18世紀、フランス革命による粛清の嵐が吹き荒れる中、サンソンは反革命の人物たちを次々と処刑した。マリー・アントワネットや公妾デュ・バリー夫人、そして国王ルイ16世。民衆から“死神”とさげずまれながらも、彼は黙々と自らの任務を遂行したのである。
「サンソンってヤツは、血も涙もない冷徹な殺し屋だ!」と思われただろう。しかし、実際は違う。彼は生涯を通して死刑廃止論者だったのだ。いつか死刑がなくなることを願いながらも、人々を処刑しなければいけない。己への呵責にさいなまれながらも、死刑執行人の一族に生まれた運命を全うするしかなかったのである。
サンソンのさらなる悲劇は、彼が熱心な“王党派”であったことだ。そう、彼は王族たちとも仲が良かった。デュ・バリー夫人は元恋人であり、崇拝するルイ16世とも親交があったのである。かつての恋人や崇拝する王を自らの手で殺さなければいけない悲しみは、我々には計り知ることができない。
サンソンはその後、彼なりの方法で“可能な限り人道的な処刑方法”を編み出しながら、慈悲の心をもって死刑を執行し続けた。そして死ぬまで死刑廃止を訴え続けたが、ついに夢はかなわぬまま、その生涯を終えた。
フランスで死刑制度が廃止されたのは、サンソンの死後、200年が経ってからのことであった。