双葉病院を紹介してくれたんです。最初は療養棟とかいう病棟に入ってましたが、その頃の夫といえば、半身に麻痺が残る程度で、自分の足で歩けたし、意識もはっきりしてましたよ。
ところが、去年('09年)の10月、双葉病院の老人ホームにショートステイしたとき、院内感染しちゃって。高熱が出て、そのまま閉鎖の老人病棟に入れられたんです。夫が一気に衰えたのは、それからです。意識も低下しちゃって、寝たきりになるまでそれこそアッという間でした。今はオムツしてますよ。食事も摂れず点滴に頼っています。私どころか、息子が横浜からやってきても、誰だかわからないんですからねぇ。もうどうしようもないですよ。
部屋は6人部屋で、それぞれカーテンで仕切られてます。私、週に一度面会に行きますけど、同室の患者さんと会ったことなんかないですよ。カーテンの奥でみんな寝たきりなんですから。夫も寝かされてばかりいなかったら、こんな急に弱ることもなかったんでしょうね。車椅子でもいいから、せめて外に散歩に出してくれたり、何かリハビリ的なことをやってくれていたらと思いますよ。同室の患者さんには死んだ人もいました。夫も後1年の命とか言われてますが…」
「寝かせきり」にされ、静かに死を待つだけだった彼女の夫。果たして彼は震災まで生き延びることができたのか。いずれにしても、原発事故の混乱があろうがなかろうが、その命の灯がもはや消えかかっていたことに、何の変わりもない。