嶋崎 私が東スポの駆け出し記者だったころ、東映に出入りするようになって『網走番外地』のロケに同行したのが最初でした。そのときは急に北海道行きが決まって、何も用意してない私は革靴と背広のまま現地に向かったんです。そうしたら、現場で健さんが「そこのカメラぶら下げている若いのはどこの記者だ?」って声を掛けてくれたんです。そして、そんな私に防寒具を貸してくれました。その後は顔を合わせると「おい、東スポ」って親しみを込めて呼んでくれましたね。撮影後に一緒に風呂に入ったこともありました。
−−健さんといえば男らしい寡黙なイメージですが、実際はどんな感じだったのですか?
嶋崎 まず、酒は飲まなかったですね。いつもコーヒーを飲んでました。オフのときはとてもおしゃべりで、よく周囲の人と騒いでいましたね。カラオケも大好きなんですよ。自分のことは「俺」って言ってましたね。でも、いざ撮影となると、一瞬で本名の小田剛一から高倉健へと変わるんです。もちろんその瞬間から「自分は−−です」となるわけです。他の俳優さんとつるむことも、ほぼなかったと思います。
−−健さんの趣味は何だったのですか?
嶋崎 男らしいものに惹かれているようでしたね。ボクシングは結構強かったと思います。また、英語も堪能でしたね。撮影がないときはふらりと海外に行って闘牛やボクシングの試合を観戦していたようです。野球も好きだったのですが、ある日、関係者たちと試合をしてヒットを打った瞬間、三塁側に走ったなんてエピソードもありましたね(笑)。
−−結構ユーモラスな方だったんですね。
嶋崎 他にライフルや刀なんかも好きでしたね。作家の三島由紀夫のような感じをイメージしていたのかもしれません。でも、結構スケベで、エロ話はよくしていましたよ(笑)。サウナでは男らしくアソコを隠さずブラブラさせてました。
−−そう言えば、昔から健さんホモ説なんてありましたが?
嶋崎 あれは江利チエミの異父姉が流した誹謗中傷の一つですね。皆さんご存じの通り、異父姉は健さん宅にお手伝いとして入り、その後、数億を横領して逮捕されました。そんな騒動に巻き込まれた江利チエミの人生も波瀾万丈でしたが、この本はそんな2人の恋愛小説ともいえる内容になっています。
(聞き手:程原ケン)
嶋崎信房(しまざき のぶふさ)
1945年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒後、東京スポーツ新聞社入社。著書に『殺意の一球』『花翁』『いまだ投了せず』など多数。赤神信のペンネームでも活躍中。