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天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 石橋湛山・うめ夫人

 「夫唱婦随」を絵に描いたような夫人が、鮮やかな“引き際”で名を残した石橋湛山の妻・うめであった。
 石橋は山梨県の日蓮宗僧侶の子として生まれ、幼名は省三だったが、僧籍に入って湛山と改名した。一時は宗教家や教育者を志し、早稲田大学文学科を首席で卒業したが、東京毎日新聞の記者となり、軍役後は東洋経済新報社に入社した。やがて同社の社長となるが、一貫して自由主義を主張、論陣を張り続け、そして、鳩山一郎退陣を受けての首相就任ということであった。この間、うめは己の信念を貫く中で軍部などからの圧力、反発を受け続けた夫に従い、「気丈妻」をまっとうしたのだった。

 石橋は、生来、権力欲がなかったが、昭和31年(1956年)12月の自民党総裁選に、石橋の経済理論と清廉な人物を買う仲間たちに担がれる格好で出馬した。岸信介、石井光次郎と3人で争ったが、第1回投票で岸がトップだったことにより、2位の石橋と決選投票となった。決選投票で石橋陣営は石井陣営と「2・3位連合」を組み、知将として知られていた石橋の側近、参謀の石田博英による世に言われた「ウルトラC」裏工作、演出も手伝って、わずか7票差で岸を逆転したのだった。
 その首相就任時の挨拶では、国民の支持率が欲しいゆえに己の信念を曖昧にする政治家が多い中、石橋はこう言い切ったものだった。
 「私は皆さんのご機嫌を伺うことはしない。ずいぶん皆さんから嫌がれることをするかも知れないが、そのつもりでいてもらいたい」
 そのうえで、軍部による植民地支配などは拒否、日本は積極財政ともに自由貿易によって繁栄していくべきとする「小日本主義」、自らの目指す経済合理主義のもとでの経済理論の実践、あるいは中国との友好関係構築など新たな戦後構想の必要性を訴えたのだった。「“和尚”ガンバレ」の国民の期待は高く、就任時、当時では異例の高さの支持率40%を記録したのである。

 しかし、好事魔多し。元々、三叉神経痛に悩まされ続けていた石橋だったが、首相就任から間もなく、これに加えて肺炎を引き起こし、医師団は「今後しばらくの国会出席は不可能」と判断、早期の復帰が困難だったことにより、石橋は断腸の思いのなかで退陣を決意せざるを得なくなった。
 石橋は首相退陣への決意の書簡を、時の首相臨時代理の岸信介、自民党幹事長の三木武夫宛に、こう記したものだった。
 「私は新内閣の首相として最も重要な予算審議に1日も出席できないことが明らかになりました以上、首相としての進退を決すべきだと考えました。私の政治的良心に従います。(中略)私の自民党総裁として、また首相としての念願と決意は、自民党にありましては党内融和と派閥解消であり、国会におきましては国会運営の正常化でありました。私の長期欠席が、この2大目的をかえって阻害いたしますことに相成りましては、私のよく耐え得るところではありません」

 この潔い首相退陣の決断は、その後、政権亡者に陥りがちな政治家への“頂門の一針”として、今日まで永田町、国民に感銘を与えることとなった。このわずか63日の首相在任は、内閣史上、戦後初の首相であった東久邇宮内閣の49日間に次ぐ超短命内閣でもあったのだった。
 その後、妻のうめは昭和46年8月、83歳で死去。その約1年半後の48年4月、石橋もうめの後を追うように88歳で没した。退陣後、うめの必死の看病、療養生活で健康を回復した石橋は、その後、二度の訪中をするなど「日中友好」に心血を注いだものであった。

 円満これ以上なき湛山・うめ夫妻の間には、一つだけ心痛この上ないことがあった。昭和19年2月、海軍主計中尉だった次男・和彦がマーシャル群島のケゼリン島で戦死したことであった。戦死公報は1年遅れで届いたが、その追弔会の席上、石橋は「此の戦、如何に終わるも汝が死をば、父が代わりて国の為に生かさん」と詠んだ。この思いが、石橋を最終的に政界へ向かわせたとの見方もあるのである。この席上、一方のうめは、昭和17年10月に和彦が休暇で一度だけ帰宅した折、自らの手料理で、一家で夕餉を囲んだ思いにひたるように、涙を見せることなくひたすら瞑目し続けていたそうである。

 「人を見る明(めい)」で、一番的確なメルクマール(目印、指標)は、「出処進退」に見られると言われている。とくに、その人の「退」の有様、過程を見れば、人物の大きさ、器量が、まず見えてくるということである。
 越後・長岡藩の名家老、河井継之助による出処進退の原則についての名言がある。「進ム時ハ人マカセ。退ク時ハ自ラ決セヨ」。
 「反骨のジャーナリスト宰相」としての石橋の“引き際”の潔さ、人生の燃焼は、「夫唱婦随」に徹した妻・うめの思いに依ったところが多かったとも言える。
=敬称略=
(次号は岸信介・良子夫人)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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