こう語るのは、角界通の元力士だ。
稀勢の里は名古屋場所で9勝止まり。綱取りの期待を完全に裏切った。
「先代の故・鳴戸親方の猛稽古の反動もあってか、そもそも稽古量が足りない。当然の結果ですよ。周囲の反応が冷めてきたことを感じたのか『一からやり直す』と語っていましたが、時すでに遅しです」(スポーツ紙記者)
一方、関脇連続在位が14場所連続だったものの、3場所通算の成績が32勝。大関に昇進するための基準とされる33勝には届かないだけにやや物足りないが、豪栄道(28=境川部屋)が晴れて大関に昇進した。
「持ち味は豪胆な性格。絶対負けられない対戦では、星を落とさない勝負強さがある。どうしても日本人横綱を作りたい北の湖理事長は、チャンスに強い豪栄道に悲願を託したんですよ」(元力士)
豪栄道の強心臓の片鱗は幼い頃からあったという。
ベテラン相撲記者が言う。
「母親が『子供の頃から泣いているのを見たことがない』と語っていたのが印象的でした。体も大きかったため、喧嘩するなら年上としろと諭されて育った。ヤンキーではなかったようですが、怖い物知らずだったそうです」
中学卒業後、埼玉栄高校では相撲部を引っ張り、卒業後、境川部屋に入門。師匠の境川親方(元小結両国)が当初用意していた四股名は富士山(ふじのやま)だった。
「ただ、山には男山と女山がありますが、富士山は女山。そのため流れた経緯があるのですが、文字通り日本一の力士になってくれという期待の表れですよ」(前出・元力士)
横綱まで上り詰められるか。