「運輸省案には各省とも賛成しています」
「何言っている。政府はこのオレだッ」
これは田中角栄が3期目の幹事長に就任して間もなくの、昭和44年春の佐藤栄作首相と田中の全国各地に張り巡らせるための「新幹線9千キロ構想」で交わした激論の一端である。
田中は2期目の幹事長を終えた後、“閑職”としての自民党都市政策調査会長というポストに就き、この期間を有効に使うことで後の「日本列島改造論」のヒナ形となる都市と地方の格差是正、国土の均衡化のための「都市政策大綱」をつくり上げた。ここで、その「大綱」の中にある新幹線9千キロ構想をすでに公にさせていた。その後、すでに官僚人脈を構築しつつあった田中はこれを駆使、予算付けのため各省庁への説得と根回しに全力を挙げていた。
例えば、運輸官僚がこの構想では予算計上はムリとの理由で「3千500キロ」での原案をつくってくると、田中いわく「ダメだ、こんなものでは。9千キロだッ」と一蹴するといった具合だった。
時には日本地図を広げて赤エンピツで全国の県庁所在地をくまなく通る新幹線地図を書き、「これでやれッ」と突き放す。田中はサシでの真剣勝負の議論になると、後に福田赳夫(元首相)が「角さんとのサシでの議論はカンベンしてくれ」と腰が引けたように、迫力満点、殺気めいたものが出るのが常であった。
ために、運輸省の一官僚あたりが田中に反撃することは至難のワザ、結局、田中の意向を丸呑みし、15年間で9千キロ、総予算11兆3千億円に及ぶ「全国新幹線鉄道整備計画要綱」をつくり上げ、佐藤首相のもとに届けられたということだった。佐藤首相はもともと、運輸省の前身の鉄道省から政界入りした経緯がある。運輸省への影響力は抜群、赤字路線を憂慮して運輸省の弱腰を嘆く一方、断固反対姿勢を強めた。その背景には、「日の出の勢いの幹事長」として力を付ける男への警戒感も強かった。しかし、田中は一歩も譲らずで、官邸に乗り込んでの佐藤首相との激論が冒頭のやり取りということだった。
一方で、予算の全権を握る大蔵省も、さすがに「9千キロ」にはまずと難色を示した。イキのいい主計官が「上越新幹線は黒字が見込めません」とオズオズ口にすると、田中は「君、それは大丈夫だ。心配はないッ」と全く聞く耳を持っていなかった。それはそうである。田中は大蔵大臣時代、すでに大蔵省を“掌中”にしており、事務次官以下幹部は「田中政治」を容認していたからであった。
結局、この田中における「新幹線9千キロ構想」は先の運輸省の「全国新幹線鉄道整備計画要綱」を敷衍する形で、先週記したように昭和45年5月に全国新幹線鉄道整備法として成立、公布を見ることになったということである。
そうした中での昭和46年6月、5期目の幹事長として田中は参院選での指揮棒を振るった。佐藤首相はこの参院選直後に第3次内閣の改造と党役員人事の異動に踏み切った。自民党は改造前からわずか1議席下回っただけだったが、あえて田中の幹事長を外し、通産大臣として入閣させた。
この佐藤首相の改造人事の裏では、この時点ですでに自民党総裁「4選」を果たしている佐藤の「5選」なし、が党内の既定路線となっており、「ポスト佐藤」への佐藤の“胸中”が透けて見えた。
当時、党内の「ポスト佐藤」有力候補は、勢いをつける田中角栄と安定感と人望のある福田赳夫の、「動」「静」2人というのが大勢であった。その上で、「佐藤の“意中”は福田ではないか」という見方も少なくなかった。しかし、この人事で福田を引き上げ、田中を干すことになれば反発を買い、政権としての最後の仕上げ「沖縄返還」を退陣の花道としたい政権運営にカゲが差しかねない。
ために、佐藤首相はここでまた「チェック・アンド・バランス」の人事の妙を発揮、政権「3本柱」のもう1人、保利茂を幹事長に据え、福田を外務大臣、田中を通算大臣に起用して相競わせる形でバランスを取ったのだった。通産相となった田中の横顔を、当時の『毎日新聞』はおおむね次のように報じている。
「夏冬、人前を問わず、バタバタとセンスを使う。本会議場でもこの人の周辺が一番ザワついており、本人の独特のシャガレ声がひときわ耳に飛び込んでくる。総裁ダービーのスタートラインに立ちそうな中で、一番行儀が悪い。これまでの総裁候補としては、何とも型破りの部類だ。
一方で、エリート官僚の牙城、大蔵省に乗り込んでニラミを利かしたあたり、ナミの政治家にできる芸当ではない。本人が一番好きな人物だという上杉謙信に相通じる戦略に、越後人の“血のたぎり”があるのかもしれない。総裁ダービーではどんなコースを取って出てくるか、その動きは今後の政局の最大の見どころ」
田中の「天下取り」への決戦場は、いよいよ目前に迫ってきた。(以下、次号)
小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。