これは特別な話ではなく、誰にでも起こりうる事だと東京多摩総合医療センターの脳外科担当医師は言う。脳梗塞、脳出血、クモ膜下出血などの脳卒中は、健康な人でも、ある日、突然、何の前触れもなく起こる。
たとえ命が無事でも、歩けなくなったり、言葉が出なくなったりすることもある怖い病気である。倒れた本人だけでなく、家族にも介護や経済面で想像しがたい負担が掛かる。患者と家族の人生を一変させる不幸な事態に陥るケースが多い。
「甘く見ないでほしいですね。とくに高血圧を持病にする人は少なくないと思いますが、この病態はあらゆる血管障害の土台となりますし、突然死を引き起こすこともあります」
前出の脳外科担当医はこう語った後、重大疾患の前兆を見逃さないようにと、次のような事例を紹介してくれた。
会社員の武井比呂志さん(50=仮名)は、以前から会社の健診で血圧が高めと指摘されていた。だが、本人は「高血圧って珍しい病気じゃないし、勤め人なら病気のひとつや二つくらいあっても不思議ではない」とあまり気にしなかった。
ところが、その時期、武井さんは大きな仕事がまとまる佳境を迎えていた。残業が続き、休日出勤もやむなしという状況。体はストレスを感じていたのかもしれません、と武井さんは反省した。
ある日の午後、ミーティングを終えて自分の席に戻ったところ、突然「ドカン」という衝撃が襲った。頭をハンマーか鉄の塊で殴られたような衝撃。思わず頭を抱え込み、机にうつ伏せる以外、何もできなかった。
痛みはこれまでの人生で体験したことのない激痛で、身動きも出来ない。職場の周囲にスタッフはいるものの、ロッカーやパソコンの陰になる席だったため気付かれにくかった。
「助けてくれ」どころか「おい」という簡単な言葉すら出せない。それこそ「ウーッ、ウーッ」とうなるのが精一杯だった。結局、第一発見者のスタッフの通報によって武井さんは病院に運ばれ、検査の結果「クモ膜下出血」と診断された。
幸いにも血管内治療が出来そうだったので、すぐに手術を施し、血管内の破裂した動脈瘤内にコイルを充てんする治療を行った。
手術は成功して、半年ほどのリハビリを受けた後、めでたく退院となった。大きな後遺症も残らず、今では元気に職場復帰している。
武井さんは医師や家族にこう話している。
「いま元気でいるのが不思議な気がします。救急車を待っている間、死ぬのかと本気で思っていました。もっと早く、この危険に気付いていれば…」
地獄の体験をした武井さんは、それからというもの、血圧を下げることに真剣に取り組んでいる。
クモ膜下出血は、脳の動脈にできた動脈瘤が破裂して、血管から脳内に血液が流れ出る病気。死に直結する重大疾患で、十分な注意が必要だ。
症状は、武井さんのように「ハンマーみたいな鉄の塊で殴られたような激痛」が典型的ケースといわれる。
しかし、医療関係者によれば必ずしもそうとは限らない。出血が微量な場合、一般的な“頭痛”の程度しか感じないこともあるという。
岡山大学病院脳神経外科准教授、中野厚子さんはこう説明する。
「クモ膜下の症状は、体験した患者さんの話を総合しますと、一般的に言われる風邪をひき、熱が出た時のような頭痛や片頭痛などとは違う異質な痛みがあったと言います。激痛があればもちろんですが、比較的弱い頭痛でも、それまでに経験したことがない頭痛を感じたら、要注意と考えた方が正解でしょうね」