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プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「カール・ゴッチ」“プロレスの神様”の作られた伝説

 新日本プロレス旗揚げ時にアントニオ猪木と相まみえたとき、カール・ゴッチはすでに50歳手前であった。

 以降、フロリダ州タンパのゴッチ道場において数多のレスラーを鍛え上げるとともに、自身も生涯トレーニングを欠かさなかったという。まさにレスリングの求道者であった。
※ ※ ※

 カール・ゴッチの初来日は1961年、日本プロレスの第3回ワールドリーグ戦。当時のリングネームはカール・クラウザーで、その緒戦はアメリカからの凱旋帰国となった吉村道明とのシングルマッチ、45分3本勝負であった。

 ゴッチが日本初披露となるジャーマン・スープレックスで1本目を先取すると、吉村もこれまた日本初の回転エビ固めで2本目を奪い返し、その後は互いに一歩も引かないテクニック合戦の末、時間切れドローとなっている。

 同シリーズに続いて開催された、ワールドリーグ選抜者による国際試合シリーズと合わせた約3カ月の間に、吉村とゴッチの対戦は都合13回も組まれていて、結果はゴッチの3勝1敗8分け1ノーゲーム(勝利は時間切れ判定勝ち2つを含む。ノーゲームは2本目のジャーマンで吉村が失神状態になったため、ゴッチの勝利とされながら、ゴッチがこれを拒否したもの)。

 他の日本人選手との対戦では、力道山と1戦して1本ずつ取り合った後に両者リングアウトの引き分け。2番手格の豊登とは2勝1分け(不戦勝1を含む)。若手相手ではシングル28戦のうち20勝、反則負けが1回に時間切れ7回と、ほぼ完封の結果を残している。

 また、シリーズ外国人エース格のミスターX(正体はビル・ミラー)には敗れているが、同じくシリーズの目玉とされたグレート・アントニオとは引き分けている。

 力道山はゴッチと対戦した後に「強けりゃいいってもんじゃない」と吐き捨てたと言われ、以降は両者の対戦が組まれなかったことから“ゴッチは試合ぶりがつまらない”とする評価が一般的になっている。しかし、そうであれば、これから売り出そうという吉村のライバル役に抜擢したことの説明がつかない。

 本当に面白味も華もないレスラーであったなら、アメリカマットでルー・テーズのNWA王座に9回挑戦したというのも不可解だ。

 タッグも含めれば各テリトリーで世界王座に就いており、アメリカ進出が30代半ばと遅かったにもかかわらず、それだけの戦績を残したことを考えても、ゴッチがプロレス不適格者であったとは信じ難い。

 「試合がつまらなくて観客ウケが悪かったわけではなく、対戦相手がゴッチを嫌がったというのが真相ではなかったか。ゴッチの試合映像を見ると、いったん相手の腕を取ればしつこくそれを離さないし、グラウンドでも簡単にブレークをせずに攻め続ける。ロープに振ったりもしないねちっこい戦いぶりで、対戦相手の疲労度は半端なものではないはず。しかも、極め技のジャーマンは当時としてはかなり危険なもので、力道山の言葉にしてもプロモーターの視点からではなく“疲れるし危ないしで、とても付き合いきれない”という、一選手としての嘆きのような気がしてならない」(プロレスライター)

★プロレス的演出に寛容だった!?

 「性格的に難あり」との評もあるが、そうであるならば日プロ、国際プロレス、新日本プロレスがゴッチに対してコーチ役を願って出るわけもなく、ゴッチ自身も己の技術を安易に授けたりはしなかっただろう。他にもルチャドールのエル・カネックや総合格闘家のジョシュ・バーネット、全日本プロレスの渕正信らのコーチ役も買って出ている。

 「そのコーチングの内容自体がシビアであるために、厳しさばかりが喧伝されていますが、そうやって誰でもひょいひょいと受け入れるあたりは、むしろ人のいいおっちゃんのようにも見えます」(同)

 ゴッチの名前の由来からして、伝説のレスラーであるフランク・ゴッチにあやかったもので、またベルギー出身でありながら、当時のアメリカで敵役とされたドイツ人ギミックを受け入れていたあたりをみても、プロレス的演出に決して否定的ではなかったようだ。

 国際プロ参戦時、モンスター・ロシモフの名前だった頃のアンドレ・ザ・ジャイアントにジャーマンを極めた伝説的一戦も、レフェリー不在でカウントが入らず、その後に逆転されるといういかにもプロレス的な結果に終わっている。
“プロレスの神様”というのも、旗揚げ当初にゴッチしか目玉のなかった新日が、権威付けのために言い出しただけのこと。

 「ゴッチにまつわるさまざまな伝説も、この頃に“作られた”ものが多い」(同)

 プロレス界での出世や名誉に対する欲が薄いので、ギャラさえ出れば選手ではなくコーチ役としての招聘も受け入れる。スターレスラーになることよりも技術の追求にばかり興味が向いていた、いわゆるオタク気質の人というのが、ゴッチの真の姿であったのかもしれない。

カール・ゴッチ
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PROFILE●1924年8月3日〜2007年7月28日、ベルギー・アントワープ出身。
身長184㎝、体重110㎏。得意技/ジャーマン・スープレックス。

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)

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